70 岩手県陸前高田市

岩手県陸前高田市。
私はこの時点まで陸前高田市を壊滅としか聞いていない。映像ではなく実際に見るのは初めてだ。

まず陸前高田市は岩手県沿岸の最南端である。宮城県気仙沼市の上であるが、この県境から何となく性格も大人しくなってくる。宮城県は結構性格が荒っぽいという。わずかな距離の違いだが、岩手に入った方が仕事をしやすいとこぼす人も居る。
確かに大船渡に居ると妙に人当たりが柔らかく感じる。まあ、田舎である。景色的にも素晴らしいところだった。

陸前高田市は何度も当話には登場している。この震災まで歴史的にも何故か?陸前高田には苛烈な津波はきていない、と当時高田病院に入院中だった津波災害史研究家の山下文男氏も述べている。
(2011年12月13日に逝去)

「まもなく陸前高田 陸前高田でございます・・・・」
中心地に入る度に呟いていた言葉だ。

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「なんというかこれは・・・・・・・」
仙台湾周辺は確かにとてつもない破壊であったが、仙台市中心部が視界に入るため、まだ安心が出来る。
陸前高田市は山とかろうじて流れなかった大きな建築物(デパートや病院)以外が消滅している。そしてさらに南三陸町より広い。
芸能人が来ていた昼間の南三陸町と異なり、夕暮れが過ぎた頃の暗さの中、えんえんと終わりの無いがれきの隙間を進んで行く。
鳥も鳴かない時間帯で、車とすれ違うことも少ない。
ただひたすら道路だけを避けるがれきが迫るように大きく、しかし静かに伏せている。

海岸付近以外あまり隙間がないイメージのある街だったが・・・・

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岩手県陸前高田市
人口 24,246名
死者数 1,555名
行方不明者数 234名

(岩手県発表 人口は当時のもの)

「陸前高田市では・・・・
市街地のほぼ全てにあたる・・・
およそ5000世帯が津波で水没していることがわかりました・・・

陸前高田市の人口23000人のうち・・・
17000人の安否が確認出来ていません・・・・」

当時のラジオ

「日本百景と言われた高田松原広田海水浴場ですが・・・・道路ごと無い」
当時、最短の、そして大きい橋が柱数本を残して消滅しており、迂回してよくわからなかったが、砂浜も残っているのか怪しい。
ただ”奇跡の一本松”が立つだけだ。
そばの野球場は三日月のようにスタンドを残すのみで、海に還っているように見える。

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陸前高田市、奇跡の一本松。震災前は防風林として松がギッシリと生えていた

何年か前にポールアンカのCDを買った店も、どこにあるかわからない。
波は南三陸町同様3階立ての建物屋上まで流し、集合住宅の5階にも到達した。

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陸前高田市はしかし、市長があらゆる手段を用いて復興を果たそうと懸命である。
市長は震災で家族を失ったが、被災地の中で最も復興に意欲がある市長と言われている。
その手段に関して陸前高田市では様々な案を進めている。

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案に賛否はもちろんあれど、やる気があるのだ。そもそもこんな破壊を受けたのだ。例などあるわけはなく、やってみなきゃわからない。

一例としてがれきの処理について陸前高田市がプラントを作りたいと持ち出したところ、現行法では無理で、許可が出ても2年後であると門前払いを受けたという。つまり、ダメ、で終わりだ。

市長の要望を形にするはずの中枢である東京都はおろか、岩手県(県庁所在地の盛岡市は非常に深い内陸に存在する。岩手県は県で最も巨大な面積を誇り、地図で言うと中央のやや左上にある)すら別な国のような対応で、何かを使用とすればただ「今の法律では無理だ」というだけだという。
廃墟の前でVサインをし、写真を撮って帰っていく国会議員。
復興局は何故か被災地から遥かに遠い盛岡市。
(確かに新幹線ですぐに移動でき、東京へのアクセスは速い。何故東京に復興庁があるのかは謎だが・・)
距離が遠いという事は必要なものがないし、物理的・精神的な距離も離れる。

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(被災地)”必死に懇願” > 県”はあ 国に確認してください” > 国”はあ・・・県に確認してください” > 国・県 ”よくわからないですが、とにかくダメ”

たらい回しはまだマシかも知れない。もし垂直統合で、県を通さないと国に繋がらなかったらどうなるだろうか。
仕事で商品を作るとき、作りたい商品説明が上に伝わっていく過程が伝言ゲームになるのを想像して戴きたい。何が起こるか想像が容易なはずだ。
目の前にあるガソリンすら、省庁の所有権の違いで自衛隊員は触れてはならない、給油するなと連絡があったという。

