50 災害弱者と「大丈夫」

「大丈夫?」といえば
「大丈夫」と帰ってくる。
こだまでしょうか?
いいえ、建前です。

「遠い親戚より近くの他人」という言葉がある。
これを読んでいる方にも直撃地域に知り合いや親戚が居るかもしれない。
よく憶えておいていただけると幸いである。

当然だが、被災者には遠くに居て被災していない子供、兄弟から細かく連絡が来る。
たいてい「大丈夫、大丈夫。心配しないで」という返事になる。

しかし、実際大丈夫な人もいれば、大丈夫じゃない人も多い。家だけならともかく、仕事ごと流れる例が多いのだ。
ただ特に心配をかけたくない相手に「ダメだ」とは言えないのが人の心というものである。

一方、これが同じダメージを負ったご近所同士だと「大丈夫」という会話にならない。
大丈夫じゃないからだ。

前も触れたが、大丈夫な人、つまり被災者でもお金がある人は今回の津波をまったく問題にしなかった。
津波が来て家が壊されるやいなや、
「もう一件は壊れなかったので」
「一括で家買ったよ」
と即座に引っ越す選択が出来た。
いうならば、財布を落としたのとあまり変わりはない。

金はつくづく力だ。

人生設計は大事だが、日本といえど60年も生きれば一生に一度災害や戦争に巻き込まれるものである。景気などの要因が下り坂だとその一度で致命打を受ける可能性はそんなに少なくない。

大丈夫じゃない人に話を戻そう。
先に「共感」が得られている状態、得られていない状態に触れたと思うが、同じ苦難に直面したご近所は「なんでも相談できる身内」で、たとえ親兄弟でも全く違う状況に置かれると「心配をかけたくない他人」になるようだ。
何せ一緒に困難を体験していないので話は通じない。そしていくらでも安心させられる。
こんなに容赦ないんだなと思うくらい架空の世界扱いされる。おとぎ話。

この電話で遠い家族に「大丈夫、大丈夫」と返事する人が被災者同士だとどういう話をするのか。
私が実際に聞いた話の一部を紹介する。

「津波に巻き込まれて終わればよかった」
「いやー無理だよ いい自殺の仕方調べてるんだけどさ!」(これからどうするんですか?と言う質問に対し明るい口調で)
「もういい」
生きるか死ぬかは本人に任せるべきではあると思うが、戦前山間から嫁いできた母方の祖母が来るなりこんな事を言っていて、見届けるところを想像するとあまり気持ちの良いものでは無かった。

同じ文化や伝統、境遇で集まるのは一般的な人間の性質である。
非経験者に話が通じず、「いけるいける」、「頑張れ」、「大丈夫だよ」と何も知らない人間(身内にも)から無責任に励まされる不快感を本能的に恐れているからか・・

そんなことを言われずとも明日は来る。
そして何を言わずともうなずいてくれるご近所は居るわけだ。

何度も説明したと思うが、正直に話してくれと言っても体験していなければ決して通じない。

こういっては何だが、「大丈夫」といわれた人は、安心したはずだ。

自分が被災していようがしていまいが、相手は安心させたいだろう。
大丈夫というならそこに突っ込む必要はないが、信じないほうがいいだろう。

心配なら「大丈夫?」から入るより他の方法があると考えられる。
それこそ人によってできる事や求められることは違う。

「ダメだな」といえば
「ダメだ」と帰ってくる。
こだまでしょうか?
いいえ、本音です。

49 芸能人の炊き出しとは何だったのか

芸能人の炊き出しなど、心温まる話がたくさんあったと思う。中には売名と揶揄する人もいたようだが、実際はどうだっただろうか。

「あいつら、わがままなんですよ」

まとまった土地の使い道の責任を持つ某市の某氏※は芸能人の炊き出しの打診電話の内容を振り返って語ってくれた。

※凄い遠回しな表現だが、これで容赦していただきたい。

そこに出てくるのは、炊き出しでもかなり有名な、何日もテレビで紹介されたような集団の名前だ。
そして、こんな打診してきた集団は一つではない。

「本人たちが電話してくるわけではなくてマネージャーなんですが、食物とかは持って行ってやるから、水用意しろって言うんです」

――えらい上から目線ですね。そして水ですか。それはあの状況を何も解ってないですね。

水は「圧縮」できない。運ぶときに最も邪魔になる。オレンジジュースは粉末で運ぶことは出来る。しかし運んだ先に水があるとは限らない場合、ただの粉だ。
そして人間に最も必要なものの一つだ。

