20 三途の川

自宅で余震を避け重い物が無い場所で、さらに爆風を避け窓に近づかないように寝ていると、11時も過ぎた頃だろうか。目覚まし代わりの町内放送が鳴る。
いつもならやまびこのような放送で聞き取りづらいのに妙に鮮明に聞こえた。

"製油所で火災が発生しています、大爆発が起きる可能性があります・・・避難してください・・・・"

動こうとすると頭が低体温症の影響でとても痛い。
こんな時水没した多賀城からタイミング良く帰ってきた母親は言う。
「大爆発だってよ ほら避難するよ」
「う、うーん・・・焼けて死ぬのも一興かもしれません」
と言うも、何となく起き上がってしまった。どうやら避難所から逃げられないらしい。

ちなみに”人はなぜ逃げ遅れるのか”によると、火事の際明らかに飛び降りたら死ぬと解っているのに飛び降りてしまうのは、パニックではなくこのような苦痛に対する生理的限界と言われる。要は楽になりたいと言うことだ。(ここでの”大爆発の恐れ”は差し迫った皮膚に感じるような脅威とまではいかないが)ごもっともな意見だとおもう。
死ぬより辛いことは容易に出会いうるということである。

暫く待つと、やはり水没した多賀城から帰ってきた父親も帰ってきた。

多くはまだ語らなかったが、聞けば両親共に勤め先はは津波により破壊され自動車も妙な場所に流されたという。

父親はずぶ濡れの服を着替えて言う。
「なんで(残った車に)ガソリンがこんなに無いんだ!」
やはりごもっともな意見である。このガソリン問題はこれから2週間このことを言われ続けるハメになる。

とはいえやや残ったガソリンがある自動車に何故か3つもある寝袋を積むと、小学校に向けて出発する。
今回は徒歩ではない。避難所にスペースは無いだろうということで、爆発範囲外の小学校に逃げ邪魔にならないところに自動車を止めそこで寝るという作戦になる。

途中両親の知人を見かけたため車を止める。
幼稚園小学校合わせて8年間歩いた通学路からの景色は見飽きていたが、通過するヘリコプターの音を添えたダークグレイの太い柱が新鮮すぎた。

「なんだか、変わっちまったよ」

 

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宮城県七ヶ浜町松ヶ浜より  3月12日

この光景を横で見る製油所の制服を着た中老年男性に話しかけてみた。
「いつ消えますかね」
「今は手が付けられません」
強い口調でまだ消火活動は不可能だと言う。

「昨日の爆発音で一見爆発は終わったかのように思えたのですが」
率直に思っていたことを聞く。

「とんでもない!製油所の油が爆発を起こしただけです。低温LPGタンクが爆発したら原爆並の破壊力です。ここから見える限りは吹き飛ぶか火の海でしょう」

(千葉県コスモ石油火災のタンクは低温では無いLPGタンク、仙台製油所にあるタンクは低温LPGとのことである。再度述べておくが、仙台港の製油所で低温LPGが爆発したとのメディア記事は誤報である)

「・・・そうですか」

空に伸びた黒い柱はあまりの大きさで、この丘から見る風景を広大に感じさせた。