15 避難所

避難所となっている松ヶ浜小学校体育館の中は薄暗く、人がギッシリと詰まっていた。

外と違い、明かりはストーブ数台。
その赤い光に照らされた人のが闇に浮かんでいる。

人の入れるスキマを探していると、ちょうどカドに何故か一人がギリギリ横になれるスペースがある。
ここにお邪魔をする事にした。
そして何故こんなスペースが空いているのかすぐに解った。

津波前の当日朝の七ヶ浜に最も近い塩竃市の気温は最低-4度前後で津波後不明。
風速は3から4m。湿度50%。 体感温度は-11度から-15度に達する事を意味する。(今聞くだけで寒い)

トイレにつながるドアがすぐそばにあり、しょっちゅうこのドアが開く。直線上に体育館の出口がある。
重く冷たい風がそのたびに真っ先にここに命中する。

この通気により、避難所でここが一番寒いと言っても決して過言ではない気すらする。 これは確かに空く。

あまり高くないスキー場ではYシャツ一枚で行動可能な私にとっても異様に寒い。
もっと厚着してくりゃよかった、と考えても遅いのである。
しかしいつか経験した箱根駅伝応援の復路出発に学ランで待機するよりは寒くない。
(こんな寒い場所を割り当ててくれて光栄だね!他のヤツなら死んじゃうだろ!)
そんなくだらない事を考えて奮起していると、親と毛布にくるまった子供が「寒いね」、と言う。親が「うん」、と言う。確かに寒い。 突然
「閉めろ!さみいんだよ!」
と怒号が響く。 トイレに向かうドアはたいして高価ではない引き戸のため時に開けっ放しになるのだ。
(良く言った!)と言う顔多数。
女性が開けっ放しにしたドアを慌てて閉める。

一方、ストーブはそばが熱すぎてドーナツ状に開いている。適度な距離をとってぼーっとする人や寝る人がいる。これも格差とか言い出す人が居るのだろうか。

姿勢を変えようとすると、どういうわけかずぶ濡れで冷え切った毛布が触れた。油断した体制で居るとこっちまで浸みてくる。
(なんでこんなものがあるんだ。外にあるべきものじゃ無いのか)
一瞬外へどけようと考えたがしかし、もしかしたら”とても大事なもの”を包んできたのかも知れないと思うようになった。
私の今居る場所は ―今は正確に知らないが― 海側にある裏口から物を運び込みやすい場所だった。
( ここは最初から空いてなかったのか )
そう考えると、この毛布も外にどける気にはならなかった。

姿勢を落ち着けてゆっくりしているとずっと妙なチャイムが鳴り響いているのに気付く。避難所の各所に設置されているラジオから鳴っている緊急地震速報の音だ。当初、間抜けなことに携帯のメール着信かと思っていたが、この歳になるまでテレビやラジオで聞いたことが無かったのである。
チャイムはずっと鳴っている。この音しかラジオから聞けないのでは無いか・・・そのくらいに。

震度4以上62回 ――東北地方で障害を起こしていない震度計だけでの3月11日-3月12日に起きた地震の観測結果。 平成23年7月20日 気象庁地震火山部発表。

ときおり、天井からカラカラカラ・・・・と音が鳴るようになった。
明かりで照らされる体育館の天井を支える大量の鉄骨はどう見ても少々の揺れで壊れるようには見えない。
実際はカマボコ状の天井に少々積もった雪がストーブの熱に溶け、滑って音が鳴っているだけだと考えられる。
しかし終わらない緊急地震速報に不安を憶えていたのだろう。何の音だ?崩れるのか?と天井を見る人も居る。

ラジオがチャイムの合間に言う。
”・・・・荒浜では200体から300体の遺体が発見されたと県警が発表しました・・・”

昼間に話した床屋の息子が
「荒浜で100人以上の遺体が見つかったとか」
と言っていたのを思いだした。想像できないが、どうも本当らしい。そしてこの数は足腰に難がある人間の数では無い。

「津波で健康な人も死ぬのか・・・・そうか・・・・・」
私は前も述べたとおり、この日まで今時津波で多くの死者が出ることはまず無いだろう、と思っていた。

3月11日は25時を回る。