「無理だよそんなの。全部自分で用意してくれって言いました。そしたらなんだかんだで結局水用意するから来てくれって言った○○○○所が受け入れた」

地域住民にとって心安まる一時を提供出来たと言う意味はあるだろう。(雨後の竹の子のようにファンが押しかけて酷い状態になったという話もあるようだが)

もちろん、全部がそうではない。

「たとえば超大物の○○選手とか、マスコミが嫌いなので、マスコミに絶対言わないでくれ、っていうことでコッソリ来てましたけどね。
あとでみんなになんで言ってくれなかったんだ、って責められて大変でした」

実際に売名としか思えない、被災地の負荷を上げた炊き出しは確かに存在した。
そのくらい、水は酷い要求なのだ。

もし、あなたが炊き出しをしていた芸能人のファンだったのなら、それはそういった要求をしなかったと信じてあげて欲しい。
マネージャーの暴走かも知れない。そうだろ?

48 黒い感情

せめて 看取るまでは やさしい歌を

 

kekkonshiki

瓦礫の中に流れてついていた結婚式の写真。本人たちは無事だろうか – 2011/05

 – 500万円 –

東日本大震災において、世帯主が死亡した際、災害弔慰金として支給される金額。

 

結婚や離婚が増えているという。
たとえば停電の時に寂しさを感じた、というように震災現場から離れた人々が結婚の希望するというケースがあったが、
被災地の直撃地域では4割近くの離婚相談の増加が見られたという。

統計をとったわけではないので、その原因はわからない。
余りに悲惨な状態になって精神状態が不安定になったという説もあれば、相手が頼りないのが浮き彫りになった、という説もある。

家が奪われ、仕事が奪われ、つまりお金も奪われ、何もない。そんなとき、再び「任せろ!」といえるタフガイは滅多に居ないし、海ガールも滅多にいない。
専業主婦・主夫は立場が強そうだ。やるべき事は出来る。文句を言われる筋合いはない。そこに罪悪感はない。大黒柱「だった」相手に強く出れる。
大黒柱は職場が前提となるのでそうは行かない。
私の父親も大津波で職場を失ってから寝たきりのように非活動的になっている。

どろどろとしている事もある。

嫉妬やねたみが渦巻く場所もあった。
ある被災者はこんな事を言う。

「向こうの仮設を見てください こっちより少しきれいでしょう?なんでも新しい型らしいんです。なんでうちばっかりこんな目に遭わないと行けないと思います?マンションに行った○○さんはいいですよね」

しかしもっと酷いケースもあった。
あるご近所はこう言う。

「うちはかろうじて家が残った。それはいいんだけど。いい目で見られない。ことある事に
”○○さんは家残ったからね!”
と言われる。そのときの口調が本当に嫌なものを見るときのものなんです」

妬みや嫉妬である。

そのご近所はこう続けた。

「僕も家流された方が良かったんじゃないかと思っちゃいました」

まだ前に述べた犯罪のほうが聞くに堪えると思う。

黒い濁りが溢れ、口に出る・・・そんな状態だ。

 

もし、大黒柱が頼りないが、離婚しても行く当てがない状態だったら、その人物はどんなことをいうのか。
世帯主が死亡したら500万円の見舞金が出る。

ある奥さんは言う。

 

「そうそう、500万円も出るんですよねー!

