53 宮城県石巻市2 牡蠣

復帰できる仕事を牡蠣養殖・種牡蠣販売に見てみようと思う。

宮城県北部から三陸にかけて、牡蠣の養殖が盛んである。また、全国で数少ない牡蠣の産卵の場所でもある。
石巻に限ったわけでは無いが、石巻市の金華山の牡蠣はこれまた有名だ。
私の親戚知人にも牡蠣の養殖を営んでいる人がいる。

本震災ほどではないが、何年かに一度牡蠣の養殖棚が毎回流出されているのを見ると思う。台風が来たら流され、小さい津波が流され、養殖業者はとてつもなく大変な思いをしているイメージがある。
そのたびに復帰している。

素晴らしい努力がある。そしてそれは全く否定しない。実際、牡蠣をやめる業者も少なくない。
しかしそこで話が終わったら、「テレビで見る牡蠣のおっちゃんはあんなに頑張っているのに」という冷たい言葉を別な被災者に浴びせてしまうかも知れない。
それを避けていただくために、一例として上げる。だから復旧できたのは当然だ、というわけでは無い。

宮城県のマガキは、最もおいしいかどうかは一荒れ来るので置いといて、結果的に世界最大の種となった。食べ物としての出荷量は日本一は広島だが、牡蠣全体としてみて、種牡蠣と呼ばれる稚貝の輸出量は宮城県が圧倒的で、広島の8倍を誇る。(農林水産省 2009)

たとえば牡蠣と言えばフランスだが、1970年代に流行した牡蠣が死滅する病気に絶滅に近いダメージを受けた。
そのとき、何故かその病気に耐性の持つ宮城県産牡蠣が大量に輸出され、フランスの牡蠣食は守られた。現在、約99%のフランス産牡蠣が宮城県の牡蠣の子孫となっている。
(2008年周辺からまたフランスでの牡蠣の具合が悪くなったようで、種牡蠣を輸入しているとのこと)

世界で最も養殖されている牡蠣は宮城県産なのだ。

その話を知っているルイ・ヴィトンのオーナーが震災後牡蠣棚を様子を見に来たのはマイナーな話だが有名ではある。

これだけだと種牡蠣養殖の業者だけが儲かるような響きがあるが、牡蠣の養殖も具合はいい。
高級料亭などに下ろされる牡蠣もやはり日本だと三陸産が多い「らしい」が、割合は知らない。

地元の水産加工従事者によるとどうも広島は15年前ほど余計なダムを造ったらしく、三陸産の牡蠣は変わらぬ味で人気を伸ばしている「らしい」。

つまり、調子がいいのだ。
災害は調子のいい商売にとっては「ダメージ」で済むが、縮小傾向の調子の悪い商売にとっては、「とどめ」になる。
なので一概に「~は頑張っているのに」という言葉で済まないのである。

余談だが砂浜が無くなっていくのも砂防ダムのせいとはっきりしつつあるらしく(砂防ダム推進派は温暖化のせいにしようとしていたらしいが・・・)ダムは海に良くないようだ。

52 宮城県石巻市

大船渡に向かう途中の話である。

宮城県石巻市の日和山。カメラを持って車を降りた。

 

「アンちゃんたち、どっから来たんだい?」
撮影をしていると、知らないおじいさんに話しかけられる。
「七ヶ浜から大船渡の実家に向かう途中なんですが、6年間石巻の学校に居たんですよ」
この返事をすると、口調が柔らかくなったように感じた。
「おーおー、そうか、俺もそこに住んでおってなあ。全部やられた・・・・」

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石巻で出会った老人。自宅に母の位牌を探しに来たという。 2011/05

宮城県石巻市

死者数 3182
行方不明者数 595
建物全半壊数 33378

(2012/1現在。 www.pref.miyagi.jp より)


「宮城県警によりますと・・・・石巻 牡鹿半島の浜辺に・・・
1000体以上の遺体が・・・・打ち上げられているということです・・・・」
(当時のラジオ)

水分子の入り込める隙間を海に対してあけていた場所のあらゆるものが徹底して破壊された。
一軒家に17台の自動車が突っ込むような惨状も見られた。想像できるだろうか?

