熱中症

福利厚生担当だ。

 

暑い、何せ暑い。七ヶ浜にはまだこいのぼりが出ている。暑い。

昔はエアコンが無かった、と言う素晴らしいご意見もあるが、実際平均気温が上がっているし、緑は減った。なんだか確かに昔より暑く感じる。節電とはいえあんまり暑いとさすがに労働意欲も落ちる。

 

暑さはさておき、今年はなにせ東北、太平洋側では海には行けない。まあ、私は無事でも行く気にすらならないが・・・宮城県で一番人気という(美しさなら網地島だろうが)七ヶ浜町菖蒲田浜海水浴場もコンテナが転がっている有様で、というか海水浴場を構築していた石段などはねじ切れたままである。

 

まあ発狂寸前に陥るトレーニングでもして、来年の夏に浜辺の話題を、かっさらってけってこと。

 

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えっ。もう仕上がってる。

じゃあ、日本海側に金を落としてきな。

大津波 11

普段通る道路を避け大きく迂回し、それでも塩水にタイヤを塗らして家に着く。
ここでも灯油のにおいがする。あれほどの地震である。ここでも灯油をこぼしてしまう者が居ても無理はないだろう。

[ 17:30頃 浸水した多賀城駐屯地より七ヶ浜に向けボートにて自衛隊が展開 ]

家を出るとき声をかけた家の息子(29)が帰宅しており、こちらに気付いたのか声をかけてきた。
お互い大丈夫だったか、と話す。
(「生きていたか」じゃないのはまだ二人ともこの津波の破壊力を把握していなかったからでは無いかと今になって思う。いまなら間違いなく「おお、生きていたか」だ)
聞けば職場からどうにかこうにか家までたどり着いたという。
多賀城は水没していてこの七ヶ浜にはまず帰れないという事を聞いた。親は泊まりだろう。

「それよりさ、なんか灯油のにおいがしないか」
「そうそう 大代(多賀城市に属する、七ヶ浜に接した場所。近くにはさらに仙台港工場地帯を有する)にはもう凄い油が漂ってるよ コンビナートが津波でやられたから」
「それ火事になったらまずくね?」
「今火事になったら絶対に爆発するよ」

この地域には”爆発する恐れがあるときは避難すること”と言う規定がある。

「というかこれ絶対火事になるね」
と私は考える。実はたびたびこのコンビナートは火事になっている。
今現在良く火事になってないな、とすら思ってるほどだ。

お互い気を付けるように、と話を終える。
私は自宅に入ると日が落ちる前に速やかに逃げられるように、寝るところから玄関までの本や物を片付け通路を作った。
「異常なし」というメールを両親から貰う。(携帯(D社)はこの頃まで十分通じた)

 

このころから安否確認ラッシュが始まる。

 

――家族の他にも安否確認のメールはかなりの量で、なおバラバラに着て受信するのに時間がかかる。当然その間、電池は消耗する。受信出来ませんでした、という表示になってしまうまでも電気と時間がかかる。そしてこの状況では電気はかなり貴重だ。
さらに携帯を起動した直後にも”メール受信中・・・”となるため、必要な操作がなかなか行えない状態が続く。もちろん返信にも相当の時間がかかる。つまり電気がかかる。

安否確認はしないのが正しいのだろうか?

安否確認で反応が無いなら助けに行ける、もしくはそれにつながる行為が出来るという状況でないならばしないのも手だ。携帯を見れる状態ならばヘルプは被災者自身が出すと考えられる。
しかし安否確認しないのは相手次第で薄情と思われてしまうかもしれない。人間は合理性で動く生物では無い。難しい所である。

一通一通を受信できませんでした、受信できませんでした、受信しました、受信できませんでした、とノロノロ表示する携帯にいらだちながらも、こっちもこっちで薄情と思われないように返信する。
”なんでこいつらこんなに大げさに生死確認してくるんだ”と疑問を持った。”まるで被災者扱いだな”と。

