大津波 12

 

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火災 – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影

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爆発 – 宮城県七ヶ浜町 3月11日撮影 (Nikon D3S Nikkor 70-200mm F2.8 made in Sendai)

 

20:00頃爆発音発生、火災を確認したため所員は所外へ避難 (JX日鉱日石エネルギー 仙台製油所 ニュースリリースより)

 

「地獄だ」
(瓦礫の中取り残された家族の安否確認を行いにきた仙台市民が、この爆発を見て話した。 サンデー毎日増刊 東日本大震災より)

 

 

「やっぱりやりやがった」
音と同時にガバッと跳ね起きると、製油所方向の西の空が赤いのが窓から確認出来る。どうやら2011年3月11日はまだ終わらないようだ。
外に出ると停電の影響で普段より暗い。
去年たまたま富士登山に誘われたときに用意しておいた登山用装備の(高級な)ヘッドランプが役に立つ。
製油所がよく見える丘に向かうと住民が集まっている。(よく考えると危ないのだが・・・)

私が爆発音を認識したのは21:50頃。発表とはややズレがある。
音は製油所の爆発、また真っ赤な見た目から想像する映画で見るような鈍さを伴う音では無く、勢いを感じさせる”バーン”という音である。
かなりの回数爆発音がしたが、何回その音がしたのかは解らない。
今までこの製油所でのボヤは何度かあったが、今回は桁が違った。

住民も各々携帯で写真を撮ったり会話をしていた。
「仙台港も終わりだ」
「これは消えねえ」
「手の付けようがねえ」
ここは瓦礫に覆われてない高台で、下には海水で下りる気にすらならないため生を知らないこの地区住民から地獄だというような表現は聞かれない。

まるで生き物のように有機的で巨大なコンビナートは、人間の技術の粋を感じさせる。
子供の頃参加した少年野球はこの製油所の敷地内で練習が行われ、さらにマイクロバスでこの製油所を見学したため、多少ではあるが中を知っている。
血管のように目的を持って密集し配置された鈍く光る金属のパイプ群。
それらが開けたスペースにしっかりと磨かれた消防車が何台も収まっており、緊急事態への備えがなされている。(だからこそボヤで済んでいたのかもしれない)

あれらが全て破壊されたのだ。

製油所の作業員は後にこう話してくれた。
「おっしゃるとおり、津波で緊急車両は使用不能になりました。我々は一切手を出せませんでした」

いくつか妙に思っていたことはあった。
ヘリの音はたまに聞こえるが、出会ったマスコミはミヤギテレビの車両1台のみ。
この町がこんな災害にあってもマスコミが来ないというのは異様なのだ。
また、地元の消防団以外出会わない緊急車両。

この町の災害には対応するに及ばない、もしくは対応できない。
そして人間の技術の粋であるコンビナートが人間に制御出来ない。

それは希望的な予測を全て諦めさせるものだった。2つの理性は1つにまとまろうとしていた。

地図が変わるほどの、決定的な津波が来たのだと。