72 岩手県大船渡市 2

「よし、実家はここだ!ずいぶんと変わってしまったじゃない」

道路に流された家が道路に出てしまったため、津波から3日後に自衛隊の重機で砕かれどかされたと聞いている。

そもそもこの地を離れて当時もう20年以上経つわけだが、実家と呼ぶのは訳がある。
父が転勤という形で宮城に移った時、祖母にそのうち戻ってくると言っていたのだ。
だので、祖母に気を使うという意味もあって、ここ以外を実家と呼ぶことまかりならぬ、という決まりがあったわけだ。

「位牌が眠ってるはずだから、ちょっと見てみようか」
同乗者もちょっと見てみる。そもそも作業をしに来たわけではないので通常の服だ。
「怪我をするなよ クギを踏み抜いて大けがとかよくある話だぜ」

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がれきに取り付くようにぐるりと回わる。

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恐ろしい事に、前からだと1台にしか見えないトラックが2台もあった

「こりゃあ無理だぞ」
「間違いないな こりゃ無理だ」
がれきは分厚く重い。人間が乗っかったくらいでビクともしない。
ほぼ似たような物体であろう砂浜に落ちている流木、キリカブ一つでも掴みづらさが手伝って殺人的に重い。
さらに複雑に絡み合っている。閖上では

「おっと! 懐かしの数珠みっけ!」
道路脇に見覚えのある数珠を発見。これは昔仏壇にしまわれていてよく使った記憶がある。
他にもどこから流れ着いたかわからないビデオカメラ、ノートが何冊か道路脇に並べてあった。

ノートを開く。これは日記だ。恐らく、介護センターから派遣されてきた人の介護メモである。
身内3人の交代、またその派遣者という体制で介護を受けていた祖母の状況が緩やかに悪くなっていき、文章がだんだんと希望を持てない状況になっていく様が見て取れる。
とはいえ祖母が2010年に老衰で逝去する少し前に親族で顔を見せているし、この津波を見ずに逝ったと言う事で大往生である。

とはいえあまり良いことが書いてあるわけではない。仕事がなくなり滅入っている父にさらなる余計な感情を与えてしまうかも知れない。
ノートはこのままがれきの前で眠って貰うことにした。

 

その時は深く考えなかったが、何故ご丁寧に日記やらビデオカメラやら、また小さい数珠まで道路脇に並んでいたのだろうか。
そういえば相馬市もアルバムなどはしっかりとカゴにわけられていた。

これが後に不明者捜索だけではなく、がれき撤去に自衛隊がどれだけ気を使ったかを示していると気付くまでやや間が必要だった。