大津波 10

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私が通ってきた道だが – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

「うん?」

来るときに通った道がゴミに覆われている。一つ一つが大きく重そうなゴミだ。それらに目を凝らし、起きている事をよく考えようとしても、やはり何か現実感が無い薄ぼんやりとした状態が邪魔をする。

消防車が赤色灯を光らせながら道路を塞ぎ、その手前で消防団員がUターンを促している。その消防車の後ろに見える景色は家を浮かべる海である。そもそもこんな所に海は無く、あんな所に家は無い。

波が無いというあり得ない海は無風も手伝い、空を写す巨大な鏡になっていた。
雪が止んだ後の抜けるような青空はくさび状に飛んでいく渡り鳥も交え、あまりにも幻想的だった。

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幻想的な青空だった。小さい画像では見えづらいが渡り鳥が飛ぶ。 – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

 

あの地震から2時間以上経過している。
山を下りた私は家路についていた。そこで今の光景に出会った。
消防団に指示されたとおりUターンを終えた私は近くの駐車場に車を止め少し歩いた。

辺りは酷い生木のにおいがする。
津波に耐えられずへし折れた無数の木々が太い幹から出すそのにおいは決して古木のものでは無い。頼りになるものの代名詞であった樹木が力ずくで即死させられているのだ。
そのにおいの中、海の方向を望む。普段からこんなに遠くまで見えただろうか。

 

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海側を望む。左下にある軽自動車の窓の雪はワイパーの形に切り取られており、それは悪い想像をさせる – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

どこからか生木のにおいに混じり灯油のにおいがする。誰かが火事を起こしてしまうのだろうか。”おいおい海水でさぞかしシケってるとはいえ、火事に気をつけろよ”、と悪態をつきながら駐車場に戻る。

「新沼?新沼か!」
いきなり目の前に現れたのはこの通りのそばに住む中学校の同級生、Y。柔道部だっただけあって相変わらず体が大きい。

私が
「おお、久しぶりだな。凄い事になったな。なんだか灯油」
としゃべっている途中で、Yは話になど耳に貸さず青い顔で訴える。
「かーちゃんが電話に出ないんだよ!」

一瞬間が空く。

「何?そいつは大変だな。でも家にいるなら大丈夫だろ」
Yの家は通りを挟んで海になってしまった側では無く、家々が綺麗な形を保っている側にある。一見無事に見える。

「車が無いんだよ!たぶん買い物に行ったから大丈夫だと思うんだけど なんで買い物に行くんだよ でも買い物に行ってるなら無事だよね」
「うん?うん。まあ大丈夫だろ」

私はこの時点ではまだ田んぼ、畑、海に近い家が少々切り取られただけという楽観的視点が残っている。

「探しに行くよ!俺!」
「探してやれ 大丈夫だと思うけど、何があっても悔いの残らないようにな」
「おお、おまえもな!」
ひとしきりわめいてYは消えた。

灯油のにおいが強い。時節はまだまだ寒い冬。灯油ストーブが主流なこの地域でのあの揺れはうっかり灯油をこぼしてしまった家も多いだろう。
しかしこの辺りは住宅密集地だ。大丈夫か。

灯油のにおいがする。火事に気をつけろ。

 

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住民だろうか。一変した町の様子に呆然と立ち尽くす – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

大津波 9

ここまでの所感

人は誰でも自分の命に、無限の責任を負っている。

津波浸水想定区域ここまで

想定を遙かに上回った破壊が、晒し者のように津波浸水想定区域の看板を残した – 岩手県大槌町から釜石市に向かう国道にて

避難の際、取り返しのつかないミスに繋がるであろう行為がいくつかある。

■地震の時点で津波を警戒していなかった
twitterを見て初めて津波を認識している。
本棚が倒れ、古くなった塀や瓦が破壊される程度の被害は弱い地震だと認識してしまったのである。 (そういえばこの町は地盤が固い) そして”弱い地震でも長ければ津波を警戒”という三陸に古くから伝わる伝承をこの時点で知らなかったのだ。
登校生徒の生存率が100%の釜石の小中学生に「このおっさんみたいなのが死んだんだよ」と言われそうだ。
正しい行為を上げるならば、周囲の様子を見るにしても猛ダッシュで一周。自動車(最低でも自転車を使わないと、多聞山まで遠い)に飛び乗って多聞山へ逃げる。トロトロと歩いているヒマなど無いはずだ。