 

 

うちもあの人が死ねば良かったのに

47 ウニとタコ

震災時の「激しい映像」は通電後のテレビでは見ることが出来なかった。
一説によると、気を使って放送を控えたという話もある。

インターネットの動画で当時の報道を見ると、陸前高田への希望的な予想は無くなった。

凄まじい動画だった。しかし、動画は動画だった。感想は「凄い」以上にはならないだろう。
どんな動画であろうが、あらゆるものに異様な力が加えられたときの大気に叩かれるような音や、街だった場所の圧倒的な質量は存在しなかったのである。

■海の遺体と海の幸
しばらくどうしようもない状態が続いたため、時に遺体は大した深さの無い所に着底しており、目視できたという。
聞くところによるとそういった遺体の目にウニが群がっているそうで、ウニはしばらく食べたくないという。

よく水死体が上がると、「シャコエビが遺体から飛び出てくる。しばらく見たくもない」という話を聞くと思う。
実際に目玉は真っ先に食べられそうな印象があるが、またそういう話が出たか、という気持ちだ。シャコエビの本当のところはわからない。

家に帰っていたGWのころだが、ある近所の同級生、その人物は市場で働いている家のものだが、食べていたタコから髪の毛が出て来て口に含んでしまった、という話をしにきた。
明るい顔はしていなかったが、怖いとか気持ち悪いとかいう話にはならなかった。
それがだれかがどうしても手に入れたい遺髪だと思うと、私はそんな扱いはする気にならなくなってしまっていたのである。

7月のころにはかなり片付いていた。まるで別の地のようだ。
しかし、この夏の暑い盛りに広島県警や徳島県警、時には沖縄県警が信号機の代わりに某を振っている。
まだ信号機が戻っていない状態だった。
日本中の警察がパトロールをしていた。

 

大船渡の水産加工会社の某所での話だ。
「新沼さん!じゃあまた!」
父親がその水産加工会社の社長と現地で別れの挨拶をした時
「社長!冷蔵庫から人が出ました!」

と掃除中の社員は叫んだ。

遺体はまだまだ出て来ている状態だった。10月を超えても週に何体か出てくる。

46 震災ストレス 2

■不眠

「海は望めるけれども高台にあったため家は無事で、電気も来ていて、食事もたっぷりあったが、夜な夜な避難所に顔を出す人がいるね。海風の音や波の寄せ返す音が、当日の”助けて”に聞こえて家にいたくないって」
– ある釜石市の住民の話

私の場合そんなトラウマじみた話はなく、ただ寝られない。いうならば、遠足や修学旅行前日のような興奮状態になる。やや心拍数が高く、寝る状態ではない感覚。
カフェインの類は就寝10時間前から摂取していない。

トラウマにならずに済んだのは、被災直後に深追いしなかったことが功を奏したのかもしれない。
興奮気味なのは寝る直前まで仕事をせざるを得ないので、過労気味なのかも知れない。
しかしそれにしてはやや大げさなのだ。
0:00に布団に入って寝れるのは4:00になるかならない程度がほぼ平均的で、3時間程度の睡眠が平均的になった。
記憶にある限りでは起床13分前になるまで寝れない日もあった。
連日寝不足気味で、なお火曜や水曜に13分の睡眠不足を被るとかなり厳しい。
このときばかりはコンビニのチョコラBBプラス(315円 根拠はないがこの製品は効果が高い気がする)を朝に飲んで覚醒させるしかない。

先に挙げた数々の対策でそれでも眠気や疲れを表に出さずに仕事は出来た。
「たまたま」震災の2ヶ月前に仕事の集中力を維持するための方法を1ヶ月以上の緊張性頭痛を経て学んでおり、それも非常に役に立った。(※)一般的に社会的活動が破壊されると、やはりストレスや鬱病に繋がっていく。(※ポモドーロ・テクニック)

土日に出来るだけ寝に入ったら布団から出ずにいると、眠り自体は浅くても7時間ほど寝れる。貴重な一週間のエネルギーである。
金土日に2週間連続で出張などが入った時は苛烈で、視界の下1/4が欠損し、常時脳が泡風呂に付けられている感覚があった。意識は朦朧。後述する動悸とは別に、心臓付近が強く重く痛む。これは意識を失ったらもうこの世には居ないかもしれないと思えるほどだった。その時期運転などは控えることになった。
仕事は意識が明瞭なときに出来るだけ簡単なものを用意しておくことで対応した。