私は何が起きてるのか解らない。ラジオは僅かに残った車のガソリンをつかって聞くしか無いため温存。携帯のワンセグ機能もまた電気が無いため貴重と判断し、引っ張ることにした。いずれ自然と停電がもたらすヒマに耐えられなくなるときが来たりするかもしれない。

帰りに運転している間ラジオを聞いていたはずだが、恐ろしい事に記憶が全く無い。抜け落ちている。一変した景色に目だけでは無く耳も奪われたのだろうか。

 

なにせ日が落ちたら真っ暗である。寝る以外は無い。暗いのが続くと眠気も出てくる。
メールの送受信に10分かかる頃になるとさすがに疲れて来るし、いつの間にか灯油のにおいにも慣れていた。とりあえず余震と爆発に対応するよう窓の近くで寝ないように布団を配置し、さっさと寝ることする。

なんだか長い1日だった。

 

おやすみなさい。

 

 

[ 20:00頃 JX日鉱日石エネルギー仙台製油所※より火災発生 ]

 

※JX日鉱日石エネルギー仙台製油所・・東北の灯油、ガソリン需要量半分を精製する巨大な製油所。仙台以外に多賀城市や七ヶ浜町に敷地が及ぶ。

大津波 10

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私が通ってきた道だが – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

「うん?」

来るときに通った道がゴミに覆われている。一つ一つが大きく重そうなゴミだ。それらに目を凝らし、起きている事をよく考えようとしても、やはり何か現実感が無い薄ぼんやりとした状態が邪魔をする。

消防車が赤色灯を光らせながら道路を塞ぎ、その手前で消防団員がUターンを促している。その消防車の後ろに見える景色は家を浮かべる海である。そもそもこんな所に海は無く、あんな所に家は無い。

波が無いというあり得ない海は無風も手伝い、空を写す巨大な鏡になっていた。
雪が止んだ後の抜けるような青空はくさび状に飛んでいく渡り鳥も交え、あまりにも幻想的だった。

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幻想的な青空だった。小さい画像では見えづらいが渡り鳥が飛ぶ。 – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

 

あの地震から2時間以上経過している。
山を下りた私は家路についていた。そこで今の光景に出会った。
消防団に指示されたとおりUターンを終えた私は近くの駐車場に車を止め少し歩いた。

辺りは酷い生木のにおいがする。
津波に耐えられずへし折れた無数の木々が太い幹から出すそのにおいは決して古木のものでは無い。頼りになるものの代名詞であった樹木が力ずくで即死させられているのだ。
そのにおいの中、海の方向を望む。普段からこんなに遠くまで見えただろうか。

 

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海側を望む。左下にある軽自動車の窓の雪はワイパーの形に切り取られており、それは悪い想像をさせる – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

どこからか生木のにおいに混じり灯油のにおいがする。誰かが火事を起こしてしまうのだろうか。”おいおい海水でさぞかしシケってるとはいえ、火事に気をつけろよ”、と悪態をつきながら駐車場に戻る。

「新沼?新沼か!」
いきなり目の前に現れたのはこの通りのそばに住む中学校の同級生、Y。柔道部だっただけあって相変わらず体が大きい。

私が
「おお、久しぶりだな。凄い事になったな。なんだか灯油」
としゃべっている途中で、Yは話になど耳に貸さず青い顔で訴える。
「かーちゃんが電話に出ないんだよ!」

一瞬間が空く。

「何?そいつは大変だな。でも家にいるなら大丈夫だろ」
Yの家は通りを挟んで海になってしまった側では無く、家々が綺麗な形を保っている側にある。一見無事に見える。

「車が無いんだよ!たぶん買い物に行ったから大丈夫だと思うんだけど なんで買い物に行くんだよ でも買い物に行ってるなら無事だよね」
「うん?うん。まあ大丈夫だろ」

私はこの時点ではまだ田んぼ、畑、海に近い家が少々切り取られただけという楽観的視点が残っている。

「探しに行くよ!俺!」
「探してやれ 大丈夫だと思うけど、何があっても悔いの残らないようにな」
「おお、おまえもな!」
ひとしきりわめいてYは消えた。

灯油のにおいが強い。時節はまだまだ寒い冬。灯油ストーブが主流なこの地域でのあの揺れはうっかり灯油をこぼしてしまった家も多いだろう。
しかしこの辺りは住宅密集地だ。大丈夫か。