■携帯で情報を見るのが遅い。
この大きさの地震では携帯はみんなメールだの何だの飛ばして繋がらないと思い込んでいた。しかし携帯は繋がった!まず携帯で情報を確認するのは賢明かもしれない。

通常ラジオをまず持っていない我々にとって、停電時に携帯以外の情報収集手段である町内放送が例えば点検中とか故障中などで動いていなかったら、津波に気付かずに死んでしまうだろう。

大地震が来たとき、たまたま町内放送が動かない・・・考えすぎだろうか?

■ヒゲを剃ってまで考える必要があった
これはもし津波浸水エリア、もしくはそのそばに住んでいるならば津波が起きたときの避難場所、最低持って行く物を決めておけばそれがベストだったはずだ。
私の住んでいる所は海に突き出た地形で海抜20m以上である。職場もかなり高いところで、さらに2Fにある。(そして後述するが、これは偶然ではない)もともと逃げるような場所では無い。ここが津波にやられるようならば、おそらくかなりの内陸にある仙台駅近くまで消滅するだろう。
しかし残念ながら巨大津波は存在する。逃げる場所は決めておこう。

またこれも後述することになるが、落ち着いているように見えるゆっくりした人間は死ぬだけの人間であることが多いようだ。これも後述するが、落ち着いてても急いで、落ち着かなくても急いで行動するのが正しい。

■もっと高いところを通っている道路で避難できた
ちょっと距離が遠くなり、さらに視界が悪い道なのでこれは判断が難しいが海抜40m近い道路を通って避難することが出来た。想定した津波の高さを考えると、そちらの逃走経路が正しかったと考えられる。

■津波の規模の予想
第一報がtwitterでの釜石で4mと聞き3倍の12mまで警戒していた。七ヶ浜は実際の波高が6.8~7.2m。一見良いように思える。しかし実際の釜石ではどうだっただろうか。

津波が到達する前の気象庁第一報発表は3mとなっている。そして釜石市が防災無線で住民に3mであると広報後、気象庁により修正され10mとなっている。

そしてこの10mは停電で伝わっていない。

残念ながらこの結果多くの死者を出す結果となってしまった。
私がもし3mと聞いていたら9mを想定し逃げただろう。1mで助かっただろうか。死んだだろうか。かなりシビアな体験になったかもしれない。

■まとめ
生き残るには確かに成功したが、成功は最低の母という。
生命が関わることにドラマは必要無く、偶然は許されない。自分のくだらない妄想による最悪というものがいかにつまらないものか思い知り、最速で、最短に逃げることを心がけたい。

坂の上の雲で有名な名参謀、秋山真之の言葉を借りて本所感をまとめる。
「完全な成功は無味無臭で、話のタネになるものでは無いのである」

大津波 8

しばらく続いた轟音がやみ、引き波が始まる。
水位が低くなり、ねじれるように破壊された黒い防波堤が顔を出す。
自動車、船舶、網のウキ、材木のようなものたちの様々な色が混じり合い、それらはまるで目的を持った人々の行列のように沖に向かって去って行く。

いつの間にか何件かある火力発電所の平屋建ての施設の壁が津波の方向にそった面だけ無くなり、文字通り筒抜けになっている。

私はカメラを持ちながら、あきれと感心が同居した顔をしていただろう。
その場に居た人々も、みんな唖然としていた。

多聞山から望む津波の光景はまるで陸地全体を船にして全速で沖に向かって走らせるような海そのものが右から左へ移動しているようだった。
轟音とともに青く分厚い板が陸地に -おそらくは無慈悲に- 突き進み続けた。

私は前述のようにこのあまりに大きい現象にあきれつつ感心しながら、詩のような言葉を津波の最中に何度も脳で反復していた。

押し寄せてきたものは死であり
押し寄せてきたものは破壊だった
故郷は無くなっただろう
せめてこの場に立ち会えたことに感謝する
彼の名は死なり 彼の名は破壊なり

私はもたらされたであろう破壊の原因である津波を目視出来たことにあきれながらも幸福を感じていた。どうせ「こんなもの」が来るなら現場に居たいと感じたのだ。
事故で自分の子供を失った親が最後どうなったのか状況を知りたがる気持ちのようなものだろうか、とも思う。