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日本は災害が多い割にあまり経験を活かしていない(恐らく、戦争程度でしか被害が出ない中央東京に機能が一極集中しているため、頭でしか考えられず、経験が無いに等しい)。
学校で習った知識は、経験に対してかなり無価値である。

私は産業の保護だの正規の手続きだのこの「平時のガソリン給油手続き」を守らせることが、死にそうな人間を乗せた救急車の運転手に信号、時速20km制限、見晴らしのやたら良い箇所での一旦停止、飲酒運転検問をしっかりと守らせるように見えた。「はい緊急時走行は60kmまで。7kmオーバーだったねー。免許証出してー」

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。これは愚者はマヌケな失敗をしないと学べない、と捉えがちだが、賢者もまた歴史がなくても経験で学べる事を意味する。
しかも「何に使うのかわからない勉強」がほとんどだった賢者気取りの都合の良い解釈はそこには入らない。賢者が歴史から学んだのか、愚者が歴史から学んだ気になったのか、また都合良く利用しただけなのかは一見というか、さっぱりわからない。致命的な結果が出るまで。
ストレートに言ってしまうと、福島原発の位置を昭和三陸大津波を経験した分数のかけ算が出来ない老人を連れてきて判断させ従っただけで、何千時間も何に使うのかわからないような勉強をして大学を出た連中の出した結論よりまともな結論が出たと考えている。

自転車を何十年勉強しても、運転したことがないならコケないわけがない。これは決して忘れないで欲しい。年を取ってくるとそこをサボって解った気になろうとする。
「あれ?これでうまくいかないはずがないんだけど」・・・残念ながら、どんなくだらない事でも現実はたいがい想像の数倍厳しい。

「”1000年に一度の災害”というなら、1000年に一度の規制緩和をして欲しい」

市長は復旧復興に大声を上げるのはあまり好ましくなかったと言うが、
「泣かない赤ちゃんにミルクはあげない」
という状況が出来ているという。

後に奇跡の一本松は枯死が確認された。

参考 被災地の本当の話をしよう ワニブックス
(異様な量の規制が詳しく書かれています)

69 所感 自粛2

節電の影響で、特にライトアップにも自粛が見られた。電力に余裕のある春の夜に節電する”必要”はない。
某所で桜のライトアップをするって公式HPに書いてあったので行ったら、しっかりと中止!往復300kmも移動したのに・・・!
ちょっと心でも洗われるものを見に行くか、と思ったらバチが当たった。
散る桜 残る桜も 散る桜・・・・

自粛とは何なのか。他者を悪い意味でなんらかの刺激しないための慎んだ行動、としよう。被災地では2種類。(たぶん・・)

まず「痛みを分かち合う」ために「贅沢をしない」「楽しまない」というものだ。

家が残っているだけで「申し訳ない」と考える人も居るし、生きているのが申し訳ないと言う人も居る。たとえば(仲が良いなら)家族が入院したときに心から酒を楽しんだりできないものだ。自然な感情であるといえる。

これに近いのだが、もう一つ。「妬みや怒りをかわす」ために「贅沢をしない」「楽しまない」というものだ。

自動車が流される頃スポーツタイプの車を買うために貯金していた母は通常の乗用車を購入した。近所の視線があるからだ。
内陸の人間が被災直後に有名な石巻の日和山に花見で来て、がれきを眺めながら酔っ払い始めたら気の荒い地元住民にいきなり殴られるかもしれない。
妬みやら怒りをぶつけられることを普通の人は嫌うため、自粛するということになる。触らぬ神にたたりなしだ。
家が残っているだけで「向けられる白い目が怖い」と言う人も居る。
「酷い・・・ですね」ではなく「すげーすげー」といいながら撮る「写メ」が怒られるのに似ている。
行為は一緒だが、この微妙な違いが自粛の有無の意味合いを持つ。

前者は何も述べる必要は無いが、後者はむしろそのくらい大目に見ろという話にもなるし、小さいヤツだな、という話にもなる。しかし、人は人に簡単に白い目を向けてしまうようだ。
被災地では特にいい歳をした大人は、あらゆるものが自粛対象になる。一方、子供は許される。
「人はある程度人の気持ちを分かってくれるもの」への期待なのかもしれない。

花見を精神面、経済面で見ていってみよう。花見で盛り上がる。酒を飲む!確かに被災地の経済が回る。酒造業界は酒が売れるのは素晴らしい。某酒造会社の社員は言う。

――(酒蔵の名前)さんも結構被害あったでしょう?
「品質とか心配されますから具体的に口に出せないですけど、被害は大きいです」
彼らはお酒を沢山買ってもらえると、とてもありがたいだろう。

