FINAL VENT

※今回はPythonという言語を楽しむコミュニティ向けで、その中でかつボルダリングを楽しむクラスタへのアドベント・カレンダーとなっています。

■経緯

私はボルダリングを触ったことしかなく、さらに、Pythonはほとんど触っていない。
しかし筋肉における評価的な何かを受けてしまい、サプライズで#kabepyのアドベンドカレンダーに参加する事になってしまった。

■人物像

#pyfesでよくしゃべらされる。このブログの会社を経営。
#kabepy・・・運動に関しては握力で有名で、たまにテレビやら、本やら、カタログやら、或いはジムにおいてあるサインやらで見たことがあるかも知れない。

■壁経験

2000年も1年2年過ぎた頃だろうか?通っている大学の体育館のトレーニング設備の壁に唐突に巨大な設備が取り付けられた。ボルダリング壁である。当時としてはまずまず珍しかったはずだ。

「何これ 登るの」
クライミングで当時既に一定の成績を収めた友人に尋ねると、
「そんなことより、こないだ沢登ってたらスゲーデカイ岩落ちてきてさ 死にそうになったんだよ」
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と、期待と違う返事が返ってきた。
※ちなみに、2012の・・・つい一週間前に同じ話をされた

当時は「外岩」というよりか、むしろ外がメインだった。
「もっと外に出ろ」
そんな言葉も良く聞こえてくる時代だった・・・(今は知らないけど・・・)

登ってみるとなかなか楽しいもので、私はその友人に聞いたのだ。
「こいつはどうすればうまく登れるんだい?」
「練習と・・・・あとは深爪スレスレを続けて、爪の形を有利にする。道具は靴は足が痛いくらい小さいものを用意する」
「深爪! なるほど ゆるくないもんだな・・・」
友人は比較的大きく174cmもあり、身長差+4cmしかない私は、幸い努力とはこのようなものだと捉えたのである。
結局、その時私は何度か簡単にてっぺんまで登った程度だった・・・・

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■ 1 運動ではなく第一に趣味として捉えたい

Pythonの集いでは、その体格故に・・・・筋肉に関して先輩みたいな扱いを受けるため、それなりに・・・長い経験者じゃないことしかわからない、しかし役に立ちそうな事を・・・言っておこうとおもう。
(多分みんなこういうことも言いたいだろうという代弁は最後にしておくつもりだ)

私は自主的な運動を始めたのが16年前の9月で、これは部活や習い事など、自主的でないものは3歳から運動をしていたので理屈上運動歴は29年だが、自主的じゃない時期は重要な事柄がのきなみ残っていない。鍛えてから断片的に先生のいうことが理解出来る程度で、あまり得られた物が多くない。
つくづく好きなこと――つまり、やる気が勝手に沸いてくること――をするというのは重要だと思っている・・・

趣味として捉えるのは重要だ。私は筋トレを運動として捉えてはいるが、それ以上に趣味として捉えている。趣味には貴賤がない。これは素晴らしいことなんだ。ただ楽しめばいい。 いやになったらやめればいいのだ。
私は最初にボルダリングにおける、ツメだのクツだのきついところを意識してしまった。当時は腰部椎間板ヘルニアがひどく、かつ応援団という明らかにヘルニアにはよろしくない事をしていたのもあり、応援団とアームレスリングだけで一杯一杯だ、というネガティヴな考えに陥ってしまっていたのかも知れない。だが登ること自体は楽しかった。

もし、趣味という以前に、ほんの一片でも「ジム」だとか「運動」だとかとして捉えていると、
仕事でイライラした日があるとしたら、壁に取り付くのを控えてしまうかもしれない。
しかしイライラした時も壁に取り付いてみよう。趣味なんだ。運動じゃない。行ってみるとわかる。きちんと壁が趣味そのものである場合、経験上長くて10分以内でイライラは消える。

仕事で何かあった後に運動として捉えていると、つい足が遠のいてしまう。義務として捉えちゃうと、辛さは増していくだろう。
でももし本当は趣味だけど運動として捉えちゃってる場合、実体は趣味を無理矢理我慢しているというさらなる我慢を生む。ストレスが悪化するはずだ。
これは表面上の意識の問題なんだ。試しに、イライラしても行ってみよう。根っこが趣味かどうかわかるはずだ。ダメだったら次は行かなければいいのだ。爆発寸前でも、だぜ!

もしかしたら向上心が多い人は割り切りっぷりにひっかかるかも知れないが、過酷な努力を要する競技人口の多い競技でも趣味として捉えている人が世界のチャンピオンになったりする。
この思想は決してハンデにならない。

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while ( !this.IsDuty )  //=> StackOverflowException

■ 2 競争意識やらケガやら

この競争意識というヤツは、人間を成長させてくれると同時に、人間を破壊する。
人間は自分が出来ること以上に自分を成長させる事が出来るのは間違いない・・・しかし、冷静に考えてみよう。
ほっとけば週に8回も9回もジムに行ってしまいそうな人間が、それ以上にやってどうするだろうか?
人間は人間を相手にしていなくても、たとえば「評判」や「自分で勝手に決めた締め切り」で勝手に競争意識が暴走してしまうことがある。そして無理をし、ケガをする。そして、そのケガは、半年以上行動不能になるかも知れない。気力が充実しているときにもう一歩、でいいはずだ。

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それでも勝手に無理しちゃうんだけど

私は小さいものも合わせると数百回ケガをしてきたが、ケガをしても痛みが溜まったり酷くならないケガなら、勝手に治っていく。ケガを治すときのコツだ。
(こういうとき、ジムに経験豊富な達人がいると最高だ・・・都市部なら問題なくいるはずだ)

もちろん快適領域・・・・「コンフォートゾーン」から出ようとしない人々も居る。ただ、これは別な話になる。そんな人は週に8回もジムに現れたいと思わないはずだ。

自分の肉体は自分の命令で動くが、それ以上に、自分そのものなのだ。天才や達人と思った人を参考にすることは出来ても、トレースは出来ないのである。

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やればやるほど相手の化け物さ、自分の体の複雑さに気付いていく

3 最後に

なぜか運動をしていると、関係ない身体能力まで異様に高いモノと勘違いされる。勘違いならいい。”期待”される。ヤバイ。
これは問題だ。普通の人間にはガッカリされたくない社会性がある。期待に応えたいと思ってしまうはずだ。
~やって!といわれて、「出来ない」といおうものなら、「えー」とか言われる。
たとえば、たまたま飲み会に同席している体重が1.5倍のトレーニングマニアにアームレスリングを挑まされるかも知れない。

この「アインシュタインはカツオノエボシの生態を知っているはずだ」的なことについて、なんとボディビルの日本チャンピオン経験者に相談を受けたことがあるくらいだ ・・・みんながリンゴがつぶせないとダメって煽ってくるんです、と・・・

これは教育のディストーションだとおもっている。誰も悪くないのだ。
意外と飲み会で負うリスクは大きい。弁明すると微妙な空気になり、ジョークに持って行くしかなくなる。
しかし、#kabepyに重要なのは登ることのはずだ!

trump
一見壁に使いそうなピンチ力でも、ジャンルが違う

しかし確かに言われっぱなしは面白くない・・・そんなあなたには・・・
外岩登ってる写真でも持っとくしかないですね ケガしないようにね・・・

それでは良いお年を!