46 震災ストレス 2

■不眠

「海は望めるけれども高台にあったため家は無事で、電気も来ていて、食事もたっぷりあったが、夜な夜な避難所に顔を出す人がいるね。海風の音や波の寄せ返す音が、当日の”助けて”に聞こえて家にいたくないって」
– ある釜石市の住民の話

私の場合そんなトラウマじみた話はなく、ただ寝られない。いうならば、遠足や修学旅行前日のような興奮状態になる。やや心拍数が高く、寝る状態ではない感覚。
カフェインの類は就寝10時間前から摂取していない。

トラウマにならずに済んだのは、被災直後に深追いしなかったことが功を奏したのかもしれない。
興奮気味なのは寝る直前まで仕事をせざるを得ないので、過労気味なのかも知れない。
しかしそれにしてはやや大げさなのだ。
0:00に布団に入って寝れるのは4:00になるかならない程度がほぼ平均的で、3時間程度の睡眠が平均的になった。
記憶にある限りでは起床13分前になるまで寝れない日もあった。
連日寝不足気味で、なお火曜や水曜に13分の睡眠不足を被るとかなり厳しい。
このときばかりはコンビニのチョコラBBプラス(315円 根拠はないがこの製品は効果が高い気がする)を朝に飲んで覚醒させるしかない。

先に挙げた数々の対策でそれでも眠気や疲れを表に出さずに仕事は出来た。
「たまたま」震災の2ヶ月前に仕事の集中力を維持するための方法を1ヶ月以上の緊張性頭痛を経て学んでおり、それも非常に役に立った。(※)一般的に社会的活動が破壊されると、やはりストレスや鬱病に繋がっていく。(※ポモドーロ・テクニック)

土日に出来るだけ寝に入ったら布団から出ずにいると、眠り自体は浅くても7時間ほど寝れる。貴重な一週間のエネルギーである。
金土日に2週間連続で出張などが入った時は苛烈で、視界の下1/4が欠損し、常時脳が泡風呂に付けられている感覚があった。意識は朦朧。後述する動悸とは別に、心臓付近が強く重く痛む。これは意識を失ったらもうこの世には居ないかもしれないと思えるほどだった。その時期運転などは控えることになった。
仕事は意識が明瞭なときに出来るだけ簡単なものを用意しておくことで対応した。

これは約半年弱続く。

多少アルコールを摂取してみたが、翌日に完全に影響が無い量だと効果は薄かった事、
精神的に不安定になったりすることはなかった事を付け加えておく。

■動悸

仕事が始まって1ヶ月が過ぎる頃、起床からの出社後付近の時間に非常に動悸が強くなるようになった。
これはかなりの痛みを伴うもので、ほっておけば10分程度で収まるが、AEDの前でおとなしくしておこうか、と思えるほどのものだ。この10分は酸欠の金魚のように上を向いてパクパクしているものの、過ぎ去ったら普通に仕事が出来る。このレベルの苦痛になると悟られないようにするのは難しい。

出典を忘れてしまったがどこかの文献に「これは通常2週間から3週間で収まる」とあったので、気にしすぎないようにする。何となく気分が落ち着きそうな味噌汁を食事に加えておとなしくする。

驚くべき事に文献の通り21日目を境にピタリと収まった。

 

■まとめ

震災ダメージがかなり少ないと思われる私ではあったが、それでも若干影響があった。
対策を入念に練ることにより、最悪と思われる震災による鬱病の発症や過労死は回避出来た。

全く会話は通じないため、普段から情緒や精神に適切に負荷を与えていない人の場合、さらに過酷なものになるだろう。
これで家族ごと別な所に移るような形だとまだ会話する相手がいていいかもしれない。
私の場合震災ストレスはかなりの肉体的な苦痛を伴った。

理想的に残業がない労働のケースではなく、帰ってからも仕事がある過労と合わさっているケースなので、現在の労働状況には参考に出来る部分が多いと思う。

出向先が理想的な労働環境を持つ職場でなかったら、さらに過酷な事になっていただろう。