70 岩手県陸前高田市

岩手県陸前高田市。
私はこの時点まで陸前高田市を壊滅としか聞いていない。映像ではなく実際に見るのは初めてだ。

まず陸前高田市は岩手県沿岸の最南端である。宮城県気仙沼市の上であるが、この県境から何となく性格も大人しくなってくる。宮城県は結構性格が荒っぽいという。わずかな距離の違いだが、岩手に入った方が仕事をしやすいとこぼす人も居る。
確かに大船渡に居ると妙に人当たりが柔らかく感じる。まあ、田舎である。景色的にも素晴らしいところだった。

陸前高田市は何度も当話には登場している。この震災まで歴史的にも何故か?陸前高田には苛烈な津波はきていない、と当時高田病院に入院中だった津波災害史研究家の山下文男氏も述べている。
(2011年12月13日に逝去)

「まもなく陸前高田 陸前高田でございます・・・・」
中心地に入る度に呟いていた言葉だ。

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「なんというかこれは・・・・・・・」
仙台湾周辺は確かにとてつもない破壊であったが、仙台市中心部が視界に入るため、まだ安心が出来る。
陸前高田市は山とかろうじて流れなかった大きな建築物(デパートや病院)以外が消滅している。そしてさらに南三陸町より広い。
芸能人が来ていた昼間の南三陸町と異なり、夕暮れが過ぎた頃の暗さの中、えんえんと終わりの無いがれきの隙間を進んで行く。
鳥も鳴かない時間帯で、車とすれ違うことも少ない。
ただひたすら道路だけを避けるがれきが迫るように大きく、しかし静かに伏せている。

海岸付近以外あまり隙間がないイメージのある街だったが・・・・

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岩手県陸前高田市
人口 24,246名
死者数 1,555名
行方不明者数 234名

(岩手県発表 人口は当時のもの)

「陸前高田市では・・・・
市街地のほぼ全てにあたる・・・
およそ5000世帯が津波で水没していることがわかりました・・・

陸前高田市の人口23000人のうち・・・
17000人の安否が確認出来ていません・・・・」

当時のラジオ

「日本百景と言われた高田松原広田海水浴場ですが・・・・道路ごと無い」
当時、最短の、そして大きい橋が柱数本を残して消滅しており、迂回してよくわからなかったが、砂浜も残っているのか怪しい。
ただ”奇跡の一本松”が立つだけだ。
そばの野球場は三日月のようにスタンドを残すのみで、海に還っているように見える。

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陸前高田市、奇跡の一本松。震災前は防風林として松がギッシリと生えていた

何年か前にポールアンカのCDを買った店も、どこにあるかわからない。
波は南三陸町同様3階立ての建物屋上まで流し、集合住宅の5階にも到達した。

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陸前高田市はしかし、市長があらゆる手段を用いて復興を果たそうと懸命である。
市長は震災で家族を失ったが、被災地の中で最も復興に意欲がある市長と言われている。
その手段に関して陸前高田市では様々な案を進めている。

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案に賛否はもちろんあれど、やる気があるのだ。そもそもこんな破壊を受けたのだ。例などあるわけはなく、やってみなきゃわからない。

一例としてがれきの処理について陸前高田市がプラントを作りたいと持ち出したところ、現行法では無理で、許可が出ても2年後であると門前払いを受けたという。つまり、ダメ、で終わりだ。

市長の要望を形にするはずの中枢である東京都はおろか、岩手県(県庁所在地の盛岡市は非常に深い内陸に存在する。岩手県は県で最も巨大な面積を誇り、地図で言うと中央のやや左上にある)すら別な国のような対応で、何かを使用とすればただ「今の法律では無理だ」というだけだという。
廃墟の前でVサインをし、写真を撮って帰っていく国会議員。
復興局は何故か被災地から遥かに遠い盛岡市。
(確かに新幹線ですぐに移動でき、東京へのアクセスは速い。何故東京に復興庁があるのかは謎だが・・)
距離が遠いという事は必要なものがないし、物理的・精神的な距離も離れる。

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(被災地)”必死に懇願” > 県”はあ 国に確認してください” > 国”はあ・・・県に確認してください” > 国・県 ”よくわからないですが、とにかくダメ”

たらい回しはまだマシかも知れない。もし垂直統合で、県を通さないと国に繋がらなかったらどうなるだろうか。
仕事で商品を作るとき、作りたい商品説明が上に伝わっていく過程が伝言ゲームになるのを想像して戴きたい。何が起こるか想像が容易なはずだ。
目の前にあるガソリンすら、省庁の所有権の違いで自衛隊員は触れてはならない、給油するなと連絡があったという。

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日本は災害が多い割にあまり経験を活かしていない(恐らく、戦争程度でしか被害が出ない中央東京に機能が一極集中しているため、頭でしか考えられず、経験が無いに等しい)。
学校で習った知識は、経験に対してかなり無価値である。

私は産業の保護だの正規の手続きだのこの「平時のガソリン給油手続き」を守らせることが、死にそうな人間を乗せた救急車の運転手に信号、時速20km制限、見晴らしのやたら良い箇所での一旦停止、飲酒運転検問をしっかりと守らせるように見えた。「はい緊急時走行は60kmまで。7kmオーバーだったねー。免許証出してー」

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。これは愚者はマヌケな失敗をしないと学べない、と捉えがちだが、賢者もまた歴史がなくても経験で学べる事を意味する。
しかも「何に使うのかわからない勉強」がほとんどだった賢者気取りの都合の良い解釈はそこには入らない。賢者が歴史から学んだのか、愚者が歴史から学んだ気になったのか、また都合良く利用しただけなのかは一見というか、さっぱりわからない。致命的な結果が出るまで。
ストレートに言ってしまうと、福島原発の位置を昭和三陸大津波を経験した分数のかけ算が出来ない老人を連れてきて判断させ従っただけで、何千時間も何に使うのかわからないような勉強をして大学を出た連中の出した結論よりまともな結論が出たと考えている。

自転車を何十年勉強しても、運転したことがないならコケないわけがない。これは決して忘れないで欲しい。年を取ってくるとそこをサボって解った気になろうとする。
「あれ?これでうまくいかないはずがないんだけど」・・・残念ながら、どんなくだらない事でも現実はたいがい想像の数倍厳しい。

「”1000年に一度の災害”というなら、1000年に一度の規制緩和をして欲しい」

市長は復旧復興に大声を上げるのはあまり好ましくなかったと言うが、
「泣かない赤ちゃんにミルクはあげない」
という状況が出来ているという。

後に奇跡の一本松は枯死が確認された。

参考 被災地の本当の話をしよう ワニブックス
(異様な量の規制が詳しく書かれています)