このあきれと幸福感について述べた当てはまるのではないかと思われる著書の一文を引用しておく。

「災害の衝撃が終わる頃、(中略)被災者は一種の虚脱状態におちいる。虚脱した心の中に生存を喜び幸福感を得る人間も一部いる一方で、あまりに悲惨な状態に唖然として思考がとりとめもなく混乱する人がいる」
(Hirotada Hirose 2004 “人はなぜ逃げ遅れるのか”)

“虚脱”が”あきれ”なのは間違い無くそのままで、”生存の幸福”が”安全な場所に逃げ災害を確認した幸福”と考えると、確かにもしこの津波を確認しなかったなら、自分がどれだけの危機から逃げたのか分からないだろうし、生存の幸福は薄そうである。

そして私の場合、訪れたこの幸福感には様々な確信が関与していたのは疑いが無い。
まず逃げ切ったと確信できたこと、次にこの津波の高さなら少なくとも住んでいる家と職場は残ったはずだと確信できたこと。

また家族に関して、 -後に詳しく説明することになるが- 「健常者なら今時津波で死ぬはずがない」という考えから、無事を確信していたこと。

さらに確信という面以外で幸福感に関与していたのは、津波は高台から見ているというのもあってか、目視した被害がねじ切られた防波堤と壁が無くなった火力発電所の一部施設、また乗用車や小型漁船の水没や流出程度であり、この津波の本当の破壊を見ていなかったからでは無いだろうか。
もし水煙とともに家が消し飛び、悲鳴を伴う殺戮を見ていたら、どんな感覚になったかはわからない。

そんな奇妙な感覚のまま自分の自動車に向かって多聞山の歩道を戻る。

この化け物によってもたらされたであろう決定的な被害を予想する津波を感じ取った顔の前面にある理性と
大げさだ、大した被害では決してない、という予想をする頭頂部と後頭部にある理性が決してお互いを理解しようとせずに無視し合い、勝手に何が起きているのか分からないことにしようとする頭がフワリと浮かんだ感覚がある。
そしてそれは、どちらも「感情」では決してないのである。はっきりと同じ理性同士の争いなのだ。

話に聞いていたチリ地震津波もこれほどの破壊力だったのだろうか・・・・?
様々な考えが勝手に浮かぶ中周りを見渡すと、この高台である多聞山に来たが海が見えるところに行っていない人はさらに状況が分かっていないようだった。

高台に避難した人々でも家を失った人はいただろう。しかし実際に自宅の破壊を確認していないから最悪の事態を想像できないのか、それともそんな人は家が心配になって真っ先に家に帰ったのか、この多聞山では結局悲鳴など聞こえなかった。むしろ人々は世間話に近い口調で会話し、あきれ笑いの方が多かったのである。

私は繰り返し何が起きたのかを想定していた。
理性では海に向かって突き出た地形である多聞山でこんな波の勢いなら、沿岸部はとてつもないことになっただろうと重々承知しながらも、もう一つの理性は全く聞き入れないのである。
「実はそんなに大きくなかった」「おまえはいつも大げさな奴だ、っていわれてるじゃないか」「被害があったとしても少し浸水した程度だろう」・・・・・

「”冷静に”考えろよ、実は大したことになっていないはずだ」

もちろんまだ被害などどうなっているのか分かっていない。ただ波が来たのを見ただけだ。しかしこの時から被害を実際に映像で見て、聞いても、何度も理性が理性のままその被害を認めようとするのを拒否するのである。
「君の家で本棚が倒れただろう?あのとき一緒に30くらい街が消えたんだ」

