シリアスダイエット、サービス終了のお知らせ

シリアスダイエットのサービス終了のお知らせをさせていただきます。

正式な終了は約一ヶ月後となります。

mixiアプリとしてご愛顧いただき、また体重を落とす事が出来たと言ったお礼を戴きましたが、mixiアプリの仕様変更がされるため、サービスを終了させていただきます。

 

 

1年以上のご愛顧、誠にありがとうございました。続編制作の機会がございましたらよろしく御願いします。

台風

台風の被害が非常に大きい年ですね。

洪水は非常に恐ろしい破壊力を持っています。水害が多い地域の方はご注意ください。

 

家はどうしても運べないので、台風が来る前にトランクに重要なものを積み込んでおいていざ来そうになったら早めにどこかに行くとか、大事なものはどこか安全な貸しコンテナに放り込んでおくとかそういった対策で少しでも被害を和らげるしかないかも知れません。

 

1分でも速く逃げれば助かる確率は飛躍的に上がると言われています。

勧告を待たず、素早く動きたいものです。

 

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最後まで避難勧告を出し続けた南三陸町の防災対策庁舎。

24 三途の川

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宮城県七ヶ浜町 3月12日撮影

「長野・・・」
この3月12日時点で長野県の消防車が到着していた。当日から東北方面の道路は大渋滞で、高速道路も通行止めと化した。
ここに来るまでとてつもない労力が払われたに違いない。深く礼する。

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宮城県七ヶ浜町 3月12日撮影

「道路・・・だったな」
ヘリからならともかく、道路が破壊されている光景を真っ正面から見る事は珍しいと思う。マスコミが来づらいからだ。

当然津波に道路も何も関係は無い。道路は完全に使用不能な状態だった。ここで自動車はあっけにとられて引き返していく。

 

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宮城県七ヶ浜町 3月12日撮影

波の威力をモロに受ける場所は更地になって何も残っていない。一方、威力がそれなりに弱った場所には瓦礫が溜まる。
浜辺のゴミの溜まる場所を想像していただくとわかりやすいと思うが、軽いものはだいたい波打ち際に溜まっているはずだ。この道路は、瓦礫の溜まる場所を担当したのである。
本来、人が通るためにある筈の道路という先入観がある。その道路を塞ぐ瓦礫は圧倒的なサイズと相まって非現実的である。
街を洗濯機に入れてしまったらこうなるのか。

これから数日ほどでこの道路は通れるようになる。「自衛隊は作業が遅い。民間ならもっと早い」と言われることもあるという。なるほど、数日もかかったと言える。
しかしおそらくそれはこの災害を体験していない、まともに理解しようとしていない、痛みを感じない距離からの机上の空論である。そしてそれを責める気にはならない。(この下りに関しても後に詳しく震災経験を交えて語る)
その発言をした人々はこの瓦礫に何が埋まっているのか考えもついていない。この圧倒的な瓦礫の中に、生存者や行方不明者が絡みついている。しかし人ではない思い出の品々をも彼らは丁寧に手を使って道路際に避けてくれた。

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道路脇に避けられ、主人を待つアルバム – 福島県相馬市 4月30日撮影

自衛隊は「人の復興は物的なものから成されるのではなく、自分たちは決して見捨られなかったという感情的な一体感からなされるものだ」ということを理解し尽くしているようだった。
この”たとえ命が尽きたとしても、災害と戦う”という”徹底した思いやり”の姿勢は多くの人間の胸を打つことになる。

周囲にはコンビニから散乱した酒が転がっていた。ジュースは無いようだ。後に聞くと、避難所でも結構拾った人が居るという。これは警察も自衛隊も「認められるべきリサイクル」扱いをしている。
明治や昭和の昔の津波では”一切落とし物に手を付けるな、自分のものであっても、役人立ち会いのもと確認すべし”という厳しい看板が出ていた頃とは大違いである。