しかし4月初旬、東日本太平洋沿岸部はどういう状態だっただろうか?めちゃくちゃである。連日目に見える場所で遺体が上げられるのだ。終わりはない。
被災者の気持ちとしては、ああ東京では花見が出来るんだな、それは素晴らしい!ただ、あまりその様子を見たいとは思わないので勝手にやってくれ、というのが自然な反応かも知れない。物理的に東京は目が届かないので、まさしく「勝手にやってくれ」だ。
ところが見える範囲、テレビでもバラエティで花見を流して、結果合理的に・・・被災地の飲酒の消費を煽ったとしよう。
しかし被災地の子供はそんな大人を見てどう思うだろうか?私はあまり子供にとっていい印象を与えるとは思えない。

早めにバラエティなど再開した局にはかなりの不評な眼が向けられたようで、もっと自粛しろという話も出た。イメージ最重要の民間の企業のCMからACのCMに変わり、そしてそれが長期にわたって続いたのは”合理的”な判断といえると思う。
私自身、あまり時間が経ってない時期に脳天気な番組をみると「そいつは良かったな!」とテレビのチャンネルを回したくなったモノである。

人間はあまり合理的ではない。ただ感情で生きる生物である。
自分の現在の教養や体格は望んだとおり合理的か・・・
今までしてきた仕事・・・合理的だっただろうか・・・・
怒らなくて良い所で怒る・・・折れなくて良い所で折れる・・・
そういう生き物だ。

■戦場で戦う兵士たちにも合理的なはずだった月面着陸■

ベトナム戦争というアメリカを代表する資本主義VSソビエト連邦を代表する共産主義の泥沼の戦いの最中、アメリカは月へ行った。アポロ計画である。
※ソ連・・・・今で言うロシアのこと。旧ソ連。

この当時、アメリカが月に行くという行為には非常に意味があった。当時世界最高と言われたソ連のミサイルの性能をアメリカは上回ったぞ、ということを意味するのだ。だからベトナムで戦う兵士たちにもありがたいはずだった。少なくとも失敗するよりはいいし、打ち上げないでミサイルの性能はソ連が最高だ、と思い続けられるよりもいいはずだ。

しかし「映像の世紀」(NHK)でアメリカ兵はこう語っているのを取り上げている。

”それはひどく不気味な光景だった。
アメリカという国はベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万の我々全員よりも、月面にいるたった二人の男のことのほうをずっと心配していたのだ。
得体の知れない感情が、こみ上げてきた。”

私個人の意見としては、子供が高熱を出したときに親が食事も忘れて熱を冷ましてくれる方が教育には”絶対に”良いと思う。合理的とはいえ、たいして時間も経ってないのにちょっとうまいもの食って体力補給するぞ、と親がウナギをほおばる姿はみせないほうがいい。
精神は人間にとって非常に大きいウェイトを占める。今ではどうやって”合理的”に良好な精神状態を保つのか、とメンタルトレーニングがあるほどだ。

「痛みを分かち合う」というのは精神論ということで何故か?馬鹿にされがちであるが、人は精神で動く。経済面・精神面、同時に考えて戴きたいとも思うのである。どちらに傾倒せよというわけではない。

結果、花見は行われつつも、ライトアップなどは控えつつ、平年より適度に静かになったという。
自粛しろと行った都知事も効果があったかもしれないし、そもそも自粛者は都知事関係なく自粛するから意味がなかったかも知れない。
結果として、バランスがとれた花見だったとは思う。

「とんでもないことを言うな!都知事!」というより、「面白い事言うね!でも募金箱置けとか、家では酒を楽しめくらいのことを言ってほしかったね」くらいにとどめておいて欲しいとは思うのである。

ちなみに最近は日本酒のレベルが上がってきている。
一時期の焼酎のハイレベル化で日本酒から離れた方、いかがだろうか。
安いところでは冷やした一ノ蔵・本醸造辛口あたりから入るのが良いだろう。

68 所感 – 自粛 1

これは難しい話になる。
短い文にまとめただけでは、誰も納得しない問題だ。

被災地にあるものの、設備は被災を免れた塗装工さんとの話である。

――お仕事増えました?
「ええ、ものすごく増えた」
――いいですね。結構儲かりますか?
「それがね、どうしてもいつものお金を取る気にならないんです。だからあんまりお金にならないんですよ」

そういった話をすると、「復興という名のビジネスチャンス」と捉えた企業の取り組みにネガティブなイメージを持たれているのではないかと警戒される。
実際にはガンガン地元に金が落ちてきた方が復興も早いはずだ。
キャバクラに勤める女性は震災後一時的に売れ行きがあがったと話してくれた。(なぜ一時的で終わってしまったのかはこれまた様々な要素があるらしく、難しい話になる)

もちろん無意味なものをあたかも役に立つように売りつけてきたり、常より高い金額でふんだくるような行為は平時でも許されないわけである。(残念ながらふんだくるような行為は一部で行われているようだが)