まるでそう言われているようなのだ。

みんな口をそろえてこう言うのではないだろうか。
「今も夢のようだ」

”悪夢 ”
というものは
冷や汗をかいて起き上がるようなものではなく
金縛りにあって驚くようなものではなく
おそらく

ほんとうの

15:50 宮城県七ヶ浜町 最大波到達 町内の約40%が壊滅

koinobori

こどもの日はだいぶ過ぎている。泳ぎ疲れてしまったであろう鯉のぼりはまだしまわれていなかった -宮城県七ヶ浜町 5/21撮影

大津波 7

15:48
水位とても高い。
沢の流れのような音。

島の一つを結ぶ低い防波堤が完全に水没。
水が防波堤にぶつかりつづけ、帯状の白い泡が発生。

15:49
水位非常に高い。
水の音が激しい。
電力職員 「来てる来てる」 「音すごい」

町内放送 警報音
“花渕浜 菖蒲田浜でも 津波が 襲来しております
海岸には 絶対に 近寄らないでください”

町内放送 警報音
“沿岸各地に 津波が 襲来しております
直ちに 避難を 続けてください
沿岸付近に 津波が 襲来しています
直ちに 避難を 続けてください”

15:50
水位手間の防波堤を越え落水。
その際バシュッ、という映画で見るようなサイレンサー(発射音を静かにする装置)をつけた銃の発砲音に近い音を出す。
全員 「ああ・・・・」 の声。

電力職員 「流さって来たわほりゃ」
発電所員、距離にして5mの同僚に「もっと上さ上がるぞ」と同僚に叫ぶも津波の音で声届かず。
七ヶ浜町に最大波が到達と考えられる。
滝のような轟音。

[ 15:50 宮城県仙台湾および福島県沿岸部 最大波到達 ほぼ同時刻に両沿岸部全域壊滅 福島原発浸水 ]

15:51
轟音が続く。
船同士の接触緩衝材が想定していた力を越えてぶつかり続けて居るであろう際のきしみによるギイイイイという音。
船の転覆によるバスン、ザブンという大きいものが転覆したような音と、ベキッ、という太い木がへし折られた音。

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最大波襲来前と襲来中の水位の差を示す。

15:52
紐状のものが空を切りながら着水するような鋭い音。その後重機で木造家屋を破壊するような鈍い音。
町内放送 警報音
“津波の 第一波が 確認されております
引き続き 高台への 避難を 指示します
津波の 第一波が 確認されております
引き続き 高台への 避難を 指示します”

15:55
自動車が何台も海に運ばれていく。

15:57
町内放送 警報音
“7mの 津波が 観測されました
7mの 津波が 観測されました
引き続き高台への 避難を 指示します
津波は 第一波 第二波 第三波と 繰り返しやってきます
絶対に 油断せず 避難を 続けてください”

電力職員 「7メーターだとほりゃ」
本人 「7メーター・・・・」

電力職員 「塩竃もすっかり終わりだな」
電力職員 「塩竃も沈んだべ」

15:59
水位下がり始める。
町内放送 警報音
“津波の 第一波が 襲来しております
直ちに 高台へ 避難してください
津波の 第一波が 襲来しております
直ちに 高台へ 避難してください”

16:01
電力職員 「にいちゃんここの人?」
本人 「私は七ヶ浜なんですけど 七ヶ浜の方は大丈夫でしょうけど 実家の大船渡はおそらく水没ですね」
電力職員 「ああ・・・大船渡もまずそうだね」
本人 「(満潮時)海面50cmなのでまず無理ですね」
電力職員 「うわ」
本人 「終わりですね」
電力職員 「終わりだね」

16:02
水位かなり下がる。

電力職員 「いくらかんでも落ち着いてきた」 (それでもいくらかは落ち着いてきた)

大津波 (6)

[ 15:18 岩手県大船渡市 最大波到達 本震災で最速 壊滅的被害 ]

15:20頃
いつの間にか降り出した雪が黒く濡らした道路を走らせていると、客を追い払うガソリンスタンドの店員やスーパーに慌ただしく駆け込む人々が目につく。スーパーはまだやっているのだろうか?