これは約半年弱続く。

多少アルコールを摂取してみたが、翌日に完全に影響が無い量だと効果は薄かった事、
精神的に不安定になったりすることはなかった事を付け加えておく。

■動悸

仕事が始まって1ヶ月が過ぎる頃、起床からの出社後付近の時間に非常に動悸が強くなるようになった。
これはかなりの痛みを伴うもので、ほっておけば10分程度で収まるが、AEDの前でおとなしくしておこうか、と思えるほどのものだ。この10分は酸欠の金魚のように上を向いてパクパクしているものの、過ぎ去ったら普通に仕事が出来る。このレベルの苦痛になると悟られないようにするのは難しい。

出典を忘れてしまったがどこかの文献に「これは通常2週間から3週間で収まる」とあったので、気にしすぎないようにする。何となく気分が落ち着きそうな味噌汁を食事に加えておとなしくする。

驚くべき事に文献の通り21日目を境にピタリと収まった。

 

■まとめ

震災ダメージがかなり少ないと思われる私ではあったが、それでも若干影響があった。
対策を入念に練ることにより、最悪と思われる震災による鬱病の発症や過労死は回避出来た。

全く会話は通じないため、普段から情緒や精神に適切に負荷を与えていない人の場合、さらに過酷なものになるだろう。
これで家族ごと別な所に移るような形だとまだ会話する相手がいていいかもしれない。
私の場合震災ストレスはかなりの肉体的な苦痛を伴った。

理想的に残業がない労働のケースではなく、帰ってからも仕事がある過労と合わさっているケースなので、現在の労働状況には参考に出来る部分が多いと思う。

出向先が理想的な労働環境を持つ職場でなかったら、さらに過酷な事になっていただろう。

45 震災ストレス

東京は明るく、蛇口をひねれば水が出る。火も付く。
かつ何よりも、人が歩いている。
滅亡した土地にいた自分には眩しいような不思議な感覚だった。

恐ろしい事にインターネットが繋がっているので(平時なら当然のことなのだが)、とりあえず私が安否確認システムGoogleParsonFinderに掲載されていたので「無事」と入力する。

 

暮らしは便利だが、当然話は通用しなかった。

「新沼さんは内陸に住んでいるから影響はなかったはず」
という話が出来ていたり、
「津波の話を聞かせて欲しい」
と言われて津波の恐ろしさと音やにおいの凄さを伝えたときに、帰ってきた返事はこうだ。

「まるで見てきたように話しますね!」

40mの遡上で沿岸を滅ぼした津波はテレビに映された2次元のデータに過ぎず、ドキュメントっぽい雰囲気を出した映画やゲームと何ら変わらない。遥か遠いおとぎ話なのだ。
「ひとつ曲がりゃ他人事」である。
私は「話せば通じる」と思うことを早々にやめた。
ここでの話題はせいぜいが帰宅難民でいいのである。

例によって、これはしょうがない。一輪車は1万回見てもいざやってみると転ぶ。
奥尻島の30m遡上した津波で警告を受け取った人は見たことがなかったし、石垣島の80mともいわれる津波を警戒している原発は一基たりとも無い。

人間は体験しないと何も得ることが出来ない。
(特に大人になると、物事に足を使ってないのにアテを付けて何か口を出したりする。気を付けねば・・・・)

結果だけを求められる経済活動に一気に引き戻される。このギャップは越えられるものではあるが、かなり大きい。詳しくは所感で述べる。
災害後などに直面するストレスによる悪影響は半年以上も不眠症が続くことになるなど様々な不確定要素があるといわれているが、たとえば「戦争における人殺しの心理学」では特に急激に「共感の無い状態」に放り込まれたときに注意すべきだといっている。
今回戦争ほどでは無いにしろ、なんらかの悪影響が必ず発生すると判断した。そしてそれが取り返しの付くうちに対策を打っておくのだ。