老人は位牌を探しに来たと言うが、ここまで破壊的だと見つかる気配は無いようにみえた。

石巻市は三陸の最下部に属する。本震災で最大の死者数を出した。ちなみに、建物の最大被害は本震災では仙台市である。

くだらない話だが、黒くて大きいカメラを持っているとどうも報道関係者に勘違いされる。
「どうもありがとうございます、ご苦労様です」と挨拶されることもある。
制作側には全く意図されてないだろうが、黒いカメラはフォーマルブラックの神妙な意味も持つのかも知れない。

■カメラ

ある被災地の床屋で
「どっかから来たガキ共がケータイで撮影しながらうろうろしている ふざけやがって」
とぼやく「おやっさん」が居た。
コンパクトデジカメやケータイだと、少なからず「馬鹿にされている」感が強く感じられるようである。

実際、半笑いで「スゲースゲー」いいながらケータイを向ける連中は多かった。
それもそれで脅威を伝えるという意味を持てば良いのだが、感情を逆撫でするように取られたのである。

私は撮影するときに必死に「必ず無駄にしない」と考えていた。
その言葉を毎度呟きながら、できる限り画質もしっかり残すために気を使った。
画質が良ければ良いほど、与える印象は強くなる。

被災地の写真集では、わざわざ朝日や夕日をバックに撮影したりすると思うが、あれは当然ずっと理想的な天候と時間まで待つわけである。
しかし、素晴らしいというとバツが悪いが、印象深いカットにまで仕上げていただけると、「伝えていただければ」という気持ちになる人々も多いのは事実である。

携帯でもなんでも撮影するときは、手を合わせると良いだろう。

 

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日和山より、門脇、南浜方面を望む。大量破壊兵器もこのようなものなのだろうか 2011/05

石巻市は漫画家「石ノ森章太郎」の名前の元にもなったところである。駅前には仮面ライダーやサイボーグ009の等身大程度の像が並んでいる。
よもやま話も付与しておくと、猫の島と言われる「田代島」の猫たちは津波でも無事だったが、現地では津波前から近年田代島の猫は近親交配が進みすぎ、病気で個体数が激減しつつあったということだ。

石巻は少々詳しくしゃべれるので、長くなる。

51 福島県相馬市

会社の仕事を手伝ってくれているA氏は親戚が5名被災し、5月当時は全員行方不明扱いになっていた。そのうち3名が福島県相馬市で被災したという。
A氏は車を持っていないので、福島県郡山市で合流し手を合わせために車で乗っけた。

「さて行こうか」

着く頃には夕方になっていた。この夕方という雰囲気が妙に被災地の雰囲気を出す。
来る途中から嫌な平地が見えたとは思った。

「何があったんだ?」

 

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福島県相馬市

被災状況 海に面する平地は壊滅
最大波高 不明
死者数・不明者数 459名 (2012/1 福島県発表)
建物全半壊 1595 (2012/1 福島県発表)

相馬市は高速の津波が数十メートルもある水しぶきをまとって防波堤に直撃したの映像が有名である。
あの巨大な消波ブロック(別名テトラポッド 不動テトラ社の商標登録)が抵抗できずにポップコーンのように散乱した。

この光景を見てAはぼやいた。
「これは無理だよ、死ぬよ」

自衛隊員、戦場カメラマンは口々に言う。
「戦場より酷い」

私はこの時までリップサービスだと思っていた。
「しかたがない」と思えるようにしようとするケアの一種であると。

ところが写真撮影が趣味で、「ヒロシマ・ナガサキ」「東京大空襲」等の例外的な大規模破壊を伴った第二次世界大戦より後の戦場の写真集を見たことがある方ならご存じの通り、基本的に印象的な一枚を撮影するため写真の中に余計な部分が入り込まないよう、あの手この手で無駄なところを絞る。街だったところが地平線になる「数キロにわたる広大な破壊光景」などまず見た事が無いはずだ。

この光景はどこを撮影してもあまりに広大な破壊でどう撮れば良いのか良くわからない。絞ったら絞ったで、広大な破壊を表現出来ない。そして不釣り合いに現代的な文明の残骸を晒し、人間の気配を全く感じないのである。

確かに戦場カメラマンの出番と言うより、風景写真家の出番だった。

「元はどうだったんだ」
Aに尋ねると、
「自分がどこに居るのか良くわからない」
という。
「家もどこなのかさっぱりわからない。あっちだった気がするんだけど」

破壊後に向かった何十年も住んだ自分の家を気付かずに何度か素通りしてしまったことという話は良く聞く。つまり実際に家があった場所の目の前でこう言う。
「ここら辺だったと思うんだけど」