 

[ 15:20 宮城県石巻市 最大波到達 本震災による最大被害 死者不明者5,795名 全半壊28,000戸 ]
[ 15:21 岩手県釜石市 最大波到達 世界最大水深防波堤決壊 中心部、および沿岸部壊滅 ]

ベッドタウンであるこの地域は平日のこの時間そもそもの人口が少ないためか、渋滞は想像していたとおり存在しない。
高台にある小学校の正門では避難民や避難車はこちらへ、と呼び込んでいる。
津波を受ける危険がある行き先へ向かう道路を警官が封鎖していた。

 

15:25頃
目的の多聞山に着くとかなりの車が居る。雪が強い。
地元住民多し。
ミヤギテレビの車両が7~10メートルはあろうかというポールの先にカメラをつけて沿岸部を捉えている。速い。
しかし雪による視界が不明瞭で明確に潮位の変化を捉えるのは難しいだろうと考えられる。
電気工事士のような格好をした人多数。始め停電でも直しに来たのだろうかと考えたが、ふもとにある火力発電所からの避難者であった。

[ 15:25前後 岩手県陸前高田市 最大波到達 市街地の70%以上が消失 ]
[ 15:25前後 宮城県南三陸町 最大波到達 壊滅 ]
[ 15:25前後 宮城県女川町 最大波到達 波高17m以上 平地壊滅 ]
[ 15:26 岩手県宮古市 最大波到達 遡上高38.9m(国内観測史上最大記録) 集落10箇所全滅 ]

15:30頃
多聞山より松島を望める位置に到達。さらに電力職員が上がってくる。 matsushimaOnTamonsanMt


15:36
水位やや高い。

 

15:47
水位高い。

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東日本大震災 5

2時間後に にじかんごに・・・・
断水
だんすい
します  します・・・・・
水を みずを・・
お風呂などに おふろなどに・・・・
溜めてください ためてください・・・・・

家に着くと初めて聞く町内放送が始まっていた。 断水は記憶にない。

あの地震でまだ水が出るのか?と疑問を感じつつ洗面所にある蛇口のレバーを上げるとやはり何も出てこない。ライフラインの電気と水道が停止した。 もう止まっているであろうガスの元栓は地震の際に閉めている。

まずやることはやった。
今どんな状態なのか確認しようと期待せずに携帯電話を取り出すと予想外にも電波は生きており、Twitterも生きている。
普段よりやや時間がかかっただろうか。
Twitterには

釜石で4m 逃げて

という一文がある。
これ以外を見た記憶はない。

”まいったな ついに来たか”

「津波」は三陸沿岸に生まれた者にとって現実的な響きがある。

私はとりあえずヒゲを剃ることにした。
水道が止まっているので電気カミソリを使う。父親に送ったパナソニックのなかなか良いものだ。

鏡をのぞき込みながらヒゲを剃る間考えたことは以下の通り。

■津波は3倍以上の高さを想定すること。
大津波なんて実際に見たことはない。3倍にとらえておけば損はないはずだ。

■今持っている荷物だけで逃げること。
■いかなる忘れ物があっても津波がおさまるまで一切戻らないこと。

津波に巻き込まれないためには行きは急ぎ、帰りは時間が経ってからという基本を守る必要がある。

この鉄火場でひげを剃るのには忘れ物を取りに来るような余裕をわざと無くす効果もあった。私にとって「余裕」は多すぎると「油断」につながりがちだった。

■町内で最も高い場所に避難すること。
この町内で最も高いところは、「日本三景 松島」への眺めがいい多聞山だっただろうか?山と名前がついており標高は50m前後であったはずだった。

(後に調べたところ、この山よりも町役場がある場所が最も高いということです 素晴らしいことだと思います)

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上が松島湾。左方面に多賀城市と仙台市がある。陸地最上部の突端が多聞山。

この家は海抜20数メートルであり、また海に対して突き出ている。地形上そこまで津波は高くならない。釜石で推測4m程度なら90%安全であるのは間違いなかった。
しかしジョーカーを引いたら死ぬトランプの束を想像して欲しい。引かないで済むなら引かないはずだ。
避難途中やや低いところを通って逃げることになり危険だが、町内放送が生きていること、そして町内放送ではまだ津波のアナウンスをしていないことを考えると逃げるのは十分間に合うはずと考えた。
生存率90%から99.9%の場所に移動することにする。

