36 理想郷

 

誰もが誰かの役に立ちたがっていた。引きこもりも外に出て積極的に働いた。
直撃地域では、鬱病患者はどこに居たのだろうか?全く見なかった。
私の知っている鬱病の人物は、災害が終わってしばらくしてから再発したが、この間はやたら幸せそうだった。いきいきしていた。不自然なほどに。

震災直後、生命を捨ててでも人々は人々を助けた。
津波に対してその恐ろしさを知っている人々は停電した水門に走り、逃げられない体の不自由な人々を運び、逃げたがらない人々を説得した。
見たことも無い逃げてくる人々に家や布団を貸した。
犯罪から町を守ろうと、自警団を結成した。
暴走族や不良はこの間、姿を消し、また助け合いに参加した。
ボランティアは、不謹慎になってしまうからと無理矢理充実感を押し殺して帰るようだった。

そしてそれらは全て感謝された。

ごく一部の青空店舗でしか扱わず、液状化と瓦礫、塩水で失われた道路を自転車で長い時間をかけ移動しなければ手に入らない非常に貴重な肉ももらった。
社員だけが買える貴重なガソリンも分けて貰った。
何かいい商品の販売情報を手に入れたら、皆分け合った。

人手が要りそうな仕事で困っていることがあれば、怪我をする危険な仕事でも我先にと志願した。

そして人々はただ礼を言い合うだけだった。その間、みんな笑顔だった。

強力な悲劇と、恐らく人の営みの歴史でいつか失われたであろう純粋な幸福が同居していた。

 

誰もが、つらさを全く同じく共感している。
世の中のあらゆる精神的な辛さは共感によって相当楽になる。

たとえば東京の人にこの惨を3日間説明をして、あらゆる映像を見せても、実際に見る東名高速の玉突き事故の方が残酷に思えるだろう。
酒を飲みながら愚痴を3時間言っても、少し楽になった、という程度なのだ。

ここでは何も言わずともみんな辛さを実感している。目を合わせる必要すら無い。
ここでは何の愚痴をこぼす必要も無い。
ここでは何か別の辛さが起きても、みんなが駆けつけて助けてくれる。
ここではあらゆる競争も、主張される個性も、この直撃期間には全く無かった。

なるほど、みんなで強敵を打ち破るゲームが流行るわけだ、そう思った。

ただ、共感があり、共感しているからこそ、率先して動いて助け合う、そしてそれは全てお礼を言い、言われる。

現在、お礼を言われる「仕事」をするには、評価されるたゆまぬ努力と、他人を無理して押しのけねばならない。そのために受け入れられる個性が必要な場面も多い。
すこしでも楽をしようものなら、一気に落ちぶれていく。
「仕事」がこき下ろされ、全く評価されず、必要とされない自分だけが残る。
必要とされない立場に諦め、甘え、自分でも無理矢理繕う日々を過ごす・・・・・
そしてそれは誰にも理解されない。せいぜいが哀れみの目を向けて優しくしてくれる身近な人物が居る程度で、共感は無い。

決して長く続くものでは無いが、この助け合いを行った時期は、人類の、本来の幸福が共感から生まれる助け合いに有るのでは無いか、と思えるものだった。

 

あるとき、急に大きい樽を積んだトラックが家の前に走り込んできた。
「ッシャッシャ 水だ!」
トラックを運転してきた近所の元気な老人が笑う。

この老人は井戸水を人々に解放していた。やたらおいしく、菌は無い。おかげで飲み水には困らなかった。その中でチマチマ水を運んで風呂を炊こうとしていたうちの父親にまどろっこしさを感じたらしく、持ってきたという。

「おい!風呂さ投げてこい!」
父親は私に向かって言う。
老人は
「一人じゃ無理だべ」
と止めようとする。

70過ぎた老人と60を過ぎた父親と私がその場にはいるが、何かぎっくり腰にでもなりそうな不安がある。何せ水は暴れる。
「大丈夫です」
父親も言う。
「なに、こいつは大丈夫だ」
私が抱える姿に驚いて声を上げる老人。確かに重い。90kg?しかも持ち手のヘリは薄くて、これが食い込む。
巨大な樽を3つも運ぶと、風呂の水は満杯になった。

水道は止まっているから沸かせないぞ、と文句を言う復旧済みのガス湯沸かし器に、少々工夫をして動かす。

その日父親は風呂を近所に解放し、子供から大人まで6人ほど入った後、父親と母親が入ったわけではあるが
「もう水はほとんど無いよ」と母親が小声で言う。
「・・・・・・・・何よりに」

タオルで必死に髪を乾かす近所の少女はしかし、何か気持ちよさそうだったのである。

 

 

水は本当に無かった。

水位17cm。