ウェブ魚拓に発生しておりました障害につきまして

ウェブ魚拓をご利用の皆様、大変ご迷惑をおかけしておりました。

メンテナンス終了から本日0時頃まで障害が発生しておりました。

ただいま完全に復旧し、平常運転をしております。

 

原因としまして、新規ハードウェア導入に対しての細かい想定外がいくつか発生し、それに対しメンテナンス担当が動ける時間を十分に取れなかったことがありました。

 

再発防止策として、メンテナンス自体、またその後のテスト、またメンテナンス終了後に担当がすぐに修正できる監視時間を十分に取るように致したいと思います。

 

しばらく障害が発生しましたことを深くお詫び致します。大変申し訳ございませんでした。

ウェブ魚拓に発生している障害につきまして

お手数おかけしており、申し訳ございません。

現在、ウェブ魚拓で取得ページが「取りきれていなかった魚拓です。」と表示される障害が発生しておりました。
原因を調査、修正中ですが、かなりお時間を戴く可能性がございます。

今後はメンテナンス後のテスト手順を確定させ、入念に行い、発生を防ぐ方向です。
今しばらく対応をお待ち下さるよう御願い申し上げます。

58 復興イベント2

結局有志は3名来てくれることとなった。1台生き残った自動車で送り迎えと東京を二往復することとする。
高速道路は被災者証明を使えるためタダであり、4桁という恐ろしく高かったガソリン代も元に戻った。
移動費はかなり安くなる。

高速道路はデコボコは治ったが、瓦礫の運搬のせいで落下物が多い。注意しないと踏み抜き、路肩に打ち落とされることとなる。

私は深々と礼をする。
「すまないね、来てくれて・・・・・」
同期は言う。
「おお、昔のようにやれるじゃねえか」
「俺たちもなんかしたいと思ってたんだよ」

東北自動車道のドライブ途中、同期は言う。

「なんかね、温度差を感じるんだよ。俺とお前の」
「それは仕方ないだろうね」
「いい方は悪いけど、もう落ち着いちゃってるとおもっちゃってるわけなんだよ」
「それも解る」

一つ角を曲がったら、別の世界だ。

現在、短い間だが空き家になっている社宅に案内すると、
その日の夜は瓦礫の片付けを手伝った家の床下に沈んでいたのをいただいたブランデーを開けた。
結構高級なブランデーで、雰囲気も盛り上がる。

「東京じゃ帰宅が大変だったくらいだからなあ」
「そうだな。しかし、少しは解ると思う。どうせ行く途中に通る・・・」

私は続ける。

「まだまだあのままだからな」

gareki

– 23年 –

東日本大震災で宮城県のがれき量が1年間の一般廃棄物の23年分に相当すると、県が3月に発表。

翌日、向かう途中に夜の間は無事に見えたかの町を一周し、到着した石巻の門脇小学校周辺に車を走らせる。

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(画像は七ヶ浜)

「これは酷いな・・・・」
「今日は本当に来てくれてありがとう。合計5人なんて、そうそう無いよ。元気よくやろうか」
「おお・・・・」

57 復興イベント

春の終わりから夏にかけて、我々元応援団員が石巻の復興イベントにちょくちょく呼ばれるようになっていた。
瓦礫撤去をしているわけではない。ボランティアと言うべきか、そうではないのか・・・

東京と石巻は地味に距離がある。
交通費もまずまずのもので、見舞金やら何やらも元々目減りしつつあった貯金を圧迫する・・・
災害は金がかかると憶えたり。

今度は地元ローカル局の復興イベントにからみ、どうも元応援団がエールを送って欲しいということで要望があった。
意外と大きいイベントらしいので、その日動ける東北にいる元団員が私を含め2名という寂しさでは足りない。

これは遠くから応援を呼ぶしかない。私は今は遠い所に住んでいる応援団の元同期に連絡を取ることにした。
広島にいるはずの知人である。

電話をすると、すぐ繋がった。

「新沼?ひさしぶりだねー」
「おお、元気か久しぶりだな。ちょっと頼みたいことがあってね」
「大丈夫だった-?そっち。大変だったよねー」
「おお、大丈夫だったよ。広島は平和だっただろ?」
「俺も今広島だけど、そんとき東北にいたんよねー」
「おいおい、本当かよ。どこに居たんだ?」
「福島だねー」
「そっちの方が大丈夫かって感じだね。転勤かなんかか」
「うんー、逃げてきたんよ」
「そいつは広島に実家があってまだ良かったな・・・福島のどこに居たわけ?」