塗装工さんは「普段通りの請求」という権利、即ち儲けを自粛している。
自分の家が残っているのも申し訳ないという人も居る。自粛とは何なのだろうか。

これはかなり人間の深いところに切り込んでいく必要がある。
私如きがどうこう言えるか難しいが、それでも何かの役に立つかも知れないと言うことで、実際にあったことから考えていくことにしよう。

石原都知事は「花見を自粛するように」といった。理由は本人が言うように、我慢、連帯感等の精神的なものである。
これを受けて、「被災地の経済活動に打撃が加わるため、花見を自粛するのは合理的ではない」という花見自粛非合理的論が展開した。
次に、「警察や仮設トイレは被災地へ行っているし、節電中である」花見自粛合理的論も現れた。

この議論は無視できないレベルでの「アンチ花見酒」論者や「アンチ石原」論者の介入により、混沌を極めたように思える。

まず自粛とは関係ないが、「石原発言」について述べておく。
「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」

この意見はものすごい勢いで「不謹慎」「許せない」と否定されていたが、私の知りうる限りの現地はどうだっただろうか?
石原発言を知る被災者は「そうかもしれんなあ・・・」という意見を上げたり、特に何も述べず、怒ってる様子や悲しんでる様子もなく、コメントが難しそうな顔をする反応が見られた。

流石にこれだけだと判断が難しいだろう。だが、石原発言など知らない小学生の作文では
「人が科学を信じすぎ、調子にのりすぎたのではないでしょうか これは自然の罰だとおもいます 私たちは反省するべきだと思います」
という論調の作文が多く見られたのである(NHK 他)(同様に、海が嫌いになりました、海が憎いという作文も多数見られたということを付け加えておく)
これは石原発言とほぼ同一とみて問題はない。

被災者の小学生がいうとなると、罰、というのを「油断、想像力欠如(現状で十分だという我欲)に対するペナルティ」と真意を理解できる。理解しようとする。「石原都知事」ブランドのサングラスは取り去られているからだ。天罰発言を否定していた大人も賛同する。防災無線は動かず、防潮堤を信じ流され、津波を恐れずに流され、手抜きの原発は壊れた。これらはペナルティである。
罰、とは宗教的な表現であり、東北人がそんな悪い事をしたのか、という方向に捉えてしまった人も居るが、宗教的な表現を宗教的なまま捉えるのは問題がある。
被災者が「地獄だ」と言うのに対し、「血の池もないし、針の山もないじゃないか」というようなものだ。

たしかに天罰発言に関しては、「いい方」が一般受けはしないと思う。
さらに、
被災地と関係ない距離から、いい歳をして、政治家が、
という要素が強い。
ただ一般的に反対意見が出るのは良いとしても、個人としての人間で見ると、発言の真意を捉えようとすることが学ぼうとする人としての立場、姿勢だと考えている。「この人間は嫌いだ」という姿勢は考えがそこで止まってしまうし、矛盾が多く孕まれる。人間らしいとも言えるが・・・・

2に続きます

67 宮城県気仙沼市

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「なんだか先いけなくね?」
その突っ込みに私はイマイチ怪しくなった記憶の中を探ると、あの屋根が乗った高架は気仙沼線だったか・・・?思い出してきた。
「・・・・失礼、ナビに従いすぎた・・・」
しかしここまで破壊する必要もなかろうに。

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C-3-5
C-3-6

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C-5-2
C-5-3
C-5-5
C-5-6

真新しい木の棒にはこう書かれている。4の数字はない。
気仙沼市の身元不明遺体は1年過ぎた現在でも70体以上。

宮城県気仙沼市は憶えているかわからないが、この話が始まった頃に我が家に立ち寄った生存者が渋滞に捕まって被災した場所だ。津波火災でも語らせて貰った。

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宮城県気仙沼市
人口 68,765名
死者 1,032名
行方不明者 324名
(気仙沼市発表 人口は当時のもの)

「気仙沼市では市内全域で大規模な火災が発生しています・・・」
(当時のラジオ)

気仙沼市はとにかく渋滞する。沿岸沿いに宮城から岩手に抜けようとすると渋滞に捕まる場所がいくつかある。
仙台~松島の断続的渋滞、そして気仙沼。そのうち気仙沼以外は高速道路が開通。快適になったはずだった。それでも、冬にはノーマルタイヤでやってくる何もわかっていないドライバーが一車線しかない高速を事故で止め、気が狂うような渋滞を呼び起こす。

例によってまた渋滞なのだが、気仙沼はそもそも特別な理由が無く渋滞する場所だ。
震災時は渋滞だけではなく、地盤沈下、液状化、倒壊した塀が道路に転がり、自動車が通行不能になる場合も多い。有事は全てが有事であり、普段の当たり前はつくづく役に立たないのである。