何となくここまで読み進めて戴いた読者にはおわかりになってくれるかも知れないが、私は「自分なら大丈夫」という考え方を絶対にしない。かなり慎重になるタイプである。
この考えは「自分らしさ」「個性」は自分に手を抜くための言い訳に使われる事が多いからだろうか?
「僕は~だから」を立ち向かっていくような場面で使う人物に滅多に合ったことがない。
そしてそれは明らかに能力不足ではなく、たいていメンタルが十分にトレーニングされていないだけな気がする。

しかも今回は出向による1日8時間の単純労働の他に、自社の仕事がある。
震災ストレス抜きでも、これは労働内容だけで厳しい。

 

■震災ストレス用準備物
震災ストレス対策は鬱対策と同様であると仮定する。私は鬱病になった事はないが、自分が特別にならないとは決して思わない。
むしろ0.1秒後にも鬱病になっているのではないかと考えることの方が多い。

■睡眠への心構え
寝られないときでも、目を閉じてじっとすること。無心を意識しつつも意識しすぎないこと。寝られなくても焦らないこと。睡眠不足は様々な要因も孕み、鬱病に直結する。

■食事への心構え
決して食べ過ぎないこと。特に多めの脂肪は控える。直接鬱病に直結する。また、肥満による活動力の低下、社会的立場の少なからぬ低下による鬱病に繋がる可能性がある。
決して食事を抜かないこと。疲労、またそれからの鬱病を遠ざける。

■何が起きても愚痴は言わない
特に環境や他人への愚痴は自分の精神を甘やかす効果がある。特にジョークにならない愚痴は避けるべきだと判断した。自分への愚痴も許されない。大抵何とかなるからだ。
脚は歩かなければ歩かないほど折れやすくなる。

■朝食
1.マルチビタミンとミネラル 朝に取ることにより、1日にわたって活発に活動できる。疲労、また疲労感からの鬱病を遠ざける。
2.多めのビタミンDとカルシウム 日光を吸収しているのに近い効果がある。鬱病を遠ざける。
3.タンパク質を多く含むもの。(ここではプロテイン1杯) 鬱病を遠ざける。筋肉を保ち、社会的立場の(略
4.全粒粉100%のパン1枚 消化吸収に時間がかかるため、長期にわたって活発な活動を可能とする。疲労、また疲労感からの鬱病を遠ざける。
5.ジャムは砂糖を使っていないもの。砂糖は血糖値が急激に上がるがまた急激に下がるため、午前中にだるさが生じる。これは作業を鈍らせないことにより、社会的立場の失墜による鬱病を遠ざける。
6.目玉焼き3つ 様々な効果があるが、例えばビオチンという成分が人間の活動を活発化する。火を通した卵はその養分の吸収効率の上昇に加え、菌の消毒が行われ安全である。

■昼食
1.全粒粉100%のパン1枚 消化吸収に時間がかかるため、長期にわたって活発な活動を可能とする。疲労、また疲労感からの鬱病を遠ざける。
2.無添加のピーナツバター、クセにならない程度の人工甘味料。ピーナツバターは不飽和脂肪酸という良質の脂肪を持ち、(特に男に効果があるといわれるが)鬱病を遠ざける。良質の脂肪は体格の維持にも役立ち、社会的立場の(略
3.タンパク質(混合プロテイン) 鬱病を遠ざける。筋肉を保ち、社会的立場の(略

■間食
1.コーヒーなどは無糖で出来れば良質の深煎りを。砂糖は説明したとおりで、また、深煎りは胃を痛めないとされ、適度なカフェインは活動力を上げる。
2.プロテイン (同上

■週3回以上のジム
1.”ハードな”トレーニングは肥満による活動力(略 また、セロトニンという物質が分泌され、とてつもなく強力な抗鬱左様がある。
2.ウエイトトレーニングは中でも効果が強いとされている。ジムは高級なアンチエイジング用のマシンばかりで構成されたような上品すぎるところではない。

