43 電気復旧

3月19日

電源、ネットワークから切断されたサーバを復旧させる当社の人物が東京を出発。
山形の空港に降り、そこからはタクシーになる。

羽田空港。
”妊婦の方、赤ちゃん連れの方、体の不自由な方の優先的なご搭乗よりご案内致します・・・・”
そこで白人系の人物がスックと立ったという。

(※以下、実際は英語)
「どう見ても男のアンタ、妊婦かい?」
「ノー」
「じゃあ座っててくれ まだ妊婦やら体が不自由な人やらの搭乗タイミングだ」
「ありがとう、うっかり乗り込んじまうところだった。俺はカナダから震災を取材しに来た記者だ。アンタは?」
「津波を浴びた地区に会社があってね、今からそのフォローをしに行くエンジニアさ」
「マジかよ!向こうについたら、タクシー、ワリカンで乗ろうぜ。但し、領収書は俺のモンだ」
「OK」
「最高だな、ツイてるぜ」

そんなやり取りがあったという。
東京・仙台間はそれでも20万円を超えた。
通常の20倍以上である。

ガソリンはリッター1000円で7倍だったので、なるほどモラルはさておき1000円で買って迎えに行った方がコスト削減できたかも知れない。

3月20日

サーバ担当と合流。町内を軽く歩き、被災状況を見る。
サーバーを復旧するため、電気とインターネットが繋がる場所に持って行く事となった。

電気復旧は単純で、必死に電柱を立て直し、電線を引き直す。不釣り合いに真新しい電柱が廃墟に立つ。

shizugawa

壊滅的な状況だが、電柱だけ新しいことが確認出来る 南三陸町 志津川にて

県外の車から降り、電柱を1本1本確認している黄色いヘルメットに
「どうですか?」と聞くと、
「こちらはもしかしたら今日中には」という返事が返ってくる。

しかし実際は電気はなかなか復旧させることができないようだった。
本来陸地で田んぼだった土地が海になり、それを挟んだ対岸はすぐ電気が来ていたようだが、こちらはその海になった部分で非常に厳しい被害を受けており、「厄介」とのことだった。

WEDGE 2011 6 インフラ復旧の物語 にその厄介さが詳しく書いてあるので、引用しつつまとめる。

電柱がどこにあったのかも解らない状態であり、電柱の設置は住民の許可が出なければならない。
ドリルなどは使わず、作業は手作業だったという。
「機械で掘って、この泥の下に遺体があったらどうするんだ」
浸水地域で新たに掘った穴からは水が噴き出す。

町内を歩いた帰り道。

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七ヶ浜内で撮影したイメージです

「おい、見ろ」
サーバ担当はどうもピンと来ていないようだったが、この地とっては非常に大きい出来事だった。
「灯りがついている」

この地に灯りが戻ったのは幸いにしてわずか9日後のことである。
水道復旧は4月初旬~中旬、インターネット復旧は5月中旬を待たなければならなかった。