■避難に自動車を使うが、渋滞に遭ったら乗り捨てること。
自動車を捨てるのは勇気が要りそうだが、これはしょうがない。

■避難する人をはねないよう、注意して運転すること。
逃げる間人をはねて死なせてしまったらあまり良くない。それだけは避けるために急ぎすぎないことにする。

私は何か大きいことがある前はひげを剃ることにしていた。
大学時代に所属していた応援団は合宿の際、ひげを剃るのは禁止されていた。
合宿を終えてからひげを剃るのである。それは儀式であり、意味は未だによく分からない。しかしそれ以来ひげ剃りは何となく特別な行為なのである。

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応援団活動中の私

約1分足らずだが、経験上ひげを剃ると落ち着く。
そしてひげを剃っておけば 津波で粉みじんになるかもしれないが・・・ 死に顔は無礼ではない。

玄関の鍵をかけるとき、この標高ならまず大丈夫だと思ったが、見ることが出来るのは最後かもしれない。

よし、行くか。

私は丁寧に鍵をかけ、車に乗った。

東日本大震災 4

私は近所の地震の被害を確認しようと家から出ると、お隣は崩れた塀が当たりかなり変形してしまった車を見て呆然としている。私はばつが悪そうに一礼し、最小限の近所の区画を一周することにした。たとえば箪笥にのしかかられている人がいるかもしれない。偶然にも体は温まっているため、助けられる可能性も僅かに上がっていた。

[ 不明 14:55分? 福島県相馬 第1波到達 ]

足の不自由な婦人が居る家に「大丈夫ですかー!」と呼びかけてみると、「あら、大丈夫よ-!」という返事が返ってきた。特に他にも異常は無いようだ。これで点検は終了のはずだった。

しかし自宅に戻ると、玄関の壁のタイルが一部欠けて落ちていた。ウロのような穴から除ける中は雑木林で倒れて朽ち、分解が始まった木の様そのものだ。
シロアリだ

鉄筋で出来ているとはいえ、一部に当然木が使われている。その一部が知らぬ間にシロアリに囓られていたのだ。

[画像は用意しておきます]

14年ほど前であろうか。シロアリに分解され尽くされた我が家の柱は人差し指で突いてみるとしっかりと中指のこぶしが当たる。そのこぶしが当たった衝撃で柱の内部はサラサラと乾燥した砂が落ちるような音を立てるというおまけ付きだ。
家族は共通した結果に落ち着いた。

「建て替えよう」

###

シロアリ。阪神淡路大震災で木造住宅の倒壊原因として非常に多くの割合を占めたとされ、「人を殺す」生物として一躍脚光をあびた。現在も木造住宅の最大の脅威になっている。

シロアリの対策に関しては詳しく記述しないが、間違いなく「必要」である。ところが木造住宅を選んだとしても、その知識を持つ人はほとんどいない。とにかく白いアリが家を食いつぶすので困ったら業者に、といった認識のはずだ。

私はITのお仕事をしており、その中の仕事にソフトウェアを作っている。プログラムと呼ばれるものだ。そこにはいくつかのお約束がある。そのうちの2つを述べておく。

“自動化出来るものは、出来るだけ自動化せよ”
“緊急事態は最悪のタイミングでやってくる”

シロアリはなるほど丁寧に予防をして丁寧に駆除をしていけば防げるのだろう。だらしないと言われればそうなのかもしれない。

例えば家族が病気になったとする。お金が一時的にではあるが無くなったとする。
それはシロアリを駆除する期間である。
どこにでもある話だ。ありふれた話である。しかし、緊急事態は最悪のタイミングでやってくるのだ。

例えば北側に住む隣人が、盆栽が大好きだったとする。毎日水をたっぷりやるわけだ。その湿気はシロアリにとって最高の好物になるのである。
鉄筋はもちろん寿命もあるし、通常木も使われている。だが、シロアリが原因で地震の際に即倒壊という事態への対策が自動化されており、少なくとも気にしなくて住む。
それ以外にも、火災対策やそもそもの丈夫さもある。

木ばかり貶めてしまったが、もちろん、木の「美しさ」はある。特に最近の木造は昔より頑丈となっている。とてつもない手入れが必要だが、残っている歴史的建造物は今も人々を魅了するのである。選択肢として十分に存在するのだ。そんなとき私がアパレル業界に居た頃に覚えたこんな言葉を思い出して、面倒がらずに手入れをしていって欲しい。

“おしゃれは我慢比べ”

