洪水や地震が相次いでいるようです

毎年世界のどこかで自然災害は起きるもので、今年がことさら多いかどうかは解りませんが、今年は非常に災害の話を聞きます。タイに引き続き、トルコも震災に見舞われました。
お見舞い申し上げます。

 

備えあれば憂い無しと言いますが、物的なものばかりそろえるのではなく、どう逃げれば良いのか、どこに行けば良いのか、まず災害の瞬間に生き残る手段をしっかりと確認していきたいものですね。

準備は今しか出来ません。

28 所感

不安定なところにノートパソコンを置いたとする。
そして明らかに危険だと解るとてつもない地震が来たとする。

そのとき、真っ先に逃げるだろうか?それとも、ノートパソコンを押さえるだろうか?
私は多くの人がノートパソコンを押さえると思う。
何せ、自分が死ぬ想像をして避難を考えるより、ノートパソコンは落ちたら不味いモノだとつくづく知り尽くしていて、それを真っ先に押さえる方が手順が明確で、定期的に落ちそうな、落ちたらまずいモノをつかもうとする実践をしているからだ。
それがノートパソコンではなく文庫本だったら、無視するだろう。

私は避難にに対して崇高な判断能力があったわけでは無い。ただ単に、家の海抜ならまず安全だろうと思えたから、家に置いたモノに対して安心して逃げる事ができた。つまり、モノに対して油断できたのだ。
もし本当に津波が届きそうだったら、慌てて持ち逃げするモノを決めたに違いない。どんな水でもものすごい勢いで流れてきたなら、今まで手に入れてきた物質的なモノは、全て消滅する。津波など経験した事はないが、それだけは解る。

人は油断をする生き物である。油断は絶対に無くならない。ならば、先々油断してもカバーできるようにおけばいい。そして今回油断できる場所に家があった。

津波てんでんこ「お互い心配しないでバラバラに逃げろ、家族も同じように絶対逃げきっている」というのは、家族に安心出来る、つまり油断できると言うことではないか。

私が長々と所感を使って油断というものに言いたかったことは、
「油断はするべきではないが、決して無くならない。
失ったらまずいモノこそ、今、油断してもいい状態にしておけ」
と言う事である。

古人曰く、「備えあれば憂い無し」と。

 

■その後の世界 まえがき

誰かを助けようとして死んだ、というと美談になる。
モノを取りに行って死んだ、と言うとダメなことの筆頭になる。

しかし失いたくないモノを助けようとした結果となると、私はどちらも美談だと思う。
なるほどあれもこれも持とう、と言うと浅ましさを感じるかも知れない。

大切なモノを失ってしまった人間はどうなるのだろうか?
これは「警報を信じない」「津波の高さを侮った」「見てから逃げて間に合わなかった」ケースと少し違ってくると考えている。こちらは無知は大罪(得られた結果は、死)だ。(何度も言うが、責めることは出来ない)
津波が来ると確信したからこそ、人やモノを助けて逃げようとしたのではないか?
持って逃げられないモノもある。自分の会社の工場であったり、家だったりする。それは失ってはならないモノだが、絶対に持てないのでその場では諦めが付く。
しかしその後、絶望を伴うのである。

自分の命が一番!助かるのが大事!貴方が世界で一番尊い!という考えの方には理解しがたいと思うが、モノは生命より大事なこともあるのだ。モノを失った未来を想像するより、ここで共に死のう、とすら思う人間は多い。
たとえば仕事に五体で再起できる年齢や技術職なら大抵が自分の能力があればそれがモノとなりなんとかなる。しかし再起できないと思い込める年齢、また端から見ても希望が持てない年齢で積み上げたモノが全て消失したらどうだろうか。

最近流行っている本当に必要なモノ以外全て捨てていくライフスタイルがある。
このライフスタイルは私も好きだ。わけのわからない”モノ事”に右往左往せず、捨ててはならないモノ(お金、技術、会社、思い出)を大切に扱い、または磨くための考えである。

だが、失ってはならない、生き甲斐を伴うモノを奪われた人はどうなるのだろうか?

