大津波 9

ここまでの所感

人は誰でも自分の命に、無限の責任を負っている。

津波浸水想定区域ここまで

想定を遙かに上回った破壊が、晒し者のように津波浸水想定区域の看板を残した – 岩手県大槌町から釜石市に向かう国道にて

避難の際、取り返しのつかないミスに繋がるであろう行為がいくつかある。

■地震の時点で津波を警戒していなかった
twitterを見て初めて津波を認識している。
本棚が倒れ、古くなった塀や瓦が破壊される程度の被害は弱い地震だと認識してしまったのである。 (そういえばこの町は地盤が固い) そして”弱い地震でも長ければ津波を警戒”という三陸に古くから伝わる伝承をこの時点で知らなかったのだ。
登校生徒の生存率が100%の釜石の小中学生に「このおっさんみたいなのが死んだんだよ」と言われそうだ。
正しい行為を上げるならば、周囲の様子を見るにしても猛ダッシュで一周。自動車(最低でも自転車を使わないと、多聞山まで遠い)に飛び乗って多聞山へ逃げる。トロトロと歩いているヒマなど無いはずだ。

■携帯で情報を見るのが遅い。
この大きさの地震では携帯はみんなメールだの何だの飛ばして繋がらないと思い込んでいた。しかし携帯は繋がった!まず携帯で情報を確認するのは賢明かもしれない。

通常ラジオをまず持っていない我々にとって、停電時に携帯以外の情報収集手段である町内放送が例えば点検中とか故障中などで動いていなかったら、津波に気付かずに死んでしまうだろう。

大地震が来たとき、たまたま町内放送が動かない・・・考えすぎだろうか?

■ヒゲを剃ってまで考える必要があった
これはもし津波浸水エリア、もしくはそのそばに住んでいるならば津波が起きたときの避難場所、最低持って行く物を決めておけばそれがベストだったはずだ。
私の住んでいる所は海に突き出た地形で海抜20m以上である。職場もかなり高いところで、さらに2Fにある。(そして後述するが、これは偶然ではない)もともと逃げるような場所では無い。ここが津波にやられるようならば、おそらくかなりの内陸にある仙台駅近くまで消滅するだろう。
しかし残念ながら巨大津波は存在する。逃げる場所は決めておこう。

またこれも後述することになるが、落ち着いているように見えるゆっくりした人間は死ぬだけの人間であることが多いようだ。これも後述するが、落ち着いてても急いで、落ち着かなくても急いで行動するのが正しい。

■もっと高いところを通っている道路で避難できた
ちょっと距離が遠くなり、さらに視界が悪い道なのでこれは判断が難しいが海抜40m近い道路を通って避難することが出来た。想定した津波の高さを考えると、そちらの逃走経路が正しかったと考えられる。

■津波の規模の予想
第一報がtwitterでの釜石で4mと聞き3倍の12mまで警戒していた。七ヶ浜は実際の波高が6.8~7.2m。一見良いように思える。しかし実際の釜石ではどうだっただろうか。

津波が到達する前の気象庁第一報発表は3mとなっている。そして釜石市が防災無線で住民に3mであると広報後、気象庁により修正され10mとなっている。

そしてこの10mは停電で伝わっていない。

残念ながらこの結果多くの死者を出す結果となってしまった。
私がもし3mと聞いていたら9mを想定し逃げただろう。1mで助かっただろうか。死んだだろうか。かなりシビアな体験になったかもしれない。

■まとめ
生き残るには確かに成功したが、成功は最低の母という。
生命が関わることにドラマは必要無く、偶然は許されない。自分のくだらない妄想による最悪というものがいかにつまらないものか思い知り、最速で、最短に逃げることを心がけたい。

坂の上の雲で有名な名参謀、秋山真之の言葉を借りて本所感をまとめる。
「完全な成功は無味無臭で、話のタネになるものでは無いのである」