76 岩手県釜石市 – 徹底教育

釜石の防災教育が始まったのは2006年。
最初に子供へのアンケートを行った。

――家に一人で居るときに大きな地震が発生しました。どうしますか?

ほとんどの解答は
「お母さんに電話する」
「親が帰ってくるまで家で待つ」
というものだった。

そのアンケート用紙に質問文を添付し、親に見せるように指示した。

――子供の回答をご覧になって、津波が起きたときに、あなたのお子さんの命が助かると思いますか?

釜石は予想を遥かに上回る大津波に襲われたが、当校中の小中学生全員が生存した。

(参考 WEDGE 2011/5 32P)

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岩手県釜石市

人口約40000人弱(震災当時)
死者888人
行方不明者156人
(2012/4 現在)

■ギネス防波堤の大敗と産業

釜石は一時期世界一の強力な防波堤を抱えていた。海の深いところから屹立し、震災の半年前、水深でギネス記録に認定されている。海外からも視察に来るほどだった。

防波堤・防潮堤の必要性に関しては震災後に様々な議論がなされている。

「少しは耐えたはずだ 逃がす時間を作れた・・・意味はあった」
「エネルギーが増大し、破壊がより大きい規模となった・・・金の無駄だ」

それ以外にも、安心して逃げ遅れた、という声も無視できないほど大きい。
ただ、実際に津波を防いでいる普代村もある。

本震災の大津波を防げずとも、1960のチリ地震津波位なら防波堤は防げただろう。数mの津波を1~2回防げば十分に建設費の元は取れるのかもしれない。
海沿いの工場地帯は細かい津波でも被害を受けると洒落にならない。なので防波堤や防潮堤が無いのを嫌っていると現地の勤めている連中から聞く。
確かに、無防備というのもイヤだろう。沿岸部の工場も2mの津波警報くらいなら「大丈夫だろう」と落ち着いていたいところである。

必要派から見ると完成直後に遡上10m~40m級という圧倒的な大津波が来た不運もあり、防波堤・防潮堤反対意見が増えた。

「三陸は120年の間に最大遡上20-40mクラスの津波って明治、昭和、平成で3回も来てるって話だよね?チリ地震津波が例外に低いだけじゃない?それで細かい津波防ぐくらいなら、災害時の補助金に使った方が・・・」
そういう意見もある。

これは難しい話だ。三陸は確かに防波堤で防げない津波が多すぎるのである。
いつ来るか解らない大津波にどう沿岸部の産業は対策を打てば良いのか?

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乗り上げた巨大船舶。 無事この後海に出ることが出来た – 釜石市。

■釜石の徹底した津波対策教育

群馬大学大学院・片田教授は防災教育を共に進めることを三陸の自治体に申し出た。
釜石市は防波堤の完成、長い間来ていない大津波、指定避難所に行けばよいという様々な要素から市民の油断が拡大、津波警報時の避難率も低下していたのに頭を悩ませていた。渡りに船と受け入れた。

ところが防災講演を行っても、参加者はそもそも防災意識が高い人ばかり。教育者から防災意識を高めて貰おうと思うも、教師は忙しい、と危機感が薄い。

そこで昭和三陸大津波の経験者でもある釜石市教育長に相談し、理解を得た。平日の午後、全校を休校扱いにし、防災講演会を行うほどだった。

こうして冒頭のアンケートから津波対策が始まる。時は2006年。震災の5年前だ。
子供を守ろうとする親の心理に訴えた巧妙な方法が、「大人からの意識改革」に功を奏する。

数学の教科書にモノクロで遠目の津波被害者写真を掲載し、被害者数を詳しく載せ、避難時間を計算させる授業、また国語、理科にも津波を絡ませ、被災後の炊き出しを想定した家庭の授業を行った。

また釜石では阪神大震災で全く役に立たなかった「想定」の完全敗北の経験から、「想定にとらわれるな」と徹底した。ハザードマップなど信じるな、と。

釜石では避難所までダッシュという訓練、体力のない低学年、けが人をリアカーに乗せて逃げるという想像を絶する訓練を積んでいる。
被災当時も中学生が、或いは小学生高学年が避難を率先し、体力のないものを助け、より高くより速く逃げた。
率先して逃げればみんな真似して付いてくる、困っている人は助けるというスタンスである。

よく言われる「津波てんでんこ」は「バラバラに逃げよ」という教えである。この助け合いは方向が異なるように思えるが、てんでんこは「家族を信じろ逃げている」という意味合いが強く、逃げる途中で困っている人を放置して逃げろ、という意味では必ずしもない。

人間は困っている人を放置して自分だけ逃げることを嫌うものも多い。そういった習性をよく利用したものと言えるかもしれない。

小学生でも数十センチの津波でも死ぬことを知っている釜石。
異常なまでに徹底された津波防災教育の結果は生存率となって現れた。
この防災教育の徹底ぶりがギネスに登録されるべきだったのかも知れない。
結果、当校中の小中学生全員が生存した。

釜石の死者・不明者は65%が浸水想定範囲の外だった。(群馬大学大学院片田教授・釜石市ら調べ)
想定はあまり役に立たなかったのである。

 

(参考 WEDGE 2011/5)