ATMは水が残っているうちに略奪されたという。確かにATMは見当たらない。

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乾いた魚 – 宮城県七ヶ浜町 3月12日撮影

人と違い完全な海の民である魚も打ち上げられ、虚しく乾燥していた。
津波という現象にとって破壊する対象に一切の区別は無い。

 

 

力が抜けた状態で避難所に戻ると、「原発・・・原発・・・」と声が聞こえてくる。
例の床屋の息子を捕まえると、みんなと同じように
「原発が・・・」
と言う。
「なんだよ、原発って・・・あの女川が?」
(※女川原発・・・七ヶ浜から直線30-40kmに存在する東北電力の原発。宮城県で原発、といえば女川)
女川はやや突き出た高台にあるし、地盤はかなり頑丈である。あんな位置で津波に
あんな場所でもやられちゃうわけ?
「い、いや、福島が」
「あっ」
思いだした。あった。確かにあった。福島にも原発があった。あんな・・・・あんなガラクタ・・・・
「まだ動いてたのか」
「う、うん」

「終わりじゃん」

思いだした。あの人々がフラフラと道路”だった”場所を歩く光景を。
いつか見た、三途の川だ。

 

3月11日

東北と北関東で

太平洋に面した低い位置にあるものは

生まれたばかりの赤子であろうが

海を自由に泳ぎ回る魚であろうが

キャデラックの新車であろうが

一家を支えた漁船であろうが

思いやりに満ちた夫婦であろうが

篤い信仰を受けた神であろうが

30年ローンで購入した新築であろうが

原発であろうが

平等に破壊された

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破壊された町を、製油所から出る黒い雲の下で見つめる – 宮城県七ヶ浜町 3月12日撮影

23 三途の川

シャリン・・・
ピロリーン・・・・

うう、うっうっ、ううううう・・・・・・・・

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宮城県七ヶ浜町 3月12日撮影

「・・・・・・」

何も遮るものがなくなったからか、潮風が強い。
老婆の泣き声も潮風に散っていく。

普通町中で音を出せば何かに当たって「響く」はずだった。しかし今当たるものはない。通り過ぎるヘリコプターの音、潮風の音も全て散っていく。
抜け殻のような人々が歩き、ときおり静かに伏せた家に携帯を向けて写真を撮っている。どこかで見たような、何かに似ている光景だった。なんだったっけっか・・・

無音では無い、しかし静寂の世界だった。

「ガソリンスタンドの隣、か・・・」

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宮城県七ヶ浜町 3月12日撮影

製油所の火災の時に親切なおっちゃんから聞いた場所だ。
何も無い。
ただ黙々と消防士が不明者を捜索している。

基礎だけの家に立っている1m程度の粗末な棒に巻かれたビニールの赤い旗が視界の片隅に入った。
何なのか解らないが、何を差し置いても立てる必要があった旗である。

なんだか進む気が失せてしまった。
釘を踏んじゃうかもしれないし・・・と引き返した。

たまたまこういった災害時に”しない方がいいこと”を知っていた私の本心は
「4月から東京に出張がある。ここで”性別も判別不能なほど破壊された子供”などを見た後話が通じないであろう地域に出張に出た場合、正気を保っている自信は無かった」
というものだった。

道路だった場所を歩くと、町内放送が始まった。

「小中学校・・・および・・・・保育所・・・まつぼっくり・・・・
児童館の・・・臨時休校について・・・お知らせします・・・・
3月・・・14日・・・月曜日は・・・臨時休校と・・・いたします・・・」

ふふ、臨時休校ね・・・そうだね、臨時休校、間違って学校に来ちゃったら、大変だもんね、ふふふ・・・・
ハハハハ、でもいいのかい?どう見たって14日だけじゃ済まないぜ!いいのかよたった1日で!無理だろそんなの!ハハハハハ!!!!

