終盆より

今年は終戦ものと被災ものが多かった気がします。

東北の観光地もまずまず人が多く、世界遺産に認定された平泉、もともと人気が高かった蔵王山頂、島々が津波から守り抜いた松島のみならず陸前高田、南三陸町といった被災地も静かな観光地となってきている気がします。

(不届きなことに国道にすらRikuzentaka”D”aという青看板がありますが、正式にはRikuzentaka”T”aです)

沿岸部も瓦礫の撤去がすすみ、基礎だけが残るようになってきました。
その基礎も雑草が隠し、元から街などないただの草原だったかのように思えてきます。
陸前高田はその上にピラミッドのように巨大な瓦礫の山が林立しはじめました。

震災当時の破滅的な光景ではなくなりましたが、パンクに注意していただきたいものです。へんな突起物が出ています。

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17 所感

終わってみれば悔いだけ残る
油断という名の選択肢

東日本大震災-106
背負った子供は無事だったのだろうか – 宮城県七ヶ浜町 5月

ここまでの所感を述べる。

「誰か助けてくれ」ではなく「あんた、助けてくれ」

非常に重要な事なので先に述べておく。
この話では私が具体的な目線で、要するに名指しを受けて助けを求められている状況に遭遇している。これが「誰かどけてくれ」だった場合、ご想像通り、少なくともすぐには場所は空かなかっただろう。
本震災でも美談はたくさん聞いたと思う。人間悪い人ばかりではない。助けられるなら困っている人間を助けたいと思っている人は多い。そんな人に”指名”すると”立候補”を求めるプレッシャーも無くなりそうだ。

この避難所ではみんな座ったり横になっているから声を出し続ければいずれ誰かが場所を譲ってくれるかも知れないが、早歩きで道行く人々が相手となると状況はさらに厳しくなるだろう。

これも同じ状況を説明している箇所が(また・・・)広瀬弘忠氏の「人は何故逃げ遅れるのか」に書いてある。
わかりやすく要約する。

”救援者を指定しないと助けを求められたみんなは「他の人はどう動くか、動かないなら俺も動かない」「危なそうだから近寄らない」などの普段のモードで考える結果、傍観者となる。救援者を指定すると、指定された人物は他の無駄なことを一切考える余地が無くなり、つまり非常用のモードに切り替わり救援に入る その救援者は、時に自らの命を捨てる事になるまで助けに応じてくれる”

とのことだ。例では海外でのケースが採り上げられており、「あんた、助けてくれ」はどこでも通用することを表す。
経験してみると助けを求められたときの「ん?僕」と言う反応は・・・確かにモードが切り替わった感じがするのである。

ちなみに、暖かい場所を奪ったら絶対に離さないというケースも避難所で散見された。
東北の冬はあまりに寒い。私はこれを責める気にはならない。
ただ助けを求める相手は少しは選んだ方がいいかもしれないと言う事だ。

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16 避難所

ガン、と嫌な音が鳴る。
具体的に言うと、人間が重力に負けて倒れステンレスの水場に頭をぶつけたとすぐ解る音である。
ストーブの光で輝く瞳が肉食動物の気配を感じ取った草食動物のように一斉にそちらを向く。

音の主は体調不良のようで、さらにたった今怪我をしてしまったようだ。
この災害で私がけが人を目撃したのは初めてである。避難所に入ってからもこのときまで一人も見ていない。
負傷者が死者の数倍に達する地震災害と違い、津波災害はけが人が少ない。怪我を許さない水死が大半を締める。
そのため、けが人に対応するための装備をしてきた県外の救急隊が面食らったと言う話もあるほどだ。

看護経験がありそうな女性に抱えられて高齢の女性が中に運び込まれてくる。

ちょうど一人分のスペースに横になっていた私に向かって、
「すいません、ちょっとの間こちらの場所を貸していただけませんか」
高齢者の引っ張り込んできた女性が言う。

(ん?僕?そう、僕ね 確かに僕は多分この避難所でもトップクラスに寒さに強いからね そりゃ見る目あるね)