例えば、海沿いでスーパーやデパートに車を止めるとき、一階ではなく上階に駐めておくと津波から車が助かるかも知れない。(助かった車も隣の車にぶつかって自車のだけではあるが、修理代を払うハメになりちょっとガッカリすることもあったが・・・・)

この三陸沿岸に共通する2010年発生した「チリ地震津波」が警報の割に1m強であまり大した事がなかった、という「何も起きなかった警報は無価値化する」という習性も悪い方向に左右した。
人間はつくづく、慣れ、安心で手を抜いてしまうのである。

「地盤沈下だ」
気仙沼港は大幅に地盤が沈下し、湾港は大きい被害を受けた。宮城県北部にある港の中でも人気のあった気仙沼港ではあったが(この人気がある港、無い港を語っていくだけでこれまた成功例失敗例で 私に完成させるのは無理だが 一冊出来上がるわけで・・・)、かさ上げが必要になってしまったため復旧にかなりの時間がかかる。

地盤沈下で生じた漁港の被害は大きい。だが、なんでか知らないが魚やウニなどは非常にたくさんいたらしく、2011年は豊漁だという。
フカヒレで有名で、ラーメンに入れる必要性は不明だが、そもそもフカヒレはスープで愛されているので親和性が高いのかも知れない。実はこのフカヒレラーメン、通になかなか人気がある。本当においしいのかも知れない。
ちなみに被災前の南三陸町では、とにかくアワビだったという。給食のカレーにさえアワビが入っているのに教員として就職した同期が文句を言っていた。

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66 宮城県南三陸町 芸能人 2

南三陸町は実家に帰る途中に通るし、ホテル観洋という非常に景色が良い人気のあるホテルに何度か泊まったことがある。
ヒラメを釣りに震災ちょっと前に遊びに来させていただいて、爆釣(50匹!!)したばかりだ。自分が食べられないだけ釣るのはあまり好きではないが・・・
その時の船頭さんは税務署に激しいチャージを受けたばかりでげんなりしていたが、津波は家の手前で止まってくれて助かった。

そんな私が被災後の南三陸町を初めて見たとき、南三陸町がどういった町だったか思い出すことが出来なかった。

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「これは・・・・・・・」
同乗者はあまり見たことがない土地ではあったがしかし
うまく言葉に出来ないが、これまでに見てきた町と異質なものである事は感じ取れた。
恐らく、女川の方が破壊力や波高は高い。しかし南三陸町は女川町より大きいせいだろうか。

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南三陸町
人口 17,666名
死者 565名
行方不明者 280名
志津川・歌津の中心部、またほとんどの集落が壊滅的被害

「南三陸町では住民約半数と連絡が取れていません・・・・」
(当時のラジオ。停電の中。)

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私は「これはなんなんだ」と繰り返すだけになっていた。

見当をつけるしかないような高さの津波は指定避難所となっていた屋上を保有する鉄骨3Fの防災対策庁舎を骨だけにした。
防災対策庁舎の周囲にも建物があり、たとえが何とも言えないが北海道の時計塔のようにぐるりを囲まれていたものであるがしかし、最早何も無い。

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この写真はかなり綺麗になっているが、当初はギッシリとがれきが絡み合っていた。
約40名が屋上に避難したが、生存したのは10名。
この街に起きた悲劇を並べるだけで本が成立する。
最後まで防災無線で避難を呼びかけた女性は教科書に掲載された。
(実際は寸前に避難をしたはずだったと考えられるが)
南三陸町は冒頭でも写真を添えて説明したので、ここでは深く掘り下げない。

さて中心的な通りの途中に「復興市」と看板が出ており、駐車場があり、誘導がいる。

誘導さんに聞く。
「何やるんですか、この復興市って」
「さ、さあ・・・?なんでしょうね・・・?」

なんか白々しいぞ。寄ってみるために駐車場に車を止める。しばらく歩くが、荒涼としている。
現場の志津川中学校に付くと、「円」がほとんど使えない!
募金箱も無いので申し訳ない事にあまりお金を落としてくることは出来なかった。

当時5月の南三陸町志津川の水道復旧率、わずか1%。トイレすら申し訳ない。

現金

被災時に「現金もってないとダメだよ」と言う意見もある。しかし現金なんて2~3万円あれば大丈夫で、それも大抵丸々残るのではないか。
都会で被災が長期にわたった場合でも、お金が下ろせないような状況では円を使って入手するような物資も入ってこない。3000円も使えば買えるものを買い尽くしたという感じだろう。
案外たくさん持ってると、変なのに入られちゃうかもしれない。
しかし、急ぎでタクシーなどを多用する人は確かに持っていても良いと思う。

 

立ち寄ってからすぐに、何やら観客が盛り上がってきた。

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「エグザイルの登場です!!!」
ああ・・・なるほど・・・こういう事ね!

