58 復興イベント2

結局有志は3名来てくれることとなった。1台生き残った自動車で送り迎えと東京を二往復することとする。
高速道路は被災者証明を使えるためタダであり、4桁という恐ろしく高かったガソリン代も元に戻った。
移動費はかなり安くなる。

高速道路はデコボコは治ったが、瓦礫の運搬のせいで落下物が多い。注意しないと踏み抜き、路肩に打ち落とされることとなる。

私は深々と礼をする。
「すまないね、来てくれて・・・・・」
同期は言う。
「おお、昔のようにやれるじゃねえか」
「俺たちもなんかしたいと思ってたんだよ」

東北自動車道のドライブ途中、同期は言う。

「なんかね、温度差を感じるんだよ。俺とお前の」
「それは仕方ないだろうね」
「いい方は悪いけど、もう落ち着いちゃってるとおもっちゃってるわけなんだよ」
「それも解る」

一つ角を曲がったら、別の世界だ。

現在、短い間だが空き家になっている社宅に案内すると、
その日の夜は瓦礫の片付けを手伝った家の床下に沈んでいたのをいただいたブランデーを開けた。
結構高級なブランデーで、雰囲気も盛り上がる。

「東京じゃ帰宅が大変だったくらいだからなあ」
「そうだな。しかし、少しは解ると思う。どうせ行く途中に通る・・・」

私は続ける。

「まだまだあのままだからな」

gareki

– 23年 –

東日本大震災で宮城県のがれき量が1年間の一般廃棄物の23年分に相当すると、県が3月に発表。

翌日、向かう途中に夜の間は無事に見えたかの町を一周し、到着した石巻の門脇小学校周辺に車を走らせる。

shichigahama
(画像は七ヶ浜)

「これは酷いな・・・・」
「今日は本当に来てくれてありがとう。合計5人なんて、そうそう無いよ。元気よくやろうか」
「おお・・・・」