灯油のにおいがする。火事に気をつけろ。

 

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住民だろうか。一変した町の様子に呆然と立ち尽くす – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

ホタル未だ飛ばず

撮影班です。

 

冷静に考えたのですが飛ばないから絶滅したと言うより田んぼに水が張らないからタマゴがかえらないだけなんじゃないかな、という感じがしてきました。

 

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写真は5月頃のものです。

もうしばらく待ってみましょう。

大津波 9

ここまでの所感

人は誰でも自分の命に、無限の責任を負っている。

津波浸水想定区域ここまで

想定を遙かに上回った破壊が、晒し者のように津波浸水想定区域の看板を残した – 岩手県大槌町から釜石市に向かう国道にて

避難の際、取り返しのつかないミスに繋がるであろう行為がいくつかある。

■地震の時点で津波を警戒していなかった
twitterを見て初めて津波を認識している。
本棚が倒れ、古くなった塀や瓦が破壊される程度の被害は弱い地震だと認識してしまったのである。 (そういえばこの町は地盤が固い) そして”弱い地震でも長ければ津波を警戒”という三陸に古くから伝わる伝承をこの時点で知らなかったのだ。
登校生徒の生存率が100%の釜石の小中学生に「このおっさんみたいなのが死んだんだよ」と言われそうだ。
正しい行為を上げるならば、周囲の様子を見るにしても猛ダッシュで一周。自動車(最低でも自転車を使わないと、多聞山まで遠い)に飛び乗って多聞山へ逃げる。トロトロと歩いているヒマなど無いはずだ。

■携帯で情報を見るのが遅い。
この大きさの地震では携帯はみんなメールだの何だの飛ばして繋がらないと思い込んでいた。しかし携帯は繋がった!まず携帯で情報を確認するのは賢明かもしれない。

通常ラジオをまず持っていない我々にとって、停電時に携帯以外の情報収集手段である町内放送が例えば点検中とか故障中などで動いていなかったら、津波に気付かずに死んでしまうだろう。

大地震が来たとき、たまたま町内放送が動かない・・・考えすぎだろうか?

■ヒゲを剃ってまで考える必要があった
これはもし津波浸水エリア、もしくはそのそばに住んでいるならば津波が起きたときの避難場所、最低持って行く物を決めておけばそれがベストだったはずだ。
私の住んでいる所は海に突き出た地形で海抜20m以上である。職場もかなり高いところで、さらに2Fにある。(そして後述するが、これは偶然ではない)もともと逃げるような場所では無い。ここが津波にやられるようならば、おそらくかなりの内陸にある仙台駅近くまで消滅するだろう。
しかし残念ながら巨大津波は存在する。逃げる場所は決めておこう。

またこれも後述することになるが、落ち着いているように見えるゆっくりした人間は死ぬだけの人間であることが多いようだ。これも後述するが、落ち着いてても急いで、落ち着かなくても急いで行動するのが正しい。

■もっと高いところを通っている道路で避難できた
ちょっと距離が遠くなり、さらに視界が悪い道なのでこれは判断が難しいが海抜40m近い道路を通って避難することが出来た。想定した津波の高さを考えると、そちらの逃走経路が正しかったと考えられる。

■津波の規模の予想
第一報がtwitterでの釜石で4mと聞き3倍の12mまで警戒していた。七ヶ浜は実際の波高が6.8~7.2m。一見良いように思える。しかし実際の釜石ではどうだっただろうか。