■トレーニング後・夕食
1.混合プロテイン (同上
2.マルチビタミン・ミネラル (同上
3.全粒粉のパン (同上
4.砂糖を使っていないジャム (同上

■就寝前
1.混合プロテイン 就寝前に取ることにより、就寝中の回復を促す。
2.亜麻仁油 これ

44 平時へ

ここからは日記形式ではない。

電気が来ると同時にテレビが付く。ほとんどが原発事故の報道でそれに混じって公共広告機構、通称「AC」のCMが鳴る。
このCMは本当に少しのパターンしかなく、震災の思い出=ACのCMというイメージがある方も多かったと思う。
(東日本ではACのCMは長期にわたったが、西日本ではそうでもなかったようだ)

バス会社は無償で東京に送迎バスを出したりしており、テレビが乗車を希望する人向けに連絡先を報道している。当然、地元向けだろう。
背景は常に終局的な光景で、連絡先は半透明のウィンドウで表示されている。

要はただのバスの連絡先である。
原発事故の
「望遠で撮影した爆発の様子はさみつつ、きれいな部屋で汚れが無い作業着の大臣や関係者が記者会見に臨む」
報道よりも平時ではないことをひしひしと感じるのだ。

「無料バスのお知らせ」
「原発事故の報道」
話だけ聞くと「原発は酷い」という事にあっさり傾くのだが、私が少なからず凄いと感じたのは単なる「無料バスのお知らせ」だった。

しかしそれでもなお、「直撃」の映像がその当時既に流れていなかったせいかその背景の破壊的な光景には真実であると確信を持てないという不思議な状態が続いていることを付け加えておく。

ともあれ、灯りのおかげで(ずいぶん前の話になるが)もう寝返りを打たずに窃盗犯に警戒する日々が終わったのである。

この後、私は前々から3ヶ月間東京に出張が決まっており、電気が来た日の一週間後に出発する予定だった。
色々な方から販売チケットを貰ったりガソリンスタンドの店員から個人分のガソリンを定価で売ってもらったりして動くようになった車で、3ヶ月の荷物を多賀城の宅配便会社に持って行く。
この時期はまだ営業所渡ししか対応しておらず、これもどう説明すればいいのか解らない不思議な感覚なのだが、営業所前にダンボールが積まれ、係がその場で「いつになるか解りませんよ」といいお金を受け取る様は、「青空営業所」であり、平時には感じられない不思議な雰囲気が出ている。

営業所の前の道路で少しでも低くなっているなら、そのマンホールからは処理不能な大量の下水がこんこんとわき上がっている。溢れているという表現でいいのだが、よくテレビで見る水源のわき水の勢いだ。実際見ると「こんなに出ているとは」と思うだろう。追加の悪臭もまた合わさると、平時ではないとさらに強く感じられる。

「お知らせ」によると、下水処理場の復旧には3年かかるという。
同封されていた「元」下水処理場の写真は酷い有様で、モノクロも相まって地平線に太いハリガネが何本か刺さっているだけのように見えた。ここに何かあったのか?

多賀城の低地は2012/1現在も、下水の処理に追われている。
夜になると風向きが変わるのか、そのにおいはこちらに流れてくる。
原発もなく、水の来ていないところでも相応の被害があった。

私は大船渡に実家があるイトコ連中の帰りの車に同乗させてもらうことになり、宮城県を離れることになった。
東北自動車道は今やボコボコで、復興関係の大型車両も相まって皆ゆっくり走る。
瓦礫を満載したトラックによる落下物が問題化した。

東京に着くと、そこは平時だった。
私は多分起きるであろう震災ストレスによる影響を防ぐため持っている限りの知識を総動員し準備を始めた。

43 電気復旧

3月19日

電源、ネットワークから切断されたサーバを復旧させる当社の人物が東京を出発。
山形の空港に降り、そこからはタクシーになる。

羽田空港。
”妊婦の方、赤ちゃん連れの方、体の不自由な方の優先的なご搭乗よりご案内致します・・・・”
そこで白人系の人物がスックと立ったという。

(※以下、実際は英語)
「どう見ても男のアンタ、妊婦かい?」
「ノー」
「じゃあ座っててくれ まだ妊婦やら体が不自由な人やらの搭乗タイミングだ」
「ありがとう、うっかり乗り込んじまうところだった。俺はカナダから震災を取材しに来た記者だ。アンタは?」
「津波を浴びた地区に会社があってね、今からそのフォローをしに行くエンジニアさ」
「マジかよ!向こうについたら、タクシー、ワリカンで乗ろうぜ。但し、領収書は俺のモンだ」
「OK」
「最高だな、ツイてるぜ」