単に近いだけだろうが、私は無言でさっさと立ち上がって場所を譲った。周囲は魚類と言うべきか、は虫類と言うべきか、そんな無感情な視線を私に向ける。

それを受けて
(立ち上がるポーズが普通すぎたのかな ほんとに「確かに寒さに強いからね そりゃ見る目あるね」とか言えば良かったかな)
とくだらない事を考える。

しかし、場所を譲るのは絶対ちょっとじゃ済まないだろう。ここから動けるようになるにはそれなりの怪我や体調不良の治療が出来る”目的地”が解ったときではないか。

「お名前を教えてくださいT?Tさん?すぐ救急車が来ますからね!お連れはいらっしゃいますか?」

救急車・・・・

安心させるための言葉で、希望というわらにすがらせるためだろうが
あの津波と火災を見た私にとって、より絶望を
(ばあさん、救急車はまず来れないぞ。そしてここはこの避難所全員が通うトイレという避けられない寒気が来る。私が出来るのはここまでだ。 グッドラック。)
これからこの女性が耐える辛い時間を思うと、目は細まり、眉間にしわが寄った。

「あら、濡れているじゃない。ちょっと外に出させて貰うわよ」
さっさと濡れた毛布を片付けると、足を伸ばして眠れるスペースが生まれた。
女性は合理的、かつ、タフだ。私がどけると我慢強くないな、と言われるだろうが・・・

お連れの”夫”が来たが、悲しむでも驚くでも焦るでも無く、かろうじて立てている抜け殻のような状態である。

さてスペースを失った私は東京ドームの出入り口のように、案外トイレのドアそばより外の方が風が少なくて暖かいのでは無いかと思って外に出たが

!!?!?

29~30時頃だろうか。あまりに寒く言葉が出ずによじれるだけだった。Yシャツ1枚でスキー場に行ったときより明らかに寒い。
これは不味い。入り口付近をウロウロしていると、
「おにぎりが欲しいのかい?」
と男性に声をかけられる。
「い、いや それはいいんですがね」
私の外見上の脂肪はあまり多くない。それでも体脂肪率10%前後は有り、それは70000キロカロリーに達し、余計なことをしたとしても20日間の水分と手に入りやすい塩分だけでの生存を保障している。
去年”たまたま”減量を行う機会があり、それは自分の生存期間にかなり強い根拠を与えてくれる。
そしてこの町は多賀城自衛隊駐屯地が近い。救援は速いはずだ。
おにぎりのような食事は食べ慣れたものを摂らないと不安に思う層、または高齢者や子供などに与えられるべきだ。

しかし一番の理由は、”大きいおじさん”がおにぎりを子供の居る避難所で腹が減ったからと受け取るという、これは私の望んだ大人の姿では無く、そのように自分は(まだ)出来ていない。

話しかけられた男性に聞きたいことを聞いてみた。
「実は火災収まったとかそういった(都合のいい)情報は」
「いや?解らないのです 火事ですか?避難指示が出ているのですか?」
一蹴である。

朝までこの気温でこの服。耐えたとしても低体温症で寝込むと言った事になりかねない。
何かいい方法は・・・

避難所の周りを見渡すと、体育館につきものの2階の観戦用廊下が目に入る。
(これはもしや)
2階に上がる。数人居るだけでガラガラである。しかも暖房が上に上がってきて暖かい。
イェルサレムはあったのである。
(※エルサレム、キリスト教等の聖地だが、あるいは約束の地、天国を意味する)

床はやはり硬いが、気温が高い。
ゆっくり寝れそうだ。

なんだかずいぶん長い1日だったような気がする。
お休みなさい。

 

 