津波が到達する前の気象庁第一報発表は3mとなっている。そして釜石市が防災無線で住民に3mであると広報後、気象庁により修正され10mとなっている。

そしてこの10mは停電で伝わっていない。

残念ながらこの結果多くの死者を出す結果となってしまった。
私がもし3mと聞いていたら9mを想定し逃げただろう。1mで助かっただろうか。死んだだろうか。かなりシビアな体験になったかもしれない。

■まとめ
生き残るには確かに成功したが、成功は最低の母という。
生命が関わることにドラマは必要無く、偶然は許されない。自分のくだらない妄想による最悪というものがいかにつまらないものか思い知り、最速で、最短に逃げることを心がけたい。

坂の上の雲で有名な名参謀、秋山真之の言葉を借りて本所感をまとめる。
「完全な成功は無味無臭で、話のタネになるものでは無いのである」

大津波 8

しばらく続いた轟音がやみ、引き波が始まる。
水位が低くなり、ねじれるように破壊された黒い防波堤が顔を出す。
自動車、船舶、網のウキ、材木のようなものたちの様々な色が混じり合い、それらはまるで目的を持った人々の行列のように沖に向かって去って行く。

いつの間にか何件かある火力発電所の平屋建ての施設の壁が津波の方向にそった面だけ無くなり、文字通り筒抜けになっている。

私はカメラを持ちながら、あきれと感心が同居した顔をしていただろう。
その場に居た人々も、みんな唖然としていた。

多聞山から望む津波の光景はまるで陸地全体を船にして全速で沖に向かって走らせるような海そのものが右から左へ移動しているようだった。
轟音とともに青く分厚い板が陸地に -おそらくは無慈悲に- 突き進み続けた。

私は前述のようにこのあまりに大きい現象にあきれつつ感心しながら、詩のような言葉を津波の最中に何度も脳で反復していた。

押し寄せてきたものは死であり
押し寄せてきたものは破壊だった
故郷は無くなっただろう
せめてこの場に立ち会えたことに感謝する
彼の名は死なり 彼の名は破壊なり

私はもたらされたであろう破壊の原因である津波を目視出来たことにあきれながらも幸福を感じていた。どうせ「こんなもの」が来るなら現場に居たいと感じたのだ。
事故で自分の子供を失った親が最後どうなったのか状況を知りたがる気持ちのようなものだろうか、とも思う。

このあきれと幸福感について述べた当てはまるのではないかと思われる著書の一文を引用しておく。

「災害の衝撃が終わる頃、(中略)被災者は一種の虚脱状態におちいる。虚脱した心の中に生存を喜び幸福感を得る人間も一部いる一方で、あまりに悲惨な状態に唖然として思考がとりとめもなく混乱する人がいる」
(Hirotada Hirose 2004 “人はなぜ逃げ遅れるのか”)

“虚脱”が”あきれ”なのは間違い無くそのままで、”生存の幸福”が”安全な場所に逃げ災害を確認した幸福”と考えると、確かにもしこの津波を確認しなかったなら、自分がどれだけの危機から逃げたのか分からないだろうし、生存の幸福は薄そうである。

そして私の場合、訪れたこの幸福感には様々な確信が関与していたのは疑いが無い。
まず逃げ切ったと確信できたこと、次にこの津波の高さなら少なくとも住んでいる家と職場は残ったはずだと確信できたこと。

また家族に関して、 -後に詳しく説明することになるが- 「健常者なら今時津波で死ぬはずがない」という考えから、無事を確信していたこと。

さらに確信という面以外で幸福感に関与していたのは、津波は高台から見ているというのもあってか、目視した被害がねじ切られた防波堤と壁が無くなった火力発電所の一部施設、また乗用車や小型漁船の水没や流出程度であり、この津波の本当の破壊を見ていなかったからでは無いだろうか。
もし水煙とともに家が消し飛び、悲鳴を伴う殺戮を見ていたら、どんな感覚になったかはわからない。