ここからの話は、その後の世界になる。
被災と考えると、”奇跡の生還!人助け!家族が死んだ!家が無くなった!悲惨だ!頑張ってる!電気無い!水が無い!酷い!日本人は我慢強い!”
そんなイメージがあるかも知れない。

私は家も職場も残して被災に触れることが出来た。この経験が無かったら、災害に対して一生勘違いをしているところがあっただろう。
経験、また図書も参考にしてあるが、参考部分や伝聞部分は必ずそれを示す旨を入れることにする。

私と聞いた話と違う!と思った方は、おそらくそれも正しいが、決して一例で済まない状況を憶えて欲しい。
災害者には色々居るのだ。

災害後の弱者
一般的被災者
サバイバー
災害後の強者
主に社会的インフラのみの被災者
現地に居ないが、家族などが被災した人・・・

また、今回様々なことを思い起こすに当たって、(よくこんな憶えているな、と突っ込まれることがあるが)特に人を自分の印象や思い込みでくくらないことに細心の注意を払っている。
(思い込みは、今回かなり打ち砕かれた)

ようこそ、その後の世界へ。

27 津波と三陸

私が「経験した事も無いのに津波に用心深い」ようなイメージを持ったとしたら、三陸の度重なる津波への説教が作り上げたに違いない。

私の出身地はその大船渡市だからである。

私がまだ小学生だった頃、父の厄年に送られてきた厄年向けの小中学校アルバムに我が家の家族が乗っているのを見せられたとき、別なページにチリ地震津波のセピアなモノクロ写真が一枚写っていた。家族の写真を見せたかったんだろう父には悪いが、そっちの方が気になってしょうがない。

町が消え去った写真に付けられたキャプションは確かこういったものである。
「みんななくなった うちも、あんたの家も、友達も・・・・」

小学生が触れる破壊として思い出すのは大概の小学校にある「はだしのゲン」(中沢啓治 集英社・週刊少年ジャンプ)の”ヒロシマ”なのだが、私はこの写真にそれに近い衝撃を受けた。チリ地震津波の話は聞かされていたが、これほどのものなのだと。

つまり私が津波を非常に恐ろしいものである、と思ったスタート地点はこの写真であった。この写真に出会わなかったら、わざわざ海の見える建物を職場にしてしまったかも知れない。
カメラを持ち出したときの話に戻ってしまうが、私は全てのものが無事だったのを見て、なるほどカメラは生命の次に重要であり、写真は生命を救いうるのであると感じることが出来たのである。

その後小学校だか中学校だか憶えてはいないが、あるとき、社会科の授業で教師が「フィヨルドの地形は三陸にそっくりですが・・・」と内容の授業をしていた。そのとき「フィヨルドが三陸にそっくりならば、津波大きくなるのか」という素朴な疑問が浮かんだ。
私にとってその頃すでに、津波はサメの生態やクマの筋力と同等の興味深い話題になっていたのである。

私は図書館でフィヨルドの津波を調べていると、1950年代に世界最大級の大津波が発生しており、その遡上高はどうも数値がおかしい。

波高150m以上 遡上高約520m 1958年 アラスカのもの。

(ナショナルジオグラフィック 警告!最大級の自然災害ビッグ4 第2話 破滅的大津波の恐怖 で詳しく述べられています)

チリ地震の5~7m”ごとき”であの破壊力である。
沖縄の遡上高80mオーバーでも脅威としては十分なのだが、アラスカの大津波は「これ以上は来ないだろう」という定義が全く無意味であると教えてくれる。
富士山の6合目に逃げたとしても、逃げないより遙かにマシなのだ。

これ以降、私が「津波。津波は不味い」と恐ろしげにしゃべり、「ふーん」と言われるというやりとりがこの3.11まで続くことになる。

大船渡に先祖から伝わる土地を持つ祖母は、家族が物件の話をする度にこう言う。
「そこは津波が来るところか?」
先祖の土地を守らねばならないが、津波を受けるのは嫌だ、という葛藤にさいなまれていたのだ。
チリ地震津波を教訓に作られたという大船渡湾口防潮堤は最初からアテにしていない。
本震災で、その家は綺麗に消え去った。

祖母は津波の前に(運良く)大往生しているが、
「津波が来るところは決して住むべきではない」
と教えは終始一貫していた。

父は岩手から宮城に転勤のした際、家は津波が来ない(来づらい)高い所に建てた。

(真偽は定かでは無いが話では)仕事では水産関係の工場を設計するときに津波について言う。
「ここは津波が来ますね もうちょっとお金出してこちらの安全な土地にしてはどうですか」
その提案が通ったことはないと言う。
本震災で、設計した工場は壊滅した。