エグザイル様の勇姿をしばらく見た後、出ることとした。

さっきの駐車場の案内が聞いてくる。

「どうでしたか?終わりましたか?エグザイル」
「まだちょっとあると思いますよ」
そう答えると
「もうちょっとで忙しくなんぞー」
と回りに呼びかけていた。

「なんだか、考えたこともないエグザイルがかっこよく見えましたよ」
同乗者は興奮気味だった。

大抵の芸能人は立ち入りやすい、人口も多い石巻までしか来ない事が多い。南三陸町、気仙沼、陸前高田、大船渡はなかなか人が来てくれない。
(高速の兼ね合いもあるが、宮城の右上、岩手の沿岸、こいつらは本当に遠い・・・・)
「芸能人、こっちに来てくれねーんだよね」と寂しがる現地人は多かったのである。
マリリン・モンローが朝鮮戦争の慰問で兵士が喜んだことを考えるとパワーは大きいかもしれない。

我々はたまたま寄っただけで、今回は慰問が内緒になっていたせいか混雑は見られなかったが、芸能人目当てで来る他地域の人々で渋滞やらが発生して問題もあったようだ・・・紙しか入らない募金箱でもっと絞ってもいいってもんだ。

65 宮城県女川町 避難所となった原発

「高台に逃げろ 高台に逃げろ これが最後の放送です」
女川町 防災放送。
河北新報 2011年08月26日 証言 より

女川は非常に小さい町だ。5年に約1000人の人口が減って行っている。
しかし県民は誰でも知っている。
原発の存在があるからだ。

女川は中心部分が波高17mとも言われ、遡上は20m以上、信じがたい威力と高さを持って真横にビルをなぎ倒した。

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ビルの裏側はなかなか見た事が無いはずだ

「丘の上のどう見ても高台で安全に見える病院」も2m浸水、4名が死亡した。
またここだけではないが、引き波で引きずり込まれた建築物が海底に都市を形成しているという。
女川の津波で孤立した妻と母親をスキューバダイビングで生還させた英雄は世界で報道された。

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宮城県女川町
人口 10,016名
死者 575名
行方不明者 340名
家屋大半が全半壊、壊滅的被害

(女川町、宮城県発表)

「女川原発周辺で放射線量が通常の4倍検出されたということです・・・」
(当時のラジオ。実際は福島原発より飛散した放射性物質が原因だったが、現地を知らない宮城県民にとって恐怖の対象となったはずだ)

女川原発に津波は直撃。しかし耐えた。そして避難所としても機能した。頑丈な場所はかくあるべき、と思わせる何かがある。

「明治三陸津波や昭和三陸津波よりも震源が南にある地震,例えば貞観や慶長等の地震による津波の波高はもっと大きくなることもあろう。」(東北電力)
東北電力は昭和45年に敷地標高14.8mを津波対策に決定。
この根拠の優れたところは、当時発見されていた物的な証拠(堆積物等)では無く、古文書を信じたところにある。
本震災で直撃した津波は約13m。防ぎきることになる。

通常、会社とはなるべく無駄なお金を使わないために、「セキュリティには必要十分と”思い込みたい”だけお金をかける」かけるものだ。往々にして必要なお金もかけずに崩壊することになる。
本社の所在地仙台が女川に近い(直線で60km)と言う事もあったのか、元々真っ当な人間とはこういうものだからか・・・・(この表現は、最終章に真っ当ではない人間が登場するためになる)

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女川原発反対の看板がイヤでも原発を意識させる。「事故で止まるか みんなで止めるか」歯切れが良いフレーズであり、非常に良く出来ている。

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海上保安庁「ざおう」が厳重に女川原発を警備する。
非常に頼もしい光景だが、このコストはどこが・・・まあ実践演習をかねてだろうか・・・
もともと、海上保安庁の原発反対派排除は本当かどうか知らないがよく聞く話ではある

女川と言う事で明るいクジラの話もしておく。女川の某氏から「某クジラの尾の身」をいただいたが、これは今まで食べた肉の中で最もおいしいとすぐに確信出来るものだった。
クジラは、というより生物の肉の味を評価するに当たって、新鮮な尾の身の刺身を食べてから評価していただきたい。

参考 東北電力株式会社 女川原子力発電所における津波評価・対策の経緯について

64 東松島市 ノアの箱船

東松島市は沿岸の指定避難所に逃げ込んだが数多い犠牲者を出した。

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東松島市

人口 43,153名
死者数 1047名
行方不明者数 57名
全世帯の約73%が全半壊
(東松島市発表)

「仙石線の野蒜付近を走行していた車両と連絡が取れていません・・・」
(当時のラジオ)