東日本 097
「神様はいなかったなー」
Aが言う。
「多分、神も津波で死んだ」
この神も津波前は祈られていたはずだ。

我々は地平線に向かって手を合わせた。

もしあなたが身内を失っているならば多少厳しい内容になるが、防災という観点から許していただきたい。

皆、身内が「死ぬ」まで到ってない場合、もしくは訴える相手がいる場合、誰かのせいにした。
行政が悪い、市が悪い、町が悪い、回りの人も避難しなかったから・・・と。

身内の死を含む徹底した被害を被った場合、無言か、津波への油断を聞くことが多い。
失ってはならないものを失ったときに、結局人は自分を責めるしかないことに気付く。責めようにも、無いし・・
この世の全てがまず自己責任だったと。

自分を責めるなと言う幸福論もあるが、もし有事の前に自分の油断を責めることができていれば、(まわりに大げさだぜ、と言われようが)全て好転していたのではないか・・・・・
自分を全く責めない教師に、自分の子供を預ける気持ちになるだろうか?
きっと自分の勉強不足を棚に上げ、「教え方が悪いんだよ」という子供に育つに違いない。

自分を責める。自責。自己責任。

 

現実はしかし、偶然良い方に転ぶこともある。

相馬市の電車が被災したとき、
電車に偶然乗り合わせた警察官が無線で津波が来ると気づき、乗客を全員高台まで誘導、無事だった。

電車は車にひかれた缶コーヒーのように潰れてねじ曲がりブリッジを作った。(画像がなくて申し訳ないが・・・・)
残ったらほぼ間違いなく即死だっただろう。

50 災害弱者と「大丈夫」

「大丈夫?」といえば
「大丈夫」と帰ってくる。
こだまでしょうか?
いいえ、建前です。

「遠い親戚より近くの他人」という言葉がある。
これを読んでいる方にも直撃地域に知り合いや親戚が居るかもしれない。
よく憶えておいていただけると幸いである。

当然だが、被災者には遠くに居て被災していない子供、兄弟から細かく連絡が来る。
たいてい「大丈夫、大丈夫。心配しないで」という返事になる。

しかし、実際大丈夫な人もいれば、大丈夫じゃない人も多い。家だけならともかく、仕事ごと流れる例が多いのだ。
ただ特に心配をかけたくない相手に「ダメだ」とは言えないのが人の心というものである。

一方、これが同じダメージを負ったご近所同士だと「大丈夫」という会話にならない。
大丈夫じゃないからだ。

前も触れたが、大丈夫な人、つまり被災者でもお金がある人は今回の津波をまったく問題にしなかった。
津波が来て家が壊されるやいなや、
「もう一件は壊れなかったので」
「一括で家買ったよ」
と即座に引っ越す選択が出来た。
いうならば、財布を落としたのとあまり変わりはない。

金はつくづく力だ。

人生設計は大事だが、日本といえど60年も生きれば一生に一度災害や戦争に巻き込まれるものである。景気などの要因が下り坂だとその一度で致命打を受ける可能性はそんなに少なくない。

大丈夫じゃない人に話を戻そう。
先に「共感」が得られている状態、得られていない状態に触れたと思うが、同じ苦難に直面したご近所は「なんでも相談できる身内」で、たとえ親兄弟でも全く違う状況に置かれると「心配をかけたくない他人」になるようだ。
何せ一緒に困難を体験していないので話は通じない。そしていくらでも安心させられる。
こんなに容赦ないんだなと思うくらい架空の世界扱いされる。おとぎ話。

この電話で遠い家族に「大丈夫、大丈夫」と返事する人が被災者同士だとどういう話をするのか。
私が実際に聞いた話の一部を紹介する。

「津波に巻き込まれて終わればよかった」
「いやー無理だよ いい自殺の仕方調べてるんだけどさ!」(これからどうするんですか?と言う質問に対し明るい口調で)
「もういい」
生きるか死ぬかは本人に任せるべきではあると思うが、戦前山間から嫁いできた母方の祖母が来るなりこんな事を言っていて、見届けるところを想像するとあまり気持ちの良いものでは無かった。

