64 東松島市 ノアの箱船

東松島市は沿岸の指定避難所に逃げ込んだが数多い犠牲者を出した。

higashimatsushima

東松島市

人口 43,153名
死者数 1047名
行方不明者数 57名
全世帯の約73%が全半壊
(東松島市発表)

「仙石線の野蒜付近を走行していた車両と連絡が取れていません・・・」
(当時のラジオ)

全世帯の73%が全半壊というのは異常な破壊力である。

当時のラジオで発表されていた仙石線は上りと下りで東松島市の野蒜駅を出たばかりの時に地震に遭い、片方は指定避難所まで連れて行き犠牲者を出した。
片方は乗客の地元住民の一人が「ここは高台だから動くな」と指示を出し、車掌共々それに全員従い無事であった。
前に進んでも先に進んでも津波でダメだった、という。
指定避難所だった野蒜駅からさらに置くにある野蒜小学校体育館は3mほどの津波に襲われ、2Fギャラリーにしがみついて助かるような惨劇になった。水が引いたと同時に、遺体が転がっている状態である。
ギャラリーでは低体温症で亡くなる人が出る極寒の中一晩過ごす絶望的な状況下で、小学生は「野蒜小ファイト!」と声を出したという。

校舎に逃げれば助かったのではないか、と言われるこの小学校は東北大が監修した防災マップの浸水想定区域に入っておらず、地震に対して頑丈な体育館が避難所となっていた。

「またかよ!○○大、アテにならねーじゃねーか!」
とガラの悪い声が聞こえてきそうだが、まあその通りで、自然様にはまだまだ学者はあまりアテにならないようだ。

しかし、東松島市に誰よりも危機意識を持った、ノアのような人物が居た。

「津波は建物じゃダメだ、山に避難所を作ろう」
この東松島市には退職金を費やし、10年をかけて山の岩に道を作り避難所を作った「佐藤さん」と呼ばれる人が居る。
小屋も作り、食料も用意し、看板も作った。
地元住民はここに津波はこないだろう、と笑っていた。
完成した頃佐藤さんは市に指定避難所に「佐藤山」を、と嘆願したが、相手にはされなかった。

satoyama
powered by Google (野蒜小学校は野蒜駅の左方面)

そして2011年3月11日当日、懸念していた大津波は絶望的な破壊力でやってきた。
そのとき「佐藤山」は70名の命を救ったという。

参考
河北新報 指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波
朝日新聞 手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島