39 所感 – 犯罪 助け合い 日常

 

犯罪もあった、助け合いもあった。
またタバコを求める人間らしい一面が見て取れる。
(悲劇、惨劇はこれからも終わらない)

■犯罪

この当時は
「襲撃や略奪、強盗、レイプなどが頻発し、○○という被災地に支援物資が届けられない」という情報も流れた。
○○には多賀城市や七ヶ浜町、塩竃市が入っているわけだが・・・七ヶ浜は、この話の舞台になっているところだ。
実際は前にも述べたとおり自衛隊は近く、ストーブも発電機もあった。
携帯の充電も速やかに出来るようになった。最も恵まれた避難所ともいわれた。

しかし何故か我々は支援物資を届けに来た連中を襲撃したことになっている。
「これが先進国日本の実体だ!」とかキャプション付けられそうな勢いだ。

正義感?を持った人がどうもこのようなハードな印象を植え付ける言葉を発することにより、「無視しないでほしい」ということを訴え、結果デマになると言う。
このデマの結果、何が生み出されるだろうか?まず間違いなく不安感だと思う。実際、私にも不安感は多少なりともあった。
「ほんとに殺し合いが頻発している状態で、自分が自衛隊員だったら遺体捜索に集中するだろうか?あり得ないだろう?」そんなことを考えるに到っている。

個人的には旅行中の宮古島で悪食で有名なイタチザメに襲われるかもしれないというより不安感は無かったが、(その現場を目視したわけでは無いが)ややオーバーキル(過剰攻撃)気味に戦意喪失した窃盗犯を叩いてしまった事があったようだ。
オーバーキルの不利益については、「社会的に評価されない」ということを述べている。

この状況化で疑われるようなことを決してしないことだ。
自分の家から家財を持ち出す家族などにあうと、
(私の家です、お恥ずかしい姿になってしまって申し訳ない、疑わしいような事をしていますが、ご迷惑をおかけします・・・)
というような表情で頭を下げるのである。
目があってしまったこちらも何となく申し訳ない気持ちになってくる・・・

やはり挨拶とは、自分は敵ではない、と表現する行為なのだろうか。
自分が挨拶に損を感じる時、大抵感情が乱れていることが多いと思わないだろうか?

 

!警告

人間が人間を相手にした時、手を抜けるものではありません。
相手が明確に戦意を喪失するまでは、殺すつもりで行くべきです。
相手が逃げたら追うべきではありません。この状況化では絶対変なクギなんかを踏みます。
病院はありません。

色々な状況があり複雑な話になりますが、人間は人間をなるべく戦いの相手にするべきではありません。
別な所で犯罪を犯すような連中を逃がすのは何か違和感を感じるかも知れません。しかし、それでもリスクが高すぎるのです。

ケンカやそれを越えるような状態になると視界が狭くなり、集中しすぎがちになってしまい、先に挙げたような様々な失敗をします。
自動車の運転と一緒で、動くもの第一、信号・標識第二、ナビ第三・・・・というように、状況に合わせた心構えを決めておきましょう。

平時でも防犯は気を抜くべきではありません。被災時もしっかりと防犯を行いましょう。

「くさいところには、近づくな」です。

 

■助け合い

「カンディード」の舞台となった遙か昔のポルトガルの大地震でも助け合いの様子が書かれている。
「災害ユートピア」を見ると、人々は助け合いをすることしか頭に無い、くらいの書かれっぷりである。

人は助け合うのである。私は残念なことに「この助けようは裏があるのでは無いか」と考えてしまっていた。
舞台は給食費滞納率日本一となった場所である。洒落にならなすぎて口に出せない事件も多々あった。

しかしどうもそんな裏を考えるような状態ではなかったようだ。
紹介したとおり、この七ヶ浜町以外にも身を切るような助け合いはあった。
命を賭けてでもである。

津波の中、アクアラングを付けて被災者を助けに飛び込んだ人もいた。
逃げようとしない人を、津波が迫る中十分以上かけて説得した人も居た。

これほどの助け合いを生む環境に攻撃を加えるとどうなるか?攻撃してきたのは津波?窃盗犯?東京電力?そんな環境だからこそ、致命的な戦いが起こるのではないか?

これを読んでくれている方々も大半は、こういった場面で自分の命を賭けるスイッチが入るはずだ。
助ける側も津波による死が明確に想像できていないのかも知れないので、第二次世界大戦の特攻隊、つまり100%の死と一緒にすることは出来ないかもしれないが、もし、自分が特攻をすることにより津波を0.1%弱めることが出来る、というならば

・・・5回分くらい津波を消せるかも知れない。私はそう思うのである。

「空襲は戦意喪失に逆効果をもたらす 人々は結束する」
戦争における人殺しの心理学 ちくま書房

「我々をもし弱くしたいなら、甘やかせば良い」
災害ユートピア 亜紀書房

「戦争に嫌気がさしていた者も、日頃平和主義者だった者も、今は徹底抗戦論者となっている」
ヒロシマ日記 法政大学出版局

一見全く関係無い「助け合い」と「犯罪」の世界ではあるが、どこかリンクしているように思えるのである。
助け合いも過剰攻撃も、「まずここにいるみんなで生きよう」と言う声が聞こえてくるようだ。

■日常

助け合いや犯罪のような状況化が起きるような事態を象徴するような精神的不安感がある。
家も車もまた家族の命も仕事も奪われた強力な、かつ日常的なストレスはなかなかテレビで表現されるものではない。
結婚離婚が増えたのもストレスに起因するという。

犯罪のパートは終わったが、常時この脅威は続く。
あらゆる方面からのストレスは強力だった。この被災時の日常はゆっくりと述べさせていただく事にする。