そんなやり取りがあったという。
東京・仙台間はそれでも20万円を超えた。
通常の20倍以上である。

ガソリンはリッター1000円で7倍だったので、なるほどモラルはさておき1000円で買って迎えに行った方がコスト削減できたかも知れない。

3月20日

サーバ担当と合流。町内を軽く歩き、被災状況を見る。
サーバーを復旧するため、電気とインターネットが繋がる場所に持って行く事となった。

電気復旧は単純で、必死に電柱を立て直し、電線を引き直す。不釣り合いに真新しい電柱が廃墟に立つ。

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壊滅的な状況だが、電柱だけ新しいことが確認出来る 南三陸町 志津川にて

県外の車から降り、電柱を1本1本確認している黄色いヘルメットに
「どうですか?」と聞くと、
「こちらはもしかしたら今日中には」という返事が返ってくる。

しかし実際は電気はなかなか復旧させることができないようだった。
本来陸地で田んぼだった土地が海になり、それを挟んだ対岸はすぐ電気が来ていたようだが、こちらはその海になった部分で非常に厳しい被害を受けており、「厄介」とのことだった。

WEDGE 2011 6 インフラ復旧の物語 にその厄介さが詳しく書いてあるので、引用しつつまとめる。

電柱がどこにあったのかも解らない状態であり、電柱の設置は住民の許可が出なければならない。
ドリルなどは使わず、作業は手作業だったという。
「機械で掘って、この泥の下に遺体があったらどうするんだ」
浸水地域で新たに掘った穴からは水が噴き出す。

町内を歩いた帰り道。

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七ヶ浜内で撮影したイメージです

「おい、見ろ」
サーバ担当はどうもピンと来ていないようだったが、この地とっては非常に大きい出来事だった。
「灯りがついている」

この地に灯りが戻ったのは幸いにしてわずか9日後のことである。
水道復旧は4月初旬~中旬、インターネット復旧は5月中旬を待たなければならなかった。

42 七ヶ浜町

宮城県七ヶ浜町 人口2万超 浸水範囲約38% 死者102名 行方不明者5名(2011/11現在)

■参考になるケースなど
七ヶ浜は町民が自ら防災マップを作ったばかりであり、当日ラジオなどの情報を頼りに津波の高さに合わせ避難場所を変えることが出来たといい、人的被害が大きくなることを防げたケースである。

_DSC2671
海に見えるが、ここは海ではない。 3/18

湊浜
_DSC2660
常にヘリが飛んでいた。この浜には大量のカップラーメンが漂着。3/18

松ヶ浜
_DSC2662
友人宅。破壊力が強すぎ、何も痕跡は残っていない。 「確かここだったはずだ」 3/18

菖蒲田浜
_DSC2576
津波は非常に破壊力が高く、地区が洗濯機に巻き込まれてしまったかのようだ。3/12

花渕浜
_DSC2668
被害甚大。自衛隊が速やかに道路を通した様が確認出来る。3/18

代ヶ崎浜・吉田浜(私が避難した多聞山から見える範囲)
連載初期に説明したとおり。被害甚大。

東宮浜は震源に対し裏側なので、表側にくらべ被害微少。水位上がったのみ。

この日とは異なるが、菖蒲田浜には砕け散った防波堤の隙間から抜け殻のように海を向いて座り込む同級生がいた。
東日本大震災-194
※画像はある被災地で撮影したイメージです。このままを想像していただければ幸いです