「原発」
「は?」

「原発作業員やっとるんよね-。避難の指示が出てね―」
「お、おお。出るね。出たね。大丈夫なわけ?体」
「検査したけど問題は無いって言われたんよねー」

(略)

「うんー、あいつらにはこないだもあったしねー、連絡取れるよー」
「ありがとう。本当に感謝してる。東京からかかる金は全て出すよ」
「本当にそう言っておくよ-?僕が行けんくて申し訳ないねー」
「よしよし。ありがとよ」

そこで電話を切った。

原発は近い。

ウェブ魚拓のメンテナンス告知(追記あり)

3月19日(月)の午前0時よりウェブ魚拓をメンテナンスのため停止します。
作業内容は

– 数年間稼働中のサーバのハードウェアの新調
– サーバのOSのアップグレード
– データバックアップの強化

↑です。
機能やデザインの変更は行いません。
作業が完了しだい、サービスを再開いたします。

所要時間は最長で24時間を見込んでいます。
これはウェブ魚拓が蓄えたデータが非常に大きいため、ネットワーク越しに転送するのに時間がかかるためです。

利用者の皆様にご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただき、今後ともウェブ魚拓をよろしくお願いいたします。

—-3月19日(月) 20:24追記

申し訳ありません。
作業に時間がかかっており、予定した時間内に終えられない可能性が出てきました。
できるだけ早くサービスを再開できるよう善処いたします。

震災から1年たちました

14:46は黙祷をいたしました。
こちらの地域では船が汽笛を一分間鳴らしてくれたようです。
夜には追悼の花火も上がりました。

被災した方、また関係した方、それ以外の方々もそれぞれの思いがあるかと思います。
古い書では、人生でひどい事はいくつもあることだが、津波ほどのものは恐らくない、と書かれています。
今だ過酷な状況化に残された方々も非常に多く、あまりに重い問題が山積しています。

毎日を大事に過ごすことを考えるばかりであります。

56 宮城県石巻市 津波火災

津波が燃えないとは、誰もいっていない。

 

-平均2.9階と平均1.7階-

東日本大震災で生存した人間と死亡した人間が避難した高さ。
(ウェザーニューズ、今村文彦東北大教授、矢守克也京大教授らの共同調査による)

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石巻にある門脇小学校はかなり海抜の低い位置にあり、海を受け止めるような方向を向いて建っている。
ここは津波の際裏山である「日和山」への避難を徹底しており、その成果が出て即座に避難、児童全員が無事だった。

ところがその後、災害時の避難場所がこの小学校に指定されているため、住民の一部が避難してくる。
(明らかに海から高くないようにみえるが、本震災の前までは2階まで届くだけで信じがたい大津波であったろうし、自動車でも到達しやすく、学校は余震でも崩れづらい。
裏にある「日和山」は観光地だが広くはない道路の連続であり、家屋倒壊・渋滞を考えると避難場所としては逃げ辛いかもしれない・・・そういうところもあったのだろうか)

この小学校は結果的に屋上まで水を被ったということだが、3階もあるし、屋上もある。小学校は大量のガソリンやエンジンオイルで満たされた車両群、あるいは破壊されたタンクから漏れた油、
また破壊された家などの木材が波打ち際の漂流物のように溜まり着火、大火災となった。
避難していた人々は裏の山にさらに逃げる事を余儀なくされた。

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(写真は大槌町)

避難所、もしくは避難所となった建物が焼き尽くされた例は他にもたくさんあった。気仙沼、釜石、仙台・・・・・仙台は避難所となっていた小学校に火が到達する前に、ヘリコプターによる夜間消火で食い止めたという。

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(建物じゃなくとも爆発や焼き尽くされる怖れがあるから逃げろといわれたのを思い出すが・・・・)