食欲の秋・・・

 

福利厚生担当である。

今年度も 節制と運動の春、アウトドアと運動の夏が終わり、読書と運動の秋が来た。食欲?それは課税対象だ。

 

秋は気温も適度で、運動に適しているからと言う事であろうか?京都や日光が人でガッチリと固まる紅葉もある。確かにむちゃくちゃ混めば、日光名物いろは坂で車酔いする事も無い。

 

多く動き、少なく食べるのが理想だが、何故か食べ過ぎる。

コカインやアヘン、覚醒剤が直接的な麻薬なら、食べ物は食べたぞ、という時に脳が麻薬を出す。つまり間接的な麻薬なのだ。

 

食べ過ぎる人というのは麻薬中毒者なのである。

秋はその麻薬の質が高い。ついつい食べ過ぎてしまうのである。たとえばサンマ。上がったばかりのサンマを11匹食べたことがあるか?

 

食べ物は本当に麻薬なのである。

何故か、人の食うものにケチを付けないぞ!とわめく人も、麻薬には体がボロボロになる、とケチを付けるのである。食べ物もボロボロになるというのにである。法律で禁止されているかどうかの違いだ。いずれ過食も法的に禁止されるだろう。あまりに有害だからだ。

 

 

その麻薬に相対するのは、きちんとした食育なのである。

22 三途の川

避難所の穏やかな空気を突如子供の酷い泣き声が切り裂いた。
木に縛っていた小型犬にガリリと噛まれたという。

中型・大型犬もこういった場所では警戒すべきだが、小型犬はその見た目から人が特に油断しがちになるようだ。子供たちが同じく木に縛られた中型・大型犬ではなく次々と小型犬を触ろうとする。
ペットショップの知人から聞けばどうも小型犬はサイズ故に飼い主に抱きかかえられる、上に乗せられるといった、”犬にとっての甘やかし”を受ける傾向にあるらしく、噛む性格になることが多いと言う。

かなり痛がっているようで、早速看護師歴足かけ40年の母親が看てくれないかと声をかけられ接収されていく。

犬としてはしつけ云々もあるが、地面は揺れるわ津波は来るわで知らない土地の知らない場所に唐突に放り込まれ知らない人間にいきなり触られるのもストレスということだろうか。
父親は小型犬のそばに張り付き、触ろうとする子供に「噛むぞ!やめろ!」と注意する。

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犬も辛そうである – 宮城県七ヶ浜町 3/12撮影

 

■動物災害

犬が悪いというわけでは無く、犬に対し不注意な人間に問題がある。災害時に動物をかわいがるのは避けた方がいいようだ。自衛隊がボートで展開する状況化で病院は無い。
時に何十年も人を噛まずになれていた筈の犬が、よりによって飼い主の手を陥没させるほどの牙を打ち込むことがある。飼い主は「してはならないことをしたようだ」と言っていたが、飼い主ですらこのようなミスを犯すことがあり得ると言う事である。

むろん猫も危険だ。我が家では猫を飼っていたが、あわれにも弟は腕をズタズタにされてやはり病院送りになったのである。猫はなんて危険な生物だと心から震え上がった。これが被災時に発生するとやはり病院は無い。

なんにせよ被災時には最低でも自分が飼い主じゃない動物に近寄らない方が良いようだ。特に子供にもそう教えておけば間違いは無いだろう。

一人で居るのもヒマなので自動車の貴重なバッテリーを使いラジオを付けると、なんだかよくわからない情報しか入ってこない。
「南三陸町は壊滅的な被害で、発表に寄りますと、住民の半数と連絡が取れていません・・・気仙沼市は甚大な被害・・・牡鹿半島では大量の遺体が発見されており、宮城県警は死者が1万人を超える見通しと発表しました・・・・」
壊滅的と甚大の違いはなんなのか検討がつかない。1960チリ地震津波を受けた岩手県大船渡市の光景なら写真で知っているがあんな感じだろうか?と考える。(大船渡市はチリ地震津波で最大の被害を受けた)
死者は昨日すぐに3桁に達した報告から、阪神大震災を上回るというのはすぐに考えたが、1万人に達するというのは想像できなかったのである。

 

なんで津波なんてもので
そんなに死ねるんだ
まさかみんな海に津波見学に行き
死んだとでもいうのか

 

