44 平時へ

ここからは日記形式ではない。

電気が来ると同時にテレビが付く。ほとんどが原発事故の報道でそれに混じって公共広告機構、通称「AC」のCMが鳴る。
このCMは本当に少しのパターンしかなく、震災の思い出=ACのCMというイメージがある方も多かったと思う。
(東日本ではACのCMは長期にわたったが、西日本ではそうでもなかったようだ)

バス会社は無償で東京に送迎バスを出したりしており、テレビが乗車を希望する人向けに連絡先を報道している。当然、地元向けだろう。
背景は常に終局的な光景で、連絡先は半透明のウィンドウで表示されている。

要はただのバスの連絡先である。
原発事故の
「望遠で撮影した爆発の様子はさみつつ、きれいな部屋で汚れが無い作業着の大臣や関係者が記者会見に臨む」
報道よりも平時ではないことをひしひしと感じるのだ。

「無料バスのお知らせ」
「原発事故の報道」
話だけ聞くと「原発は酷い」という事にあっさり傾くのだが、私が少なからず凄いと感じたのは単なる「無料バスのお知らせ」だった。

しかしそれでもなお、「直撃」の映像がその当時既に流れていなかったせいかその背景の破壊的な光景には真実であると確信を持てないという不思議な状態が続いていることを付け加えておく。

ともあれ、灯りのおかげで(ずいぶん前の話になるが)もう寝返りを打たずに窃盗犯に警戒する日々が終わったのである。

この後、私は前々から3ヶ月間東京に出張が決まっており、電気が来た日の一週間後に出発する予定だった。
色々な方から販売チケットを貰ったりガソリンスタンドの店員から個人分のガソリンを定価で売ってもらったりして動くようになった車で、3ヶ月の荷物を多賀城の宅配便会社に持って行く。
この時期はまだ営業所渡ししか対応しておらず、これもどう説明すればいいのか解らない不思議な感覚なのだが、営業所前にダンボールが積まれ、係がその場で「いつになるか解りませんよ」といいお金を受け取る様は、「青空営業所」であり、平時には感じられない不思議な雰囲気が出ている。

営業所の前の道路で少しでも低くなっているなら、そのマンホールからは処理不能な大量の下水がこんこんとわき上がっている。溢れているという表現でいいのだが、よくテレビで見る水源のわき水の勢いだ。実際見ると「こんなに出ているとは」と思うだろう。追加の悪臭もまた合わさると、平時ではないとさらに強く感じられる。

「お知らせ」によると、下水処理場の復旧には3年かかるという。
同封されていた「元」下水処理場の写真は酷い有様で、モノクロも相まって地平線に太いハリガネが何本か刺さっているだけのように見えた。ここに何かあったのか?

多賀城の低地は2012/1現在も、下水の処理に追われている。
夜になると風向きが変わるのか、そのにおいはこちらに流れてくる。
原発もなく、水の来ていないところでも相応の被害があった。

私は大船渡に実家があるイトコ連中の帰りの車に同乗させてもらうことになり、宮城県を離れることになった。
東北自動車道は今やボコボコで、復興関係の大型車両も相まって皆ゆっくり走る。
瓦礫を満載したトラックによる落下物が問題化した。

東京に着くと、そこは平時だった。
私は多分起きるであろう震災ストレスによる影響を防ぐため持っている限りの知識を総動員し準備を始めた。