1時間ほどしただろうか。避難所を担当している一人のような人から声をかけられる。

「起きてください」
「え?」
「ここ(2階)は閉めます」
「ほ、ほほう なるほど 閉めるね なるほどね」
イェルサレムは無かった。

さっさと立ち上がると、とても頭がガンガンする。常にかき氷を食べている感覚。
低体温症の症状だ。

とはいえ、倒れた女性のそばに無理矢理割り込む気にはならない。
外には朝日が出ていた。家に帰ることにする。私には―焼けるかも知れないが、家があるだけ、そこに居ろという声かも知れない・・・

2階をさっさと早歩きしていると、明るくなったからか、校長を名乗った女性が挨拶をしている。
「左手前のブルーシートに座っている子供たちを見てください。まだ両親と連絡が取れていない子供たちです。みんなで一緒に乗り切りましょう!」

 

ブルーシートの面積は広い。

15 避難所

避難所となっている松ヶ浜小学校体育館の中は薄暗く、人がギッシリと詰まっていた。

外と違い、明かりはストーブ数台。
その赤い光に照らされた人のが闇に浮かんでいる。

人の入れるスキマを探していると、ちょうどカドに何故か一人がギリギリ横になれるスペースがある。
ここにお邪魔をする事にした。
そして何故こんなスペースが空いているのかすぐに解った。

津波前の当日朝の七ヶ浜に最も近い塩竃市の気温は最低-4度前後で津波後不明。
風速は3から4m。湿度50%。 体感温度は-11度から-15度に達する事を意味する。(今聞くだけで寒い)

トイレにつながるドアがすぐそばにあり、しょっちゅうこのドアが開く。直線上に体育館の出口がある。
重く冷たい風がそのたびに真っ先にここに命中する。

この通気により、避難所でここが一番寒いと言っても決して過言ではない気すらする。 これは確かに空く。

あまり高くないスキー場ではYシャツ一枚で行動可能な私にとっても異様に寒い。
もっと厚着してくりゃよかった、と考えても遅いのである。
しかしいつか経験した箱根駅伝応援の復路出発に学ランで待機するよりは寒くない。
(こんな寒い場所を割り当ててくれて光栄だね!他のヤツなら死んじゃうだろ!)
そんなくだらない事を考えて奮起していると、親と毛布にくるまった子供が「寒いね」、と言う。親が「うん」、と言う。確かに寒い。 突然
「閉めろ!さみいんだよ!」
と怒号が響く。 トイレに向かうドアはたいして高価ではない引き戸のため時に開けっ放しになるのだ。
(良く言った!)と言う顔多数。
女性が開けっ放しにしたドアを慌てて閉める。

一方、ストーブはそばが熱すぎてドーナツ状に開いている。適度な距離をとってぼーっとする人や寝る人がいる。これも格差とか言い出す人が居るのだろうか。

姿勢を変えようとすると、どういうわけかずぶ濡れで冷え切った毛布が触れた。油断した体制で居るとこっちまで浸みてくる。
(なんでこんなものがあるんだ。外にあるべきものじゃ無いのか)
一瞬外へどけようと考えたがしかし、もしかしたら”とても大事なもの”を包んできたのかも知れないと思うようになった。
私の今居る場所は ―今は正確に知らないが― 海側にある裏口から物を運び込みやすい場所だった。
( ここは最初から空いてなかったのか )
そう考えると、この毛布も外にどける気にはならなかった。

姿勢を落ち着けてゆっくりしているとずっと妙なチャイムが鳴り響いているのに気付く。避難所の各所に設置されているラジオから鳴っている緊急地震速報の音だ。当初、間抜けなことに携帯のメール着信かと思っていたが、この歳になるまでテレビやラジオで聞いたことが無かったのである。
チャイムはずっと鳴っている。この音しかラジオから聞けないのでは無いか・・・そのくらいに。

