東日本大震災で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
このブログで週1程度、代表やスタッフの東日本大震災時の経験を述べていく連載を開始していきたいと思います。
現在お金や物資協力のボランティアや自衛隊、警察、消防隊などのご協力を手厚く受けていまずが、
これは犠牲があってから行われる行為です。
言い方は悪いですが、「壊れてから、死んでから来る」のです。
人類にとっては「取り返しがつく失敗」かもしれませんが、個人にとってはしてはならない「取り返しのつかない失敗」です。
犠牲が払われる前にどのように準備するかはその地域の常日頃の努力がものを言うと考えています。
昨年往生した祖母が引っ越すたびに繰り返し「そこは津波が来るところか?」と警告していました。
津波が届く場所の家を守るという義務を感じつつも、津波の恐ろしさを繰り返し伝えるという相反する義務を果たしていたように感じます。
当社がインフラ以外の被害が出ずにすんだのはその警告と、
私が出身の大船渡より送られてくる親の厄年の解除記念アルバムにチリ地震津波の被害の写真が載っていたのを覚えており、
「津波がこないところ」という条件を意識したことに他なりません。(それでもかなり近くまで破壊されました)
今度は私どもが津波の恐怖を伝える番になりました。
復興への希望や、地域を盛り上げていく運動とはかけ離れたものとなるかもしれませんが、
津波がいかに恐ろしいものかを意識していただく一石になると幸いです。