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ここでもし鉄筋じゃなかったら、余震のたびに怯える生活であったのは間違いない。
落ち着いたら色々対策をしなければならないだろうが、この時点で一瞬で倒壊という危険は避けられたのである。
シロアリの原因は私の中でだいたい固まっている。
決定的なのは、我が家の父親は北側にもやたら水が必要な木々を植え込んでいることだ。「根腐れしない程度までたっぷりとやる」
口癖である。いつのまにかシロアリにもたっぷりとやってしまっていたようだ。

そしてこの間まで私に情報は無かった。

東日本大震災 3

(電子音)緊急地震速報です 強い揺れに警戒してください
(電子音)緊急地震速報です 強い揺れに警戒してください

緊急地震速報です。次の区域では強い揺れに警戒してください。
宮城県 岩手県 福島県 秋田県 山形県です。
揺れが来るまではわずかな時間しかありません。
怪我をしないように自分の身の安全を守ってください。
倒れやすい家具などからは離れてください。
また、上から落ちてくるものに気をつけてください。
緊急地震速報が出ました。
宮城県 岩手県 福島県 秋田県 山形県です。
怪我をしないように身の安全を確保してください。
倒れやすい家具などからは離れてください。

今、この国会でも揺れを感じています。
先ほど・・・・・国会の中でも揺れが続いています。
揺れが始まってから10秒以上経過しました 次第に

(チャイム音と画面の切り替わり)

国会中継の途中ですが、地震津波関連の情報をお伝えします
今、東京のスタジオも揺れています 東京のスタジオも揺れています
緊急地震速報が出ました
宮城県 岩手県 福島県 秋田県 山形県に 緊急地震速報です

また今東京渋谷のスタジオも揺れを感じています
東京渋谷のスタジオも揺れています

(背後で 揺れてます! の声)

強い揺れを観測した地域の皆さんにお伝えします
落ち着いて行動してください
揺れが収まってから火の始末をしてください

(背後で 揺れてるよ! の声)

まず上から落ちてくるもの 倒れてくるものから身を守ってください

(背後で 揺れてるよ! の声)

現在、東京渋谷のスタジオが大きく揺れています
東京渋谷のスタジオが大きく揺れています

(背後で 揺れてるよ凄い! の声)

建物の倒壊や山崩れ 崖崩れの恐れがあります

(背後で 揺れてるから! の声)

上から落ちてくるもの 倒れてくるものから身を守ってください

現在、東京渋谷のスタジオが非常に大きく揺れています
東京の渋谷のスタジオが大きく揺れています

(背後で 揺れてるよ!東京撮って! の声)

上から落ちてくるもの 倒れ・て・くる・ものから身を守ってください
揺れがおさまるまでしばらく安全な場所に居てください

(背後で 東京撮ってよ! の声)

揺れがおさまってから火の始末をしてください

(背後で 東京揺れてる! の声)

NHKでは新しい情報が入り次第お伝えします
テレビやラジオのスイッチを切らないでください

午後2時46分ごろ東北地方で強い地震がありました
震度7が宮城県北部です 震度7が宮城県北部

(背後で 震度7震度7だって の声)

また し 震度5弱が山形県 震度6強が宮城県中部
福島県中通り 福島県浜通り 茨城県北部
震度6弱が岩手県沿岸南部 岩手県内陸北部
岩手県内陸南部 宮城県南部などとなっています

(背後で 変われ!変えろ! の声)

(仙台駅の映像と車のわずかな防犯クラクション音)

(津波情報の明滅する日本地図への切り替わり)

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(大津波警報の電子音)

※参考引用 NHK 3.11当日の放送 -  ウェブ石碑
※画像はNHKの画面をイメージして作成したものです。

東日本大震災 2

2011年3月11日

私はこの日、約2週間の小さい仕事の終えるべき作業を完全に終え一段落していた。
15:00までの作業予定だったが、14:00に作業が終わったため仕事を切り上げ軽いエクササイズを始めていたところである。

当社においてトレーニングをしない者は居ない。最初は気が進まない者でも30代が近づくにつれ勝手にトレーニングを始めていた。この会社は食事やトレーニングの正しい知識は筋トレ歴10年を越える会社の連中が勝手に指導してくれるというわけだ。
私のトレーニング歴も15年あり、体格は一般的な成人男性より発達していた。