4-5世代以上にわたる長い戦いではあったが、ようやく私の代でほぼ無傷で凌ぐことが出来たことになる。

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大船渡の実家。巨大船舶が家を突き動かし、道路復旧の場所に不都合があるところに飛び出たため破壊され背後の瓦礫になった。 – 岩手県大船渡市 2011年4月30日撮影

(※やや間が目立つパノラマになっています。ご容赦ください)

(前話)冒頭の三陸海岸大津波からの引用は最後のページのからだが、三陸に住んでいると、やはりみんな同じこと考えてしまうわけだと、妙に頷けたのである。

Jobs氏のご冥福をお祈りします。

macのプログラムの開発は行ったことが無いのですが、予想外の所で関係してびっくりしています。

先日、ウェブ石碑のサーバーがダウンしました。ご迷惑をおかけしました。原因は肥大化したログかと思われましたが、どうもJobs氏の逝去によるアクセス増加が原因なのでは無いかと思われてきました。

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トップでは1位から5位まで独占しております。

人気順で見ると、1-10位まで独占しております。

これは江頭氏でもなし得なかったものです。
カリスマの大きさがうかがい知れます。

 

iPod5G Videoをハードディスク交換、こんなに良いデザインで仕上げてくれたものにカバーを付けるのが申し訳ないので付けた事は無いかわりに、外殻が傷だらけになるのでそれも交換して使い続けていますが、ツヤツヤのiPodは確か暫く姿を消したようにおもいます。

この少々前、ちょうど様々なブランドの革小物からもツヤツヤが姿を消しつつありました。大理石と称される美しすぎたピネイデルは日本から姿を消し、磨き抜かれた高級車のようなS.T.デュポンも”ジェオメトリ”シリーズも絶版になってからツヤツヤのものを出していません。ツヤツヤが好きなので残念です。

ツヤツヤの皮は靴・ベルトくらいになりました。靴屋には暗黙の了解があります。「つま先、カカトは触れるべからず」

 

しかしipodtouch, iPhoneは指紋を恐れずに出して来ました。私はどちらも持っていませんが、手間がかかるかわりに非現実な美しさを楽しめる。磨くのが楽しそうで羨ましいです。

舌を信じる

– 1/∞ –
50年間の間、りんごに含まれる鉄分の量の遷移。
2.0mgから0mgになった。

(日本食品標準成分表1950,2000)

食欲の秋と言う事で、食事について述べたいと思う。

私はド田舎出身なので、自然の食べ物に触れる機会が多い。

そこで少々というか気になることは、人が舌を信じられなくなっていることだ。
まともな食事が無いので、味を計る基準値がないのである。

外食で野菜を食べると、味が薄い。水を食べているような感覚である。歯ごたえだけを楽しみ、味はドレッシングの味だけ。それをありがたがって食べるのである。

某グルメ漫画ではないが、味で判断できないのは、一つの弱点だ。

しかし残念なことに、まともな野菜は最早手に入らない。年収が1000万円を超えていても、4人家族なら食事でまともな栄養を摂取するのは不可能と言える。もしスカスカの野菜で栄養を得ようとするなら、莫大な量が必要となるし、まともな野菜は最早売っていない。

勘違いしないで欲しいのは、有機、天然といった単語が付けばいいと言うわけではないのだ。栄養があり、余計な農薬などが付いて居ないことである。そしてこれは、入念に調査機関が調べているならともかく、そんなことはあり得ないのだ。つまり舌で判別するしか無いのである。完璧な時期に100%りんごジュースの濃縮果汁還元と、絞っただけのモノを飲み比べた感覚。そうそれだ。飲んだ事が無かったら、ショックを受けるはずだ。絞っただけのものは桁違いにおいしいが、それが普通だったのだ。(もはや絞っただけのものにもハズレがあるが・・・)

野菜は体にいいものではない。

「いい野菜が体にいい」
のだ。
舌を信じろってこと

しかし、異常な油脂、砂糖で舌が機能しなくなっている人が多いため、残念ながら現実的な方法では無いのである。

私は野菜をたっぷり食べても、錠剤のビタミンとミネラルも取った方がいいと思う。

最早一般的に販売している野菜は過大評価をされるロートルなのだ。もともとそんな時期にその野菜、採れる種類だったの?って野菜に聞いてみよう。

○○200個分の鉄分!ってほんとに0mgかもしれないぞ。
楽な方法は、ないってこと。