下記は参考にした読売新聞の記事からの引用である。

(水面で)油をバーナーで熱しても炎上しなかったが、木材を浮かべると一変。まず木が燃え、その7~8分後、火は一気に水面に広がった。
「油がしみて燃え出した木材が『ろうそくの芯』になり、放射熱で周囲の油が70~100度の引火点を超えた」とみられる。

想像力を働かせて、勝手に津波の限界を決めずに高台へ逃げるのだが、あまりに速い津波に対しては車両や木材が打ち寄せられるようなところから出来るだけ離れる余裕があるかははっきり言って解らない。
津波避難ビルなどよりも出来れば、山が良いのだろうが・・・

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たわんだフレーム、焼けた時計。屋上までしっかりと火が届いているのが解る。

 

県警によると、門脇小学校周辺では55の焼死体が見つかったという。

(※参考 読売オンライン http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1326213628956_02/news/20120111-OYT8T00097.htm)

トップ画像

一部だけ切り抜くとなんだかわけがわかりませんが、冬の天の川ですね。撮影場所は南三陸町です。

冬の天の川から夏の天の川へとチェンジしていきます。下の明るいのは光害ですね。

この光害は星の撮影には本当に邪魔なのですが、災害時にくらべずいぶんと明るくなっているのを実感出来ます。とはいえ、製油所の火災で空は真っ赤でしたが・・・・

冬の天の川は非常に薄く、田舎に行かないと日本では滅多に見る事は出来ません。

これからは夏の星座を楽しみにしたいところですね。

 

冬の天の川1000

55 宮城県石巻市4 ボランティア駐屯所 石巻専修大学

「最初の10日間の記憶がほとんど無い。当時のメモを見ても思い出せない」

石巻専修大学の事務員。河北新報ニュースより。http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110901_01.htm)

私立石巻専修大学は東京に本校を持つ専修大学が石巻に建学したものだ。

(一応付け加えておくと、私の母校である。私が学校に居る間、大学名を明らかにしつつテレビに幾度も出て視聴率をかなり稼いだことにより広告効果をもたらしたらしく、卒業生の中でもまだ教職員に憶えられているほうである・・・)

震災の影響でによる収入などの問題から、入学辞退が相次いだ。入学した生徒は例年の約1/3。

教職員、生徒数百名が避難していたが、「この設備を使って出来ることがある」と非常に素早くヘリポートとして、ボランティア活動拠点として解放された。避難者も受け入れた。

この大学の敷地は非常に何も無い空間が広い。そばを流れる北上川という川の氾濫時、遊水池となるためだ。そんなとき、冗談交じりにカヌー部がグラウンドだった場所に船を出す。

そこは貸せと言われれば貸せる。まあ、平らな広い土地だ。

しかし、拠点や避難所として解放する以上、「私立」には様々な障害要因がある。私立大学は学校ではあるが、同時に企業である。経営しなければならない。建物をいつまで避難所として解放していれば良いのか解らないし、ボランティアの拠点としてもグラウンドに張るテントだけではなく、救援物資貯蔵所が必要であり、また、活動拠点としての部屋を提供しなければならない。それらも期限など全く不明なため、授業に差し障りがあるかも知れない。教職員、生徒が行う事となった運営の苛烈な忙しさは冒頭の通り、記憶障害のような状態となったという。

しかし、この決断は異様に素早かった。災害時はとにかく速さが優先される。ところがこれがとてつもなく難しい。これができる難しさは大人になると解るだろうが、これは組織としての下地が出来ていて、かつ「責任は俺が取る」と言える「上」も必要だ。
この大学は「本校」と呼ばれる専修大学も納得させる必要がある。
本震災で数少ないリーダーシップを発揮できた例と言える。

この学校は比較的新しい。
石巻市が大学を誘致し、そのときに専修大学が名乗りを上げた。
誘致されたはずだったが、住民は賛成と反対半々に別れた。相当の反対運動、あまりおおっぴらに出来ない妨害もあった。歓迎ムードとはほど遠いものだったという。当時の局長は粘り強く努力し、建学にこぎ着けた。

ある職員は言う。
「いろいろあったが、反対された方々にも、今回役に立っていれば・・・・・」

この大学の建学の精神は、”社会に対する報恩奉仕”。

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遅めの入学式を終えた親子と、ボランティアのテント群。 – 石巻専修大学敷地内 2011/5/22