60 天然の要塞と人工の要塞 普代村の奇跡

「松島はもう観光再開しているみたいだぜ」
松島は日本三景と呼ばれる観光地である。三景にそれぞれ割り当てられる「雪月花」の「月」を担当する。
やや家屋には浸水のあとの泥の線があるが窓などが割れていないところを見ると、緩やかに上がって緩やかに下がった程度であると言える。

松島町

死者:2
行方不明者:0
建物の被害:0

(宮城県発表)

対面にある東松島町は苛烈な破壊を受けている。
そこから見ると松島はかなり平和なようだ。

少々距離的に飛ぶが、車を走らせていると普代村も目につく。
「まるで被害がないな」
「多少漁港の建物が破壊されているけど、他の場所に比べれば何も無かったかのようだね」

 

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普代村と呼ばれる場所は、岩手県の北の北にある非常に小さい町だ。人口も約3000人と少ない。

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普代村を守る、巨大な壁

岩手県普代村

死者:0
行方不明者:1
建物の被害:0

(岩手県発表)

本震災で例外的にこの2つの町はほとんど被害がない。

松島は海底の地形と天然の島々が津波を防いだと言われている。
観光客は速やかに避難をしたという。観光客は「あずかりもの」なので避難させる意識も高かったのかもしれない・・・

普代村は明治、昭和の大津波双方で壊滅している。地形は波を増幅させる三陸そのものだ。

世界最高の防波堤と言われていた釜石の防波堤が破壊され、津波太郎の万里の長城と言われた高さ10mの田老町防波堤も突破された。
(両方の防波堤は全く無力では無かったといわれてはいるが)防波堤よりも、高台移転、人間が逃げるというのに力を入れていこうという方向に傾いた。
田老町は明治三陸大津波で15mの津波に襲われているが、残念ながら参考にしたのは10mの津波であった昭和三陸大津波のようだ。

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釜石市近辺にある防波堤の一つ。助手席から撮影したので正確な位置がわからないが、かなり巨大な防波堤が木っ端みじんに粉砕されている。切り取られた階段が虚しい。

そんな中、この津波に耐えきった防潮堤と水門が普代村にある。
その高さは15m超という、類を見ないものだ。

この防潮堤を作った当時の村長は、明治の普代を襲った津波は15mあったという言い伝えを信じ、15m超の防潮堤を作るのに奔走したという。
「田老でも10mなのに、その15mという数字はどうにかなりませんか」
というやり取りがあったのは間違いない。村の中でも反対はあっただろう。

しかし村長は作った。そして耐えた。

普代村にとどまらず、三陸の英雄としてこの村長は高く評価されることになった。
噂によると村長の墓参りに訪れる人は後を絶たないという・・・・

一方これを知ると、じゃあなんで高い防潮堤を作らないのか、という声が聞こえてくる。

そちらは至極ごもっともであり、簡単に説明させていただく。
一度でも普代村を見ていただければわかるが、普代村は非常に小さい。防波堤の延長も非常にわずかで済んでいる。防潮堤は130m、水門は205mにすぎない。
田老は2.4kmであり、文字通りケタが違う。しかも、普代村と異なり、たとえば大船渡や宮古なら高さが40mが必要という結果が出るかも知れない。金額も兆に達するだろう。
その金を工面するのは難しい。高台移転の方が安い。真似しろとは一概に言えないのである。

松島はただ在るだけで津波を防いだ。紛れもない日本三景である。

そして普代村は一人の村長の執念で津波を返した。

私は周囲の反対という孤独の中15m超を譲らなかったであろう村長にこの言葉を思い出す。

「一頭のライオンが指揮する百頭の羊は、一頭の羊が指揮する百頭のライオンに勝つだろう」
カール・フォン・クラウゼヴィッツ 戦争論