同じ文化や伝統、境遇で集まるのは一般的な人間の性質である。
非経験者に話が通じず、「いけるいける」、「頑張れ」、「大丈夫だよ」と何も知らない人間(身内にも)から無責任に励まされる不快感を本能的に恐れているからか・・

そんなことを言われずとも明日は来る。
そして何を言わずともうなずいてくれるご近所は居るわけだ。

何度も説明したと思うが、正直に話してくれと言っても体験していなければ決して通じない。

こういっては何だが、「大丈夫」といわれた人は、安心したはずだ。

自分が被災していようがしていまいが、相手は安心させたいだろう。
大丈夫というならそこに突っ込む必要はないが、信じないほうがいいだろう。

心配なら「大丈夫?」から入るより他の方法があると考えられる。
それこそ人によってできる事や求められることは違う。

「ダメだな」といえば
「ダメだ」と帰ってくる。
こだまでしょうか?
いいえ、本音です。

49 芸能人の炊き出しとは何だったのか

芸能人の炊き出しなど、心温まる話がたくさんあったと思う。中には売名と揶揄する人もいたようだが、実際はどうだっただろうか。

「あいつら、わがままなんですよ」

まとまった土地の使い道の責任を持つ某市の某氏※は芸能人の炊き出しの打診電話の内容を振り返って語ってくれた。

※凄い遠回しな表現だが、これで容赦していただきたい。

そこに出てくるのは、炊き出しでもかなり有名な、何日もテレビで紹介されたような集団の名前だ。
そして、こんな打診してきた集団は一つではない。

「本人たちが電話してくるわけではなくてマネージャーなんですが、食物とかは持って行ってやるから、水用意しろって言うんです」

――えらい上から目線ですね。そして水ですか。それはあの状況を何も解ってないですね。

水は「圧縮」できない。運ぶときに最も邪魔になる。オレンジジュースは粉末で運ぶことは出来る。しかし運んだ先に水があるとは限らない場合、ただの粉だ。
そして人間に最も必要なものの一つだ。

「無理だよそんなの。全部自分で用意してくれって言いました。そしたらなんだかんだで結局水用意するから来てくれって言った○○○○所が受け入れた」

地域住民にとって心安まる一時を提供出来たと言う意味はあるだろう。(雨後の竹の子のようにファンが押しかけて酷い状態になったという話もあるようだが)

もちろん、全部がそうではない。

「たとえば超大物の○○選手とか、マスコミが嫌いなので、マスコミに絶対言わないでくれ、っていうことでコッソリ来てましたけどね。
あとでみんなになんで言ってくれなかったんだ、って責められて大変でした」

実際に売名としか思えない、被災地の負荷を上げた炊き出しは確かに存在した。
そのくらい、水は酷い要求なのだ。

もし、あなたが炊き出しをしていた芸能人のファンだったのなら、それはそういった要求をしなかったと信じてあげて欲しい。
マネージャーの暴走かも知れない。そうだろ?

48 黒い感情

せめて 看取るまでは やさしい歌を

 

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瓦礫の中に流れてついていた結婚式の写真。本人たちは無事だろうか – 2011/05

 – 500万円 –

東日本大震災において、世帯主が死亡した際、災害弔慰金として支給される金額。

 

結婚や離婚が増えているという。
たとえば停電の時に寂しさを感じた、というように震災現場から離れた人々が結婚の希望するというケースがあったが、
被災地の直撃地域では4割近くの離婚相談の増加が見られたという。

統計をとったわけではないので、その原因はわからない。
余りに悲惨な状態になって精神状態が不安定になったという説もあれば、相手が頼りないのが浮き彫りになった、という説もある。

家が奪われ、仕事が奪われ、つまりお金も奪われ、何もない。そんなとき、再び「任せろ!」といえるタフガイは滅多に居ないし、海ガールも滅多にいない。
専業主婦・主夫は立場が強そうだ。やるべき事は出来る。文句を言われる筋合いはない。そこに罪悪感はない。大黒柱「だった」相手に強く出れる。
大黒柱は職場が前提となるのでそうは行かない。
私の父親も大津波で職場を失ってから寝たきりのように非活動的になっている。