全世帯の73%が全半壊というのは異常な破壊力である。

当時のラジオで発表されていた仙石線は上りと下りで東松島市の野蒜駅を出たばかりの時に地震に遭い、片方は指定避難所まで連れて行き犠牲者を出した。
片方は乗客の地元住民の一人が「ここは高台だから動くな」と指示を出し、車掌共々それに全員従い無事であった。
前に進んでも先に進んでも津波でダメだった、という。
指定避難所だった野蒜駅からさらに置くにある野蒜小学校体育館は3mほどの津波に襲われ、2Fギャラリーにしがみついて助かるような惨劇になった。水が引いたと同時に、遺体が転がっている状態である。
ギャラリーでは低体温症で亡くなる人が出る極寒の中一晩過ごす絶望的な状況下で、小学生は「野蒜小ファイト!」と声を出したという。

校舎に逃げれば助かったのではないか、と言われるこの小学校は東北大が監修した防災マップの浸水想定区域に入っておらず、地震に対して頑丈な体育館が避難所となっていた。

「またかよ!○○大、アテにならねーじゃねーか!」
とガラの悪い声が聞こえてきそうだが、まあその通りで、自然様にはまだまだ学者はあまりアテにならないようだ。

しかし、東松島市に誰よりも危機意識を持った、ノアのような人物が居た。

「津波は建物じゃダメだ、山に避難所を作ろう」
この東松島市には退職金を費やし、10年をかけて山の岩に道を作り避難所を作った「佐藤さん」と呼ばれる人が居る。
小屋も作り、食料も用意し、看板も作った。
地元住民はここに津波はこないだろう、と笑っていた。
完成した頃佐藤さんは市に指定避難所に「佐藤山」を、と嘆願したが、相手にはされなかった。

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powered by Google (野蒜小学校は野蒜駅の左方面)

そして2011年3月11日当日、懸念していた大津波は絶望的な破壊力でやってきた。
そのとき「佐藤山」は70名の命を救ったという。

参考
河北新報 指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波
朝日新聞 手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島

63 多賀城

朝日が出ると
林に大きい自動車がたくさん生えている
エンジンが重く、下を向いたまま流されて
人でも入りたがらないような狭い木々の隙間に
逆立ちのまま埋め込まれているのだ

不自然な影を地面に映す木漏れ日の
あまりの幻想的なその光景に息をのんだ

その光景に出くわして私がそこを撮らなかったというのは、私が何を求めていたのかわからない。
なんでだろうか?

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多賀城市。

 

「ここを超えれば、たばこを買える」
ある七ヶ浜町の喫煙者。浸水範囲から仙台側に離れたところではタバコが売り切れになっていなかったため。
七ヶ浜町はどこに行くにも浸水範囲を通る必要があった。当時は道路がない。

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多賀城~東松島が今回の舞台である。

まずは多賀城。
石巻の山津波ではないが、やはり津波は1方行、等速度でくるものではないと教えてくれる。

例によって、多賀城は防災無線の大半が鳴らなかった。
この同じMade in Japanで鉄板の安全運行と言われる新幹線と防災無線の差はなんなのか・・・

多賀城市は都市型津波を雄弁に語った。
他の地域、例えば仙台市などは大都市に見えるが、今回の被害の中心は一軒家が並ぶ住宅地区が主である。
今回の都市型津波の代表格がこの多賀城市である。
多賀城工場地帯は「崩れない建物」が集まっていた。

都市型津波はまず今まで以上に海が見えない。
崩れない建物が視界を遮り、海の方向がどうなっているかすらわからない。
建物が高いため、津波が生み出す唯一視認できる土煙もあまり見えない。

そして崩れない建物に波がぶつかると、水が急激に狭いところに入り込み、一気に速度が上がる。破壊力が増す。

建物を縫うように進んだ津波はたとえば前後同時にやってくる。2方向から一気に水が来るのだ。
現代において、津波は海から来るとは限らないのである。
さらに不運なことに、多賀城の激甚被害区域と海を挟むように砂押川という川があり、その川は海側に溢れてきた。

つまり最悪3方向から津波が来ることになる。

とはいえ崩れない建物があるわけで、車ごと浮き上がったところで何とか逃げ出す、と言う選択肢も生まれると言えば生まれる・・・

少々脇道にそれるが、ある被災者は言う。
「テレビでよくあるヘリで救助されるシーン。
みんなぐったりしてるでしょ?ただ一晩待ってただけなのにあんなぐったりするもんじゃないだろ、と思ってたんだよ。
ところが実際助けられる立場になったら、すごい安心してね、腰抜けちゃうんだよ。もう立つなんてとんでもない」

