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岩手県大船渡市。

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停止した大船渡線。横から見た列車の窓には気丈にも「一休み」と張ってあった。

本震災による津波の遡上高40.4m(岩手県宮古市)43.3m(宮城県女川町?)というあまり聞いたことがない数値が出るまで、確かな記録として遡上高38.2mという日本一を保持していた市だ。

3.11以前に日本で津波といえば大船渡であり、大船渡といえば津波である。
岩手県の様子をNHKの朝のニュースで中継する際大船渡の魚市場の天井が出ることは多いので、看板に38.2mと張っておけば少し人的被害を防げたかも知れない。

歌詞や動画がインターネットに全く見当たらなかったので記憶を辿ると確か大船渡音頭の二番はこうだ。
「みなと良い良い よりよせ きーよせ 波がくるくる 大船渡」

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岩手県大船渡市
約人口 40,000人
死者 340人
行方不明者 82人

「ああ・・・・・何が防波堤だよ 何が防潮堤だよ」

かもめの玉子 さいとう製菓 社長
さいとう製菓の社長は地震と共に津波を警戒し、即座に社員共に逃げている。(Youtube)

大船渡という地名は地味だが意外と知られている。
大して大きくないが湾内の水深があり、巨大船舶が入れるので三陸の中でも最重要湾と言われている。景色も高く評価されている。

大船渡市には湾港防波堤があったが破壊された。元々老朽化が進んでいたが、住民は建設当時から
「防波堤は津波の破壊力の前に無力」
「予算の使い道を探していたように見える」
という冷たい見方をしていた人も多い。完成した頃は38.2mの大津波経験者が生存していただろう。

この防波堤があれば津波は大丈夫、という意見はあまり聞いたことがない・・・

一方、大船渡市で昭和三陸大津波(28.7m)の経験をした祖母はいう。
「防波堤とかそういう問題ではない。そもそも津波が届くところに住んではならない」

所々で重量鉄骨もシュークリームのように丸まっている。現地民ですら元が何だったのか全くわからないほどだ。

 

大船渡には二つの小学校が的確な判断を下し、生徒が助かっている。

”越喜来小学校”は今回津波被害に遭ったが、生徒は全員無事だった。
海から約200mにあり、高台から遠い。

”従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。”
(www.asahi.com 3/29の記事より)

これは地理的に大幅に回り込む必要がある。

市議の一人の平田さんが津波の際最も危険な小学校だとして、回り込まずに高台へすぐ避難できる避難通路をかけてくれと2008年3月から訴え、約400万円の予算がおり2年半ごしで2011年12月、避難通路は完成した。

そのわずか数ヶ月後の震災時、生徒はその通路で全員逃げる。時間は大幅に短縮された。大船渡の第一波到達は0分、最大波到達は29分。(気象庁)

副校長も揺れが収まらないうちに避難を開始。「津波到達まで30分ないと考えると (これは凄い読みだ) 揺れが収まってからでは間に合わない、校舎が壊れることも考えた」。
また、予定より高い所に避難させた。

越喜来小学校は3階まで津波が到達。避難通路は役目を終えたように津波で流れていった。

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大船渡小学校はマニュアル通り校庭に逃げたが(大船渡小学校 通称”ダイショウ”はかなり高い位置にある)、ここにも津波が到達すると判断、大船渡中学校に避難するため校門より山手の”フェンスをよじ登り、1・2年生は教職員が持ち上げた”。全自動避難後、校庭は津波にのみ込まれた。

最大波到達まで29分という短い時間で避難出来たのは、必ずしも幸運ではない。
津波の町は確かに経験を活かしたのでは無いだろうか。

余談だが大船渡の防災無線・・これがまた、ピン♪ポン♪パン♪ポン♪ という緊張感の無い音だ。朝に大船渡魚市場の”市場が開きますよ!”という時に鳴る”ウィィィーーーーーン”という空襲警報のような音の方がそれっぽい。

参考
岩手日報 3/23
www.asahi.com 3/29(現在は消えている)