29  その後の世界

生存には希望が持てるものの、地震、津波、原発で未来にあまり良い望が持てない状況と化した。
阪神大震災でも、(2011年3月現在)神戸は復旧に失敗していることは知っていた。

瓦礫は安全靴を貫通しうるほど重く、硬い。まだまだ素人が片付けられる領域では無いし、盗人に間違われる。うかつな手伝いはできない。

となると水も食事も自前であるため、とりあえずやるべき事は勉強か運動になる。風呂がないだろうから汗をかかない程度だが、校庭にある鉄棒で運動をしておく。運動の重要性は避難所に普及した体操で解ってくれると思うが、問題はあの破壊の翌日に体を動かす気になるかどうかで、人によっては自粛しろと言いたいかも知れない。なるほどそれに関しては賛否がある。何にせよ、運動はチマチマしていくことになる。

■あるジムの話

「大変でしたよ、自粛しろっていう電話ばかりでした」
日本でも最大級のあるジムを運営する本社内で、職員が教えてくれた。

――本当ですか、今の日本で食事なんてしてれば、運動以上に大切なことなんて仕事、家庭くらいでしょう。重要度は勉強と同等かもしれません。そのくらい見つける方が難しいのに
「9割は自粛しろ、って言う電話でしたね。こんな時に運動なんてしている場合か。電気がもったいない、と」
――ばかな・・・
「シャワーが使えたんで助かる、っていう応援もありましたよ。でも、ほとんどありません」

9割である。いろんな事を考えさせられる話である。
自粛を求める方は運動をしないような人々にすら感じられるのだが、それはあまりにも荒っぽい分け方だ。

自粛とは何だろうか。
自粛すべきである、自粛は合理的ではない、この二点の考え方は、「被災地に対し、何らかの形で貢献することを促そう」という一点で一致する。

災害状態の外に居る人も、”全く無意味であっても”自らに何らかの痛みを与えようとするという。(例えば、使用期限に決して間に合わない地域での献血が被災地に向けて行われたという – 災害ユートピア)国内は言うに及ばず、諸外国からも「日本の自粛は全く無意味である」と言った意見はあったが、こういった自粛は日本だけではないようだ。

災害時に諸外国は~が変だ、~がおかしい、~が素晴らしい、という。「同じ人間にそんなに違いがあるかあ?んー?」毎回変だと思ったので、ずいぶん調べたが、「日本はここが違う」という諸外国の意見というのはまず災害をモロに体験していない諸外国人が発信した意見だと感じる。

消費を促すのも、「財布の中身に金を貯め込むな、消費しろ、これは自分だけヌクヌクしてちゃダメだ」という形の何らかの自己犠牲ではないか。

これはその後の世界の感想として、事象を追って話していきたいと思う。どちらも効果があるのだ。

 

 

例によって「どこから水を持ってきたんだ」という避難者の視線で気まずくなりながら歯を磨く。こればかりは自粛出来ない。寝る準備をする。
セダンに3人寝るのは狭い。全員冬なのでやや厚手の(元々家にあった)寝袋を被るのだが、後部座席も人で埋まるとなれば、それは容赦なく運転席に居る私の太腿にハンドルが食い込む原因となる。狭さはエコノミー症候群の原因になるので、チマチマ体を動かしながら朝を待つわけだ。

自動車は究極の居住空間である。
水道ガスがないだけで耐震かつ免震、冷暖房、ラジオ・またはテレビ機能を持つ発電・移動可能の「家」である。六本木ヒルズだって発電は出来るが移動は出来ない。
夏に被災したら熱中症は深刻だろう。北風と太陽よろしく何か被れれば死なない冬の比では無い。ところが、車は大丈夫なのだ。

 

3月13日

朝になると、こんな寒いところで寝れるか!と父親がわめき出すので無理矢理家に帰ることになった。またもや大爆発は運命に任せることになる。根性が無いな、というこの母親の顔!
私は虚しくハンドルが食い込み終わった太腿を叩く。

両親の自動車は2台とも多賀城で水没しており、3台入る駐車スペースには1台が入るのみ。なにやら駐車が楽になった。

確かに家にはたまたま買いだめしておいた灯油が大量にあった。灯油ストーブは一ヶ月ほど使える。
エアコン導入時に灯油ストーブを捨てられるような出力のものを買おうとしていたが、2ヶ月待ちと言う事で妥協した。この選択は幸運なことに灯油ストーブは捨てられること無く灯りと暖かさを提供する結果になった。ガス缶が無くても容易にお湯が沸かせる。灯油ストーブは様々なことが出来るのである。

食事は水を使って食器を洗えない。紙皿や紙コップがたくさんあったためそれを使った。カレーなど重い物を調達された場合、食器をラップでくるむ。
私はMRPという完全流動食で間に合う。

給水はまだ来ないが、ご近所から聞けば町が防災用に用意していた巨大な貯水タンクがあり、飲料用にも使えるという。水と火、食べ物があるなら、とりあえず大丈夫なはずだ。

インフラは完全に無い。
携帯は所有している3キャリアともつながる気配は無い。
ガソリンも手に入る気配は無いようだ。何が起きているのかはラジオが頼りである。

日が沈み始める頃、電気がなければ誰も何もできる事が無くなるのだろう。人の居る気配がなくなっていく。鳥の鳴き声もしなくなる。町から一切の音が消える。

ラジオは言う。

「まもなく、日没です・・・・」