わけがわからなくなってきた。今にして思えば、津波の破壊力が先日の爆発程度でしか実感出来ていないのが原因の考えが頭から離れないのである。

このころの私は情報を集めて所感を述べられる私では無い。
津波は三陸で常識であって、言われてみれば仙台で津波の看板は見れない事を意識した事は無かった。津波の看板を見ると、岩手県大船渡市にある実家が近い、と思うだけだった。

ラジオを聞きながら色々考えてしまう。
(どこかで「こうして、Tsunamiは世界共通語になりました」というのを日本は凄いでしょう!と言わんばかりのノリで聞かされたとき、不安を感じていたわけです・・・
それってつまり、何度も破壊を受けるという不名誉な歴史があるからでは無いか、とか・・・
それってなんというか、油断しまくった結果であって、そこからちゃんと学んでいますかとか・・・
国道45号線※には津波注意を促す看板の英訳にTsunami Warningと非常に古いTidal Wave Warningが混在していましたが・・・
その看板があるどちらにも、家がギッシリ建っていますとか・・・)

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今では珍しいTidal Wave Warningの看板。古い表記の割に綺麗だ。少々”突破”されてしまったが -  岩手県田老

このあたりの地理には詳しい。ぐるりの様子をカメラを持って見に行ってみることにした。

 

※国道45号線 本震災の被災状況を最も雄弁に・・・悲惨すぎるほどに・・・物語るであろう、仙台から青森まで主に沿岸を貫通する国道。この国道が通った沿岸部で被害が無い市町村が存在しないと言って間違いはない。

21 三途の川

再度避難所に着くと自動車が校庭から道路までギッシリと駐まっている。
自分が駐める場所を探すよりも先に、親をおいて主な職場になっているほど近い別宅に非常用の水と食事を取りに行くことにした。

 

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煙は数キロにわたった。道路に立っている鏡に映る煙と、その上空の黒い煙が見える – 宮城県七ヶ浜町 3/12

職場も無事である。波高があと5m以上高ければ届いたかもしれないが、地味な高台にある。
家賃がこの七ヶ浜という土地にしてはやや高い。そこを突っ込まれると、「新しくて綺麗なのはもちろんだけど、津波が来ないからね」と返していたのだが、「へー」と、まるで相手にされない返事をされる。そして本震災以降は「えー」と言うこれまた相手にされない返事をされる。コンビニよりたくさん津波の看板が立つ -私の出身地である- 三陸の深刻な歴史はたいてい他人事であり、そこから学ぶ人間が居ることなど”おとぎ話”なのだ。

地震でやや立て付けの悪くなったドアを開け職場に入ると、地震で割れた食器が散乱している。しかし最大の目的の水、500ml入りペットボトル24本がしっかりと一箱にまとまっていた。水は重要なのでことさら説明するまでも無い。
MRP(直訳すると、食事の代わりに、と言う意味)という非常食もある。これは社宅に常に備蓄されているものだ。MRPとは大抵の栄養が入った究極の粉末である。これも確保する。前日避難所で聞いた「おにぎりが欲しいのか?」という言葉は、おにぎりの類、つまり炭水化物ばかりが手に入るということを予想できたからだった。
これに関しては詳しくは所感で述べる。

避難所に戻ると当然水が無いので困っている知人たちが居る。
「製油所から飛んでる有害物質の雨が降るからあんまり外に出ない方がいいって」
と言われると、
「よしわかった、水やるよ」
と水を渡す。
なにかと水が要る赤ん坊や高齢者が居る家族に何本か渡すと、あとは親と自分の分が残った。ここで仮面でも被って子供たちに配ればかっこいいんだろうが、去年あたり用意しておこうと思ったチタンの仮面はまだ発注していない。

この夜、歯を磨いているのを小学生たちに見られて”どこから持ってきたんだその水!”という訝しげな目を向けられることになる。しかし被災したとはいえ日本という幸運な地では歯磨きは大事なわけで、僅かな水で確実な結果を出すことが出来る。

 

千葉県コスモ石油のガス爆発からも有害物質の雨が振るかも知れない、と出回った情報はよくあるデマ(本来のデマとはやや意味が違うがデマとする)として話題になった。こちらも確かに製油所という点からではデマに近い。私も聞くなり怪しい情報だな、と思った。しかしこんな被災地で、雨や雪の日に濡れるのは風邪を引きに行くようなものである。有害物質に関係無く、明らかにあたらない方がいい。そして”製油所の有害物質”はデマだったかも知れないが、残念ながら”原子力発電所の有害物質”は宮城県を覆ったのである。

製油所から来るにおいは未だに強烈だった。風はしっかりと避難所を覆う方向に吹いている。
空は数キロ先まで黒い。あながち千葉県コスモのガスと違い、こちらは油である。においによる頭痛を有害とするならば・・・雨には関係無いが、有害物質が混ざっていたと言えるかも知れない。

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避難所と火災 – 宮城県七ヶ浜 3/12撮影

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自宅で余震を避け重い物が無い場所で、さらに爆風を避け窓に近づかないように寝ていると、11時も過ぎた頃だろうか。目覚まし代わりの町内放送が鳴る。
いつもならやまびこのような放送で聞き取りづらいのに妙に鮮明に聞こえた。

"製油所で火災が発生しています、大爆発が起きる可能性があります・・・避難してください・・・・"

動こうとすると頭が低体温症の影響でとても痛い。
こんな時水没した多賀城からタイミング良く帰ってきた母親は言う。
「大爆発だってよ ほら避難するよ」
「う、うーん・・・焼けて死ぬのも一興かもしれません」
と言うも、何となく起き上がってしまった。どうやら避難所から逃げられないらしい。

ちなみに”人はなぜ逃げ遅れるのか”によると、火事の際明らかに飛び降りたら死ぬと解っているのに飛び降りてしまうのは、パニックではなくこのような苦痛に対する生理的限界と言われる。要は楽になりたいと言うことだ。(ここでの”大爆発の恐れ”は差し迫った皮膚に感じるような脅威とまではいかないが)ごもっともな意見だとおもう。
死ぬより辛いことは容易に出会いうるということである。

暫く待つと、やはり水没した多賀城から帰ってきた父親も帰ってきた。

多くはまだ語らなかったが、聞けば両親共に勤め先はは津波により破壊され自動車も妙な場所に流されたという。

父親はずぶ濡れの服を着替えて言う。
「なんで(残った車に)ガソリンがこんなに無いんだ!」
やはりごもっともな意見である。このガソリン問題はこれから2週間このことを言われ続けるハメになる。

とはいえやや残ったガソリンがある自動車に何故か3つもある寝袋を積むと、小学校に向けて出発する。
今回は徒歩ではない。避難所にスペースは無いだろうということで、爆発範囲外の小学校に逃げ邪魔にならないところに自動車を止めそこで寝るという作戦になる。

途中両親の知人を見かけたため車を止める。
幼稚園小学校合わせて8年間歩いた通学路からの景色は見飽きていたが、通過するヘリコプターの音を添えたダークグレイの太い柱が新鮮すぎた。

「なんだか、変わっちまったよ」

 

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宮城県七ヶ浜町松ヶ浜より  3月12日

この光景を横で見る製油所の制服を着た中老年男性に話しかけてみた。
「いつ消えますかね」
「今は手が付けられません」
強い口調でまだ消火活動は不可能だと言う。

「昨日の爆発音で一見爆発は終わったかのように思えたのですが」
率直に思っていたことを聞く。

「とんでもない!製油所の油が爆発を起こしただけです。低温LPGタンクが爆発したら原爆並の破壊力です。ここから見える限りは吹き飛ぶか火の海でしょう」

(千葉県コスモ石油火災のタンクは低温では無いLPGタンク、仙台製油所にあるタンクは低温LPGとのことである。再度述べておくが、仙台港の製油所で低温LPGが爆発したとのメディア記事は誤報である)

「・・・そうですか」

空に伸びた黒い柱はあまりの大きさで、この丘から見る風景を広大に感じさせた。

トップ画像

晩夏のイメージとして、と言うとせいぜい夕暮れのセミ程度しかおもい浮かびません。
緑なら6月の新緑のほうが美しいですし、夏の海なら盛夏が良いでしょう。

 

ということで、津波被害を受けた地が草で覆われていく様をイメージにしました。
津波来て草木深し・・・・基礎がむき出しになっていた頃は街があったとすぐに解ったのですが、こうなってしまうとまるでただの野原だったかのようです。

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夏は子供の頃の夏休みの長さ、また祭りもたくさんあって大概良い思い出がたくさんつまっているのではないでしょうか。楽しくなる反面、過ぎ去ろうとしている夏にどこか寂しさを感じるでしょう。
こうして津波の記憶もゆっくりと忘れ去られていくのでしょうか。

津波浸水想定区域 ここまで。
奇しくもこの看板が破れたのは、R45のマークの箇所でした。

19 所感

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駅前の光景とは思えない山元町。避難指示に住民の大半が従わなかったのが問題となった – 宮城県山元町 5月撮影

「住民にも行政にも油断があったと言われれば、返す言葉はない」

宮城県山元町町長 (時事通信社 2011 5 8より)

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以前の写真はwikipediaから 宮城県山元町坂元駅 2006

 

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駅舎は立て直したばかりのトイレをのこし、どこかへ行ってしまった ホームも一本無くなったように見える – 宮城県山元町山下駅 5月撮影

前回「油断は誰でもする。まず我が身を見よ」と言う説明に丸々1話費やした。
これから紹介する油断の例を噛みしめていただきたい。
何故この油断が生まれたのか、それは震災後の私が出会った実例で説明していきたいと思う。
ここで紹介するのはまず「油断」がうんだ悲劇である。誰がどう言おうが油断である。
しかしみんな油断するものである。

津波警報を聞いたみんなは急いでいるわけでもなく、まっすぐ避難はしていない。

ある人は言った。「もっていくものを準備している」

ある人は言った。「一旦逃げたけど忘れ物があった」

ある人は言った。「渋滞に巻き込まれた」

ある人は言った。「人を探している」

ある人は言った。「点呼を取っています」

ある人は言った。「津波はいままで通り小さいのしか来ない」

ある人は言った。「3mとあった。届かない場所に住んでいる」

ある人は言った。「さすがに今回は津波が来ると思うので海を見に行く」

ある人は言った。「みんな信じてくれないので、職員が一軒一軒回っています」

ある人は言った。「津波は三陸だけの特産で関係は無い」

最後の3つは信じがたいかも知れない。最初に紹介した時事通信社が述べている言葉を単純にしたもので、山元町の話である。
(私はこの油断を他人事だとは思わない。津波の教育を全く受けていないような人が頭で解るだろうからすぐ逃げるというほうが信じがたい)
しかもこの油断の一部には、積もりに積もった100年以上の歴史的背景をもつものもある。(それは後々”三陸”の項で説明する)

 

■油断、パニック、急げ
この3つのワードを結びつけるのはかなり難しい。しかし重要な繋がりがある。
(パニックは”恐怖による混乱”とする)
まず、「とにかく急いで避難」と最初の所感で述べた。
よく、「地震があっても冷静に、パニックになって逃げると将棋倒しなどが発生して悲惨な怪我をする」と聞いたことは無いだろうか。
人には、緊急時にパニックになったら・・・、という先入観が”強力に”存在する。(私にもあった)
しかし本震災に出会って警報が鳴ってからのみんなの落ち着きようを見てるとどうも変である。
確かに映画や漫画でしか警報で発生するパニックを見たことが無い。
大抵みんな冷静になったつもりでどっぷりと油断している。
おそらく当てはまるであろう、人は何故逃げ遅れるのか(広瀬弘忠 2004 集英社新書)、災害ユートピア(レベッカ ソルニット 2010 亜紀書房) 両紙の言葉を借りると、一般的な認識の・・・

「パニックは神話である」

人が災害発生時に、特に警報だけでパニックになって逃げまどう事はまず無い。
くだらないことに人がパニックを起こすのは地震や津波よりも部屋に紛れ込んだ「ゴキブリ」である。パニック自体は確かに存在する。
しかし地震や津波の警報、また実際に出会っても早い段階では恐怖はあっても混乱など起きなかった。

災害を起こした地球もあまりの人間ののほほんっぷりに大層驚いているに違いない。そもそも地震や津波なんてものはパニックになってでも逃げるべきものなのだ。
災害ユートピアではこう書く。
「もしパニックというのが人々が大変な恐怖に駆られていることを意味するなら、おそらくそれは災害の発生時に起きることとしては極めて正しい理解だろう。(中略)実際、災害が発生したときには(中略)恐怖を感じるべきだ。一方で、怖がっていると正しい行動がとれないとは言い切れないのだ」

同書はむしろハリケーン・カトリーナの際「群衆がパニックを起こしていると思い込んだ警官や軍が秩序を持った群衆を射殺した」と言う。
パニックを起こすのはむしろ、民衆がパニックになっているという思い込みに怯える災害から遠い場所で情報を得ている人物の類やエリートの類であると述べている。
みんながパニックになるから不安を与えるな、正しい情報を隠せ・・・気休めを言え・・・危険であろうから射殺しろ・・・
これこそ恐怖による混乱、パニックそのものである、と言う事である。

確かに私に震災時に来た安否確認メールにはパニックそのものの乱筆のものがあった。そしてそれらの人物は震災をテレビで見ただけだった。
同じ被災者からのメールは極めて冷静である。

さて東北という首都から遠い地では現実感がわかないだろう。
もう一例を上げよう。長期振動とされる本地震は東京の高層ビル群に強く作用するという。その状況ではどうだったのだろうか。
東京オペラシティタワーの高層階(相手側社名があるのであえてこの表現にさせ
ていただくが、このビルは非常に高いビルである)に居た当社の人物は言う。

「明らかに巨大な地震だった。揺れが一段落してもだれもが上を見回すだけで逃げない。私は”不味いですよね”という人物と一緒に、非常階段で震災時会社に指定されているビルの外の集合場所にさっさと降りていった。まともに逃げたのは二人だけでは無いかというほどだ」

実は震災時のビルからの正しい避難というものは非常に複雑かつ曖昧である。耐震性、会社の防災対策、揺れ等に左右されるとしか言いようがない。
(ちなみに家や職場にそもそも一つでも倒れる大きいまたは重い物がある時点で防災対策はされていないと考えられる)
ここで言いたいのは、みんなの周りに将棋倒し等の怪我に発展しそうなパニックはあっただろうかということである。おそらく無かったと思う。
パニックとは、まるで逃げるのを面倒がった人が後付けのいいわけのために災害に当てはめたような気さえするのである。

津波は単純である。早く高い所に。大爆発も単純である。早く遠い所に。
おそらく津波が実際に見えて、さらにあまりに巨大であると実感してからようやくパニックになったように動き出すような油断した人がほとんどである。常に恐怖を感じて急げるようにしておいたほうが良いということなのだ。

最後に油断しなかった例をまとめておく。

津波警報を聞いたみんなはもう居ない。

ある人は言った。「近くの高台は調べてありました」

ある人は言った。「車はまた買えばいいでしょう」

ある人は言った。「アルバムや通帳は常にリュックサックにまとめてあります」

ある人は言った。「家族も逃げていると信頼できます」

ある人は言った。「小中学生だけでも自主避難が出来ます」

ある人は言った。「津波の高さに思い込みはありません」

ある人は言った。「とりあえず15m以上の防潮堤を作って貰えるまで頼み込みました」

ある人は言った。「遙か昔に家ごと引っ越してあります」

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電車と同じで、津波も待っていればどこかに連れて行ってくれるようだ。
待たなければ連れて行かれないだろう。