そんな奇妙な感覚のまま自分の自動車に向かって多聞山の歩道を戻る。

この化け物によってもたらされたであろう決定的な被害を予想する津波を感じ取った顔の前面にある理性と
大げさだ、大した被害では決してない、という予想をする頭頂部と後頭部にある理性が決してお互いを理解しようとせずに無視し合い、勝手に何が起きているのか分からないことにしようとする頭がフワリと浮かんだ感覚がある。
そしてそれは、どちらも「感情」では決してないのである。はっきりと同じ理性同士の争いなのだ。

話に聞いていたチリ地震津波もこれほどの破壊力だったのだろうか・・・・?
様々な考えが勝手に浮かぶ中周りを見渡すと、この高台である多聞山に来たが海が見えるところに行っていない人はさらに状況が分かっていないようだった。

高台に避難した人々でも家を失った人はいただろう。しかし実際に自宅の破壊を確認していないから最悪の事態を想像できないのか、それともそんな人は家が心配になって真っ先に家に帰ったのか、この多聞山では結局悲鳴など聞こえなかった。むしろ人々は世間話に近い口調で会話し、あきれ笑いの方が多かったのである。

私は繰り返し何が起きたのかを想定していた。
理性では海に向かって突き出た地形である多聞山でこんな波の勢いなら、沿岸部はとてつもないことになっただろうと重々承知しながらも、もう一つの理性は全く聞き入れないのである。
「実はそんなに大きくなかった」「おまえはいつも大げさな奴だ、っていわれてるじゃないか」「被害があったとしても少し浸水した程度だろう」・・・・・

「”冷静に”考えろよ、実は大したことになっていないはずだ」

もちろんまだ被害などどうなっているのか分かっていない。ただ波が来たのを見ただけだ。しかしこの時から被害を実際に映像で見て、聞いても、何度も理性が理性のままその被害を認めようとするのを拒否するのである。
「君の家で本棚が倒れただろう?あのとき一緒に30くらい街が消えたんだ」

まるでそう言われているようなのだ。

みんな口をそろえてこう言うのではないだろうか。
「今も夢のようだ」

”悪夢 ”
というものは
冷や汗をかいて起き上がるようなものではなく
金縛りにあって驚くようなものではなく
おそらく

ほんとうの

15:50 宮城県七ヶ浜町 最大波到達 町内の約40%が壊滅

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こどもの日はだいぶ過ぎている。泳ぎ疲れてしまったであろう鯉のぼりはまだしまわれていなかった -宮城県七ヶ浜町 5/21撮影

大津波 7

15:48
水位とても高い。
沢の流れのような音。

島の一つを結ぶ低い防波堤が完全に水没。
水が防波堤にぶつかりつづけ、帯状の白い泡が発生。

15:49
水位非常に高い。
水の音が激しい。
電力職員 「来てる来てる」 「音すごい」

町内放送 警報音
“花渕浜 菖蒲田浜でも 津波が 襲来しております
海岸には 絶対に 近寄らないでください”

町内放送 警報音
“沿岸各地に 津波が 襲来しております
直ちに 避難を 続けてください
沿岸付近に 津波が 襲来しています
直ちに 避難を 続けてください”

15:50
水位手間の防波堤を越え落水。
その際バシュッ、という映画で見るようなサイレンサー(発射音を静かにする装置)をつけた銃の発砲音に近い音を出す。
全員 「ああ・・・・」 の声。

電力職員 「流さって来たわほりゃ」
発電所員、距離にして5mの同僚に「もっと上さ上がるぞ」と同僚に叫ぶも津波の音で声届かず。
七ヶ浜町に最大波が到達と考えられる。
滝のような轟音。

[ 15:50 宮城県仙台湾および福島県沿岸部 最大波到達 ほぼ同時刻に両沿岸部全域壊滅 福島原発浸水 ]