震度4以上62回 ――東北地方で障害を起こしていない震度計だけでの3月11日-3月12日に起きた地震の観測結果。 平成23年7月20日 気象庁地震火山部発表。

ときおり、天井からカラカラカラ・・・・と音が鳴るようになった。
明かりで照らされる体育館の天井を支える大量の鉄骨はどう見ても少々の揺れで壊れるようには見えない。
実際はカマボコ状の天井に少々積もった雪がストーブの熱に溶け、滑って音が鳴っているだけだと考えられる。
しかし終わらない緊急地震速報に不安を憶えていたのだろう。何の音だ?崩れるのか?と天井を見る人も居る。

ラジオがチャイムの合間に言う。
”・・・・荒浜では200体から300体の遺体が発見されたと県警が発表しました・・・”

昼間に話した床屋の息子が
「荒浜で100人以上の遺体が見つかったとか」
と言っていたのを思いだした。想像できないが、どうも本当らしい。そしてこの数は足腰に難がある人間の数では無い。

「津波で健康な人も死ぬのか・・・・そうか・・・・・」
私は前も述べたとおり、この日まで今時津波で多くの死者が出ることはまず無いだろう、と思っていた。

3月11日は25時を回る。

一変して涼しい夏に

撮影班です。窓を開けているだけで十分に涼しい夏になってしまいました。
エアコンが悪者の時代のように語られる昨今、心強い味方になるのではないでしょうか。
しかしこの涼しさをもたらした自然現象は福島と新潟には厳しい結果になってしまったようです。

涼しそうです。

14 避難所

「まるで被災者扱いだね。焼けなかったらまた会おう。家」

fired

 

何も持って行かないのは消防団からの指示の他に、製油所はこの区域から結構遠いように見え、よほど派手に爆発してもここまで火が届かない気がするので家財は大丈夫だろう、と考えていたからだと思う。
私は逃げろと言われてるから逃げてるだけで、あまり危機感は無い。
「爆発ってすでにしてるんじゃないのか こっちまで来るとは思えない」
私の認識はそんな程度だ。

この日の火災は後に見る事が出来た当時の記事でマスコミ各社が誤報をしていた。
「仙台製油所、低温LPG爆発」
実際は製油所の低温LPG付近の火災と爆発である。低温LPGは爆発していない。
(この震災における誤報はかなり多く、現地で情報は非常に混乱していた)

真っ暗な道を小学校に向かう人々は主婦と子供、また坂を上がってくる大量の製油所の人々だ。なんだか(まるで遙か昔のように思えるが)昼間見た階段を上がってくる発電職員を思い出した。
必死に逃げる主婦とついて行く子供は、子供は最優先!という母親の強さを感じる。

成人男性や老人はあまり見ない。
多くの労働者は仙台港に働きに行っているため、まだ浸水で戻って来れていないのではないか。
また、老人はこういうときに逃げない人が多いようだ。
後にこのとき何をしていたかと聞くと、「おりゃー避難してねえ」と答えた人々は多かった。

さて避難所である6年間通った小学校に着くと、小型発電機の音がたくさん聞こえてきた。
たくさんの人がウロウロしている体育館前にはベニヤのついたてが立っており、それを安否確認の紙が逆立ったウロコのようにギッシリと埋め尽くしている。
この状況でもしかし体育館の外には電球が輝き、中には数台のストーブがたき火のように灯っている。
てっきり真っ暗で寒いと思っていた私は「なんて展開が速い、凄いな日本」と思ったが、どうも後に聞くとこの七ヶ浜町の避難所群は「最も恵まれた避難所たち」だったとのことだ。

しかし上空に残念な光景が広がっていた。そのときの自分の残念そうな表情はかなりのものだったと思う。
西が僅かに火災で赤いだけで、停電のせいか妙に綺麗な星空。
風が少ししかなく、空気に揺れるだけの小さい雪。

放射冷却。
こいつで固まった日の氷は硬くて、小学生の頃は良く滑った。
これから1月2月の寒さの長い夜が始まる。何人も死ぬだろう。

ウェブ魚拓メンテナンス終了しました

予定を12時間以上上回ってしまい申し訳ございませんでした。

無事メンテナンスを終了致しました。
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ウェブ魚拓緊急メンテナンスにつきまして

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