今後また調査が進んで行くと思いますが、代表的な被災のパターンが紹介し終わったので、今回は主に写真で紹介が中心となります。
大槌町では町長らが災害対策のため地震直後に役場に集合。想像を遙かに超えた津波に襲われ死亡が確認された。
民宿に打ち上げられた高速双胴船はまゆり。その異様な光景からの本震災の被害の象徴とされた一つである。
宮古市周辺の沿岸部では、戦争なら無視されるような小さい集落もことごとく破壊されていた。
細かく山間に点在する町々が潰されている様は瓦礫の密度が高く、生活に使われた様々な色が混じり合い、大きな生き物が内臓を晒して横たわっているようだった。
宮古市田老町は巨大防波堤を作った第一の町といっても過言ではない。明治の津波で人口の8割を失う被害を出し、昭和の津波でも人口の3~4割を失った。
それを教訓に建てられた津波田老の万里の長城といわれた防波堤は、チリ地震津波で被害を出さなかったものの、残念なことに住民の安心から被害を拡大したとも言われる。
青森県。こんなところまで道路には不釣り合いに巨大な船舶が打ち上げられている。
「どこだったっけな。防波堤の外側に家を建てて、津波大丈夫ですかね?っていうと、60年に一回くらいだからその時建て替えるんですよっていったおっちゃんが居てね」
「今年は何年目なの?」
「あんまり経ってない」
時期は5月。東北では桜の時期。折れた桜も各地で最後の花を開かせていた。
下は同一の工場を別な角度から撮ったものです。