15:51
轟音が続く。
船同士の接触緩衝材が想定していた力を越えてぶつかり続けて居るであろう際のきしみによるギイイイイという音。
船の転覆によるバスン、ザブンという大きいものが転覆したような音と、ベキッ、という太い木がへし折られた音。

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最大波襲来前と襲来中の水位の差を示す。

15:52
紐状のものが空を切りながら着水するような鋭い音。その後重機で木造家屋を破壊するような鈍い音。
町内放送 警報音
“津波の 第一波が 確認されております
引き続き 高台への 避難を 指示します
津波の 第一波が 確認されております
引き続き 高台への 避難を 指示します”

15:55
自動車が何台も海に運ばれていく。

15:57
町内放送 警報音
“7mの 津波が 観測されました
7mの 津波が 観測されました
引き続き高台への 避難を 指示します
津波は 第一波 第二波 第三波と 繰り返しやってきます
絶対に 油断せず 避難を 続けてください”

電力職員 「7メーターだとほりゃ」
本人 「7メーター・・・・」

電力職員 「塩竃もすっかり終わりだな」
電力職員 「塩竃も沈んだべ」

15:59
水位下がり始める。
町内放送 警報音
“津波の 第一波が 襲来しております
直ちに 高台へ 避難してください
津波の 第一波が 襲来しております
直ちに 高台へ 避難してください”

16:01
電力職員 「にいちゃんここの人?」
本人 「私は七ヶ浜なんですけど 七ヶ浜の方は大丈夫でしょうけど 実家の大船渡はおそらく水没ですね」
電力職員 「ああ・・・大船渡もまずそうだね」
本人 「(満潮時)海面50cmなのでまず無理ですね」
電力職員 「うわ」
本人 「終わりですね」
電力職員 「終わりだね」

16:02
水位かなり下がる。

電力職員 「いくらかんでも落ち着いてきた」 (それでもいくらかは落ち着いてきた)

大津波 (6)

[ 15:18 岩手県大船渡市 最大波到達 本震災で最速 壊滅的被害 ]

15:20頃
いつの間にか降り出した雪が黒く濡らした道路を走らせていると、客を追い払うガソリンスタンドの店員やスーパーに慌ただしく駆け込む人々が目につく。スーパーはまだやっているのだろうか?

 

[ 15:20 宮城県石巻市 最大波到達 本震災による最大被害 死者不明者5,795名 全半壊28,000戸 ]
[ 15:21 岩手県釜石市 最大波到達 世界最大水深防波堤決壊 中心部、および沿岸部壊滅 ]

ベッドタウンであるこの地域は平日のこの時間そもそもの人口が少ないためか、渋滞は想像していたとおり存在しない。
高台にある小学校の正門では避難民や避難車はこちらへ、と呼び込んでいる。
津波を受ける危険がある行き先へ向かう道路を警官が封鎖していた。

 

15:25頃
目的の多聞山に着くとかなりの車が居る。雪が強い。
地元住民多し。
ミヤギテレビの車両が7~10メートルはあろうかというポールの先にカメラをつけて沿岸部を捉えている。速い。
しかし雪による視界が不明瞭で明確に潮位の変化を捉えるのは難しいだろうと考えられる。
電気工事士のような格好をした人多数。始め停電でも直しに来たのだろうかと考えたが、ふもとにある火力発電所からの避難者であった。

[ 15:25前後 岩手県陸前高田市 最大波到達 市街地の70%以上が消失 ]
[ 15:25前後 宮城県南三陸町 最大波到達 壊滅 ]
[ 15:25前後 宮城県女川町 最大波到達 波高17m以上 平地壊滅 ]
[ 15:26 岩手県宮古市 最大波到達 遡上高38.9m(国内観測史上最大記録) 集落10箇所全滅 ]

15:30頃
多聞山より松島を望める位置に到達。さらに電力職員が上がってくる。 matsushimaOnTamonsanMt


15:36
水位やや高い。

 

15:47
水位高い。

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