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yuriage
閖上中学校。

地震後に公民館に避難した人々は、世間話をしていた。
逃げなかった人もおのおのゆっくりしていた。

■ここで運悪く、
地震で防災無線は完全に故障していた。
津波が来るという警報はならない。

暫く経った後、公民館に入った人々がぞろぞろと出てきた。
車で移動移動する人々、歩く人々。

■ここで運悪く、
公民館の職員は「ここは2階までしかない。津波が来るときの避難所ではない、中学校に移動してほしい」 と溜まっている人々を閖上中学校に送ってしまっていた。

市では大津波の際、最低でも3階の建物に避難させるという方針があったという。
結論から言うと、2階に居れば助かった。しかし、本震災の平均生存者避難階数は2.9F(ウェザーニューズら)。市は大津波への避難所の周知が徹底していなかったという点で問題があるものの、2Fで助かったのは結果論かもしれない。

津波に実感を持てない逃げなかった人々は立ち話などゆっくりと話していた。

■ここで運悪く、
中学校へ向かう車道は渋滞していた。
その先の交通量が非常に多い交差点のそばで死亡事故が発生していたためである。
公民館から閖上中学校は地味に距離がある。
非常に広大な平地である仙台平野の移動の常として、自動車が使われる。

信号は停電で当然全て機能していない。

このとき既に水門にいて海の変化を見た人、マンホールから水が吹き出しているのを見た人は我に返っていた。
この街がすでに海のものであるという現実に気付いたように。
町内で叫びながら避難、あるいは説得した。

大津波が来るぞ、逃げろと言っても全く信じて貰えず、自動車のドアを開け、ラジオを最大にして訴えた人も居た。
後の生存者はその時、
「あの人は(頭が)大丈夫か」
と思ったという。

「車から降りろ、逃げろ!」
降りて逃げる人もいたが、
「渋滞中に交通違反するわけにもいけない」
と車内にとどまった人もいた。

「海の方に煙が見えるよ」
そう子供がつぶやいたとき、閖上は―BBCの表現を借りると―「水拭き」された。

閖上地区の死者は人口の1割を超えた。

家路につくときの事故渋滞なら、ツイてないで済んだが・・・
(防災無線の故障原因などには調査結果がかなり妙なこともあるのですが、深く突っ込めないのでここでは記述しません)

貞観13年
この海岸にありがたい十一面観音像が
波に「ゆりあげ」られていたのを漁師が見つけた
それ以来この土地を
ゆりあげ浜と呼ぶようになった

海を去ること数十百里
どこから陸でどこから海か
原野も道路も すべて蒼

船に乗るにもいとまあらず
山に登るにも及びがたし

溺死するもの千ばかり
資産苗稼
何も残らず

(日本三代実録)

それはこの貞観11年の大津波とあまりに近い。

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閖上中学校の時計は14:46で停止した。

参考

NHK 巨大津波 その時ひとはどう動いたか
河北新報 2011/8/3 証言

61 仙台 1

「ここに二つ市があったはずだね。名取市と、仙台市。なんというか、松島まで見えそうだ」

砂を靴で噛みながら閖上の神社に立つと、あまりにも見晴らしの良いその光景は、今後生まれてきた子供にここに街があったと言っても信じてもらえないのではないかと思えるものだ。

 

from_yuriage_to_sendai
「原爆という人災よりも、自然の力はさらに恐ろしかった」

広島で原爆被害にあった女性。中国新聞社より。

■被災面積を数値で比較

・第二次世界大戦のヒロシマ・ナガサキ含む空襲被害総面積 640平方キロメートル

・東日本大震災の浸水地域 561平方キロメートル
・福島原発居住禁止区域 約1100平方キロメートル

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冒頭の写真は名取市閖上地区の神社より北方面を撮影。壮大な地平線がある。
仙台湾を襲った津波は内陸6kmまで到達。沿岸のことごとくをさらった。
これは原爆被害に遭った女性が語ったとおり、被害面積という意味では原爆を圧倒する。
この神社は象徴的な場所である。

Japanese town of Yuriage ‘wiped from the map’
ユリアゲは地図から”水拭き”された – BBC イギリス


神社は津波から残った、やっぱり先達はすごい!という意見はある。ただ本当に昔からある、津波を避ける位置のもの以外結局流れた。
古くからあって生存していったものが残るというものもあれば、ここまで津波が来るぞという本当に目安となる(津神社、浪分神社などモロな名前が付いている)ものもある。
それは歴史に詳しくないと判断が難しい。避難の時の目安にするのは危険である。高い所に逃げよ!(まあ私もお堂に居たわけだが・・・)

ちょっと考えて見ることにしよう・・
海岸から自動車を使わずに避難できるだろうか・・
もしくは、する気になるだろうか・・

市は自動車での避難は推奨していないが、結局自動車しかないという広大さが仙台平野には多分にある。

様々な要素で閖上の人的被害は拡大する。