「トレーニングはどのくらい、どのタイミングですればいいのですか」

よくこんな内容の相談を受ける。

「体調が悪いとかなかったら、やれるときにやってしまいましょう」

いつもこういう返事をしていた。
トレーニングは出来るときに出来るだけしてしまう。
たとえば次の瞬間、仕事で何かが起こるかもしれない。
1秒後に、身内に大きな事が起こるかもしれない。

長い言い訳になってしまったが、この日は久しぶりに自主残業から解放された日であり、やれるときにやってしまえで少し速い時間に自宅にあるトレーニングコーナーに入ったというわけだ。仕事をサボったわけではない。

14:40過ぎた頃であろうか。
ウォームアップが終わった頃だ。

揺れを感じた。
地震の大きさはだいたい最初の揺れ-初期微動-で見当が付くと思う。
これは結構大きい地震だ。

部屋に有るあらゆる器具や本棚がきしみ始めた。

普段ならこのあたりで揺れは小さくなり始める。しかしこの地震はどのくらいのものか見当が付かなかった。
揺れが終わらない。

私は地震があったとき、 -行為の是非はさておき- 頑丈な建物や安全な平地に居るときその場から動かずに地震の様子を見るのが習性になっている。

この日のトレーニングは幸い”ハンドグリッパー”(スポーツショップでよく見る、握るだけの単純なトレーニング器具)から始まっており、地震の影響でダンベルやバーベルのような数十キロから数百キロの重い物が落ちてくる可能性はない。

揺れは強くなるばかりで、家具転倒防止の突っ張り棒がギシギシという不気味な音から激しい音に変わり、バツンバツンと断末魔を上げて「打ち破られた」。本棚が一気に倒れ始める。

[ 不明 (14:45?) 岩手県釜石市 第1波到達 ]

とにかく長い。何分目だろうか。次第に大きくなる揺れは物が多いトレーニング部屋では私に「危険な揺れだ」と判断させるに十分だった。
部屋の中は2日前に逃げ道の整理を終えていたものの、廊下は本棚が倒れている。片足ずつピョンピョンと本に足を突っ込みは抜き、突っ込みは抜きの脱出となった。漫画やら小説やら、積雪30cmといったところであろうか。

――なんてこった。これ片付けるのか。

物が少ない客室に逃げた頃、揺れは緩やかになった。
気がつくと手にカメラを持っている。2日前にいつでも出動できるように整備しておいたものだ。

確かどこかでこんな事を聞いた事がある。

「緊急事態において、カメラは持っている価値のあるものだ。
生命、またそれを救うための手段の次に」

この言葉にはなんだかよく分からないが従ってしまう重さがあった。突き動かされてしまったのだろう。意味はやはりよく分からない。

名誉とかはこういうとき重荷になるのか、砕け散った額縁のガラスも散っている。いつの間にか踵に小さい破片が刺さっていた。さっさと抜き取って部屋の様子を見回る。
仕事を終えてミュージックプレイヤーとなっていたパソコンのディスプレイは真っ暗である。
2~3日は停電だろうか。しばらくゆっくりするのもいいかもしれないな。
しかしガラス、電気使う掃除機が無いと吸いづらいじゃない・・・
仕方が無いな、とため息を付いた。

[ 14:46頃 停電 ] (これは我々から”情報”を奪った)
[ 不明 地震から0分 岩手県大船渡市 第1波到達 ]
[ 不明 地震から0分 宮城県石巻市 第1波到達 ]
[ 不明 宮城県南三陸町 第1波到達 ]
[ 不明 宮城県気仙沼市 第1波到達 ]
[ 不明 岩手県陸前高田市 第1波到達 ]
[ 不明 宮城県仙台市  第1波到達 ]

家をよく見回るとこの時点で普段の地震ではない光景があった。
電池だけ綺麗に抜き取られ、14:46で止まった壁掛け時計。
14:46から秒針が動きはするものの上がりきらない置き時計。

[ 14:48 地震から2分 岩手県宮古市 第1波到達 ]

窓から見えるお向かいの瓦がやけに落ちていた。

※参考 気象庁3/12-13発表資料