「なんだか、こないだの同窓会からすぐだな ハハハ、こんなことになっちゃって。こんなことになったから、すぐあえたのかな ハハハ」

乾いた笑いだった。

41 日常

3月16日

家族は主にDocomoユーザであり、復帰と同時に各地に連絡をしようと試みていた。
前日のAUは電池が力尽きている。

発電機がいくつもある避難所に行けば充電は可能である。携帯の充電用ということで、いくつもコンセントがあり、「ご自由にお使い下さい」充電器もたくさんある。
ただ、その並びに入るほどの緊急の用事は我々にはない。

どうにか電池やこのときまだバッテリーが生き残っていた自動車から電気をかき集めての連絡となる。

父親は親族が全員無事なのを確認。実家は波で運ばれてきた巨大船舶が衝突し道路に押し出されたため、緊急車両通行を優先し14日に解体したとのこと。
母親は親族全員の安否が不明。

しかしキャリア40年の看護師である母親は少なくともいつもと全く変わらず、なんというか、微動だにしない。
逆に実家にある先祖の位牌を失ったであろう父親がストレスを溜める。
(もちろん、他にも色々な要素がある。原因を確実に減らしていく前に一つだと思い込むとえらい目を見るのと一緒だ)

「くそっ なんて薄情な奴だ」
「考えてもしょうがないでしょうが」

そんなやり取りが展開している。

3月17日

かなりの量の雪が降った。トイレ用の水などを手に入れるためどうにか効率的に水を集める事を考えていると、「雨とい」をノコギリでたたっ切ってその下に大きいタルを置くことになった。
タルは180リットルも入り、3つもあった。これはトイレの水にしばらく困らない事を意味する。

たまたま役に立ったが、こんなものがあるような家だと当然庭が片付かない。
そして最大180kgを・・・誰が持つって・・・
神妙な顔でタルを見ていると、
「バケツでくみ出せばいいじゃん」
と一言言われ、我に返った。

放射性物質を多分に含んだ雪であるとまことしやかに情報が流れ、みな雪を警戒した。

3月18日

弟が居住地の岩手県盛岡市から支援物資を持ってやってきた。勤務している会社は盛岡市という土地柄家族が被災地に居ることが多いため、緊急に休みにして家族を助けに行けと指示したという。
交通手段はバス、タクシー。核家族のレベルでは全員揃ったことになる。

運んできた支援物資は水だけで70kg、他にウエットティッシュや食料。全ての重量で90kgを超える。
むろん一人だ。交通手段の大半が自動車だと思えず、信じられなかった。
私はこれだけの重量を持って人間が移動できるものなのだと強いショックを受けた。

弟は言う。
「同じ事がもしあったとしたら?もうしないだろうね」
弟はこの後座り込んで暫く動こうとしなかった。

この日、「犯罪」シリーズで行動を共にした連中が立ち寄ってきた。
雪も止んで天気も良いので、七ヶ浜がどうなったのか自転車で見て回ろうか、という話になった。
ちなみに、ラジオは原発以外、非常に少しずつ情報が増えて行くのみで、まだまだ南三陸町の住民半数が不明なレベルだった。

緊急車両が通らない道路は全く整備されず泥だらけで、落下物が所々にある。いわゆる「波打ち際」に瓦礫は貯まるもので、波がものすごい勢いで突き進んだ場所の道路は家々があった場所と異なり瓦礫はあまり無い。
所々水たまりがある。これは平時の先入観念では浅いに違いないと思うが、地盤沈下を伴った地殻変動がアスファルトを深く凹ませている可能性があり、これはつまらない踏み込みのレベルだが悲劇を生んだ。

このような道路は自動車も人も歩道車道の区別なく歩く。時折警察が道路の真ん中に立っており、自動車の運転手に目的を聴く。

アスファルトではない道路を砂埃を上げながら濃い排気ガスを上げる三輪車が印象的な昭和をイメージしたアニメのような、不思議な感覚である。そして真上や真下など不自然な方向を向いた自動車や人々が一様に手に持つバケツやタライがさらに不思議な感覚を与える。