55 宮城県石巻市4 ボランティア駐屯所 石巻専修大学

「最初の10日間の記憶がほとんど無い。当時のメモを見ても思い出せない」

石巻専修大学の事務員。河北新報ニュースより。http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110901_01.htm)

私立石巻専修大学は東京に本校を持つ専修大学が石巻に建学したものだ。

(一応付け加えておくと、私の母校である。私が学校に居る間、大学名を明らかにしつつテレビに幾度も出て視聴率をかなり稼いだことにより広告効果をもたらしたらしく、卒業生の中でもまだ教職員に憶えられているほうである・・・)

震災の影響でによる収入などの問題から、入学辞退が相次いだ。入学した生徒は例年の約1/3。

教職員、生徒数百名が避難していたが、「この設備を使って出来ることがある」と非常に素早くヘリポートとして、ボランティア活動拠点として解放された。避難者も受け入れた。

この大学の敷地は非常に何も無い空間が広い。そばを流れる北上川という川の氾濫時、遊水池となるためだ。そんなとき、冗談交じりにカヌー部がグラウンドだった場所に船を出す。

そこは貸せと言われれば貸せる。まあ、平らな広い土地だ。

しかし、拠点や避難所として解放する以上、「私立」には様々な障害要因がある。私立大学は学校ではあるが、同時に企業である。経営しなければならない。建物をいつまで避難所として解放していれば良いのか解らないし、ボランティアの拠点としてもグラウンドに張るテントだけではなく、救援物資貯蔵所が必要であり、また、活動拠点としての部屋を提供しなければならない。それらも期限など全く不明なため、授業に差し障りがあるかも知れない。教職員、生徒が行う事となった運営の苛烈な忙しさは冒頭の通り、記憶障害のような状態となったという。

しかし、この決断は異様に素早かった。災害時はとにかく速さが優先される。ところがこれがとてつもなく難しい。これができる難しさは大人になると解るだろうが、これは組織としての下地が出来ていて、かつ「責任は俺が取る」と言える「上」も必要だ。
この大学は「本校」と呼ばれる専修大学も納得させる必要がある。
本震災で数少ないリーダーシップを発揮できた例と言える。

この学校は比較的新しい。
石巻市が大学を誘致し、そのときに専修大学が名乗りを上げた。
誘致されたはずだったが、住民は賛成と反対半々に別れた。相当の反対運動、あまりおおっぴらに出来ない妨害もあった。歓迎ムードとはほど遠いものだったという。当時の局長は粘り強く努力し、建学にこぎ着けた。

ある職員は言う。
「いろいろあったが、反対された方々にも、今回役に立っていれば・・・・・」

この大学の建学の精神は、”社会に対する報恩奉仕”。

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遅めの入学式を終えた親子と、ボランティアのテント群。 – 石巻専修大学敷地内 2011/5/22