どろどろとしている事もある。

嫉妬やねたみが渦巻く場所もあった。
ある被災者はこんな事を言う。

「向こうの仮設を見てください こっちより少しきれいでしょう?なんでも新しい型らしいんです。なんでうちばっかりこんな目に遭わないと行けないと思います?マンションに行った○○さんはいいですよね」

しかしもっと酷いケースもあった。
あるご近所はこう言う。

「うちはかろうじて家が残った。それはいいんだけど。いい目で見られない。ことある事に
”○○さんは家残ったからね!”
と言われる。そのときの口調が本当に嫌なものを見るときのものなんです」

妬みや嫉妬である。

そのご近所はこう続けた。

「僕も家流された方が良かったんじゃないかと思っちゃいました」

まだ前に述べた犯罪のほうが聞くに堪えると思う。

黒い濁りが溢れ、口に出る・・・そんな状態だ。

 

もし、大黒柱が頼りないが、離婚しても行く当てがない状態だったら、その人物はどんなことをいうのか。
世帯主が死亡したら500万円の見舞金が出る。

ある奥さんは言う。

 

「そうそう、500万円も出るんですよねー!

 

 

うちもあの人が死ねば良かったのに

47 ウニとタコ

震災時の「激しい映像」は通電後のテレビでは見ることが出来なかった。
一説によると、気を使って放送を控えたという話もある。

インターネットの動画で当時の報道を見ると、陸前高田への希望的な予想は無くなった。

凄まじい動画だった。しかし、動画は動画だった。感想は「凄い」以上にはならないだろう。
どんな動画であろうが、あらゆるものに異様な力が加えられたときの大気に叩かれるような音や、街だった場所の圧倒的な質量は存在しなかったのである。

■海の遺体と海の幸
しばらくどうしようもない状態が続いたため、時に遺体は大した深さの無い所に着底しており、目視できたという。
聞くところによるとそういった遺体の目にウニが群がっているそうで、ウニはしばらく食べたくないという。

よく水死体が上がると、「シャコエビが遺体から飛び出てくる。しばらく見たくもない」という話を聞くと思う。
実際に目玉は真っ先に食べられそうな印象があるが、またそういう話が出たか、という気持ちだ。シャコエビの本当のところはわからない。

家に帰っていたGWのころだが、ある近所の同級生、その人物は市場で働いている家のものだが、食べていたタコから髪の毛が出て来て口に含んでしまった、という話をしにきた。
明るい顔はしていなかったが、怖いとか気持ち悪いとかいう話にはならなかった。
それがだれかがどうしても手に入れたい遺髪だと思うと、私はそんな扱いはする気にならなくなってしまっていたのである。

7月のころにはかなり片付いていた。まるで別の地のようだ。
しかし、この夏の暑い盛りに広島県警や徳島県警、時には沖縄県警が信号機の代わりに某を振っている。
まだ信号機が戻っていない状態だった。
日本中の警察がパトロールをしていた。

 

大船渡の水産加工会社の某所での話だ。
「新沼さん!じゃあまた!」
父親がその水産加工会社の社長と現地で別れの挨拶をした時
「社長!冷蔵庫から人が出ました!」

と掃除中の社員は叫んだ。

遺体はまだまだ出て来ている状態だった。10月を超えても週に何体か出てくる。

トップ

2月ですね。最近寒いですね。とてつもないですね。海沿いといえど、-10度、超えてきていますね。これはですね、体感温度ですと-20度に行ってしまうこともあるわけですね。寒いですね。

トップの説明ですね。
近所の海と繋がった堀にたくさんのシロサギが居ます。そこで彼らはエサを食べてるわけです。これが面白いように魚が揚がってくる。こんなに豊漁で良いのかと思えるくらいモリモリ食べてるんですね。
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モリモリと。

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これが、がれきで埋もれている中なんですね。なんというか、たくさん、たくさん居ますね。ちっちゃいのは子供でしょうね。トップは縦横サイズの関係上切っただけで一羽だけフォーカスしたかったわけではありませんね。もう1mほど奥に行ってくれれば・・・

 

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食いつまんだ瞬間も狙って頑張りましたが、お手軽セットのカメラだったので、摘んだ瞬間の動きを止める能力は無く・・・・ぶれます・・・残念ですね。

がれきが魚の隠れ場や栄養のたまり場になったんでしょうかね!
元気そうで何よりですね!