35 理想郷

「・・・それから、ほかの人々と同じように、死を逃れた住民たちを懸命に助けた。彼らに助けられた住民の幾人かは、そうした災害に遭いながらもできるだけ滋味に富む昼食を振る舞ってくれた」

ヴォルテール ”カンディード” 岩波文庫

 

これは1755年、リスボンで発生した大地震とそれに伴う大津波は3万人(最近の研究。多くは10万人としている)の死者を出した。その出来事を元に作られた箇所にある描写である。
この震災は決定的な衝撃をヨーロッパに与え、ヴォルテールは悲観主義者となり、カントは地震学を世に生みだした。ポルトガルはこのきっかけを一つとして没落していったとされる。

 

話は被災直後ほどにさかのぼる。

被災地の人々は買い物にも整然と列を作る。正しい、さすが日本だ、と世界から賞賛の声があった。
実際整然と列を作っただろうか?
作った。見事に並んだ。ガソリンも長くは48時間並ぶのに、割り込んだのは極々一部の変な人である。

スーパー・コンビニでも自由に解放したから失敗したか?と思いきや、そんなに買い込む人はおらず、人が混むものの、売り切れにならない食べ物や飲み物は多々あった。譲り合いである。
人が入りすぎたので、一度に2人という制限をしたような話だった。(不届き者はわずかにいたようだが)

参考までに言うと、この地域の治安は良くない。なんというか、まあ・・・一時期給食費滞納率日本一だったという。不名誉な話だ。

買い占めが起こったのは被災地とやや異なる東京や内陸の話で、こちらでは全く起きなかった。
東京では買い占めが発生したという。私は震災後、現地より東京に行ったときの方が「水」を買う量が制限された気さえする。

恥、浅ましいと思うのは自由ではあるが、災害時この行為は非常に多く、我々にも影響が出るのではないかと思い込み、買い占めなどに走ったりするという。しかも今回は放射能のおまけ付きだ。
案外その買い占めが本当に功を奏し、自信の生存率を上げるかも知れない・・・・

何が無くなったかと言われれば、タバコが真っ先に売り切れた気がする。タバコは貴重だった。何故か、というか水が無い状態で飲みたくも無いのか、酒は無限にあった。
酒コーナーのシャッターを閉めているが、酒いいですか、と言うと、何にします?と商売を始める元酒屋現コンビニもあった。(地方は東京と異なる形のコンビニが多い)

(避難所の学校で少しでも酒を飲もうものなら、「こんな状況で!なんでお酒なんて飲めるんですか!」とヒステリックにわめき出す女性などがおり、「まあ一応学舎ですから」ということで我慢するような状態が起きたようだ。タバコはそもそも教員喫煙所が昔はあったから、あまり抵抗はないのだろうか?)

変だと思ったのは震災から2~3日過ぎてからである。
おにぎりなどを隣近所から貰うのだ。
作ったから食べろという。

これが多い。こんなに炊くのはただ事では無い。避難所と違い、一軒家には配給が来ないため、余裕はあまり無いはずではあるが・・・
最初は「代わりに何かよこせって事か?」と何か使えそうなものを返礼として渡す。

しかしどうもそれは的外れのようで、ただ単に分け与えるのだ。
太ってしまうぞ、これは・・・そういう量だ。

最初避難所で私が水を配ったのと同様、